記念写真とは何か
一度なんでもないところで記念写真を撮ると、観光地などで記念写真を撮ることが滑稽に思えてくる。
――おいおい、遠いところ行ってやることが記念写真かよ。そんなの家の近くでもできるぞ……。
というわけだ。
カードでお金記念
中華料理屋の壁のイラスト記念(三脚使って撮ってたら近所の犬が猛烈に吠え出して困った)
ゴミ捨て場のカゴ記念(ここでも犬が吠えてた)
家の近くで撮っているが、ちゃんと全部記念写真だろう。どこだっていつだって記念写真は撮れる。さて、ここで試しに旅行先の本当で撮った記念写真を出してみようか。
旅行の記念
どうだ。マヌケだろう。実際に「旅行をしている」ということに甘えた写真だ。近所で撮った記念写真の方がなんぼかマシだ。
「面白くなさがすごい」
――おれは、なんでもないところで記念写真を撮っている……。これは価値観の転換です
。
この間友達と遊んでいるときに、この写真を見せながら説明した。
そのへんの標識記念
友達「この標識の写真ヤバいね。面白くなさがすごい!」
――面白くなさがすごい?
友達「靴流通センターの写真は面白かったから、肉のハナマサとかで撮ってみれば? 面白いかもよ。ハナマサ」
肉のハナマサ? と思いながらもさっそくやってみた。
肉のハナマサ来店記念
疑問を持ちながらも「肉のハナマサで写真を撮れ」という指示を甘受したのは、「面白くなさがすごい」と言われたのが悔しかったからだ。
そしてこの写真を見て、少し冷静になった。ひょっとしたら「何もないところで記念写真」はそんなに面白くないのかもしれない。
しかしこの行為は止められず、何が何だかわからないまま僕はそのへんで記念写真を撮り続けたのだった。
ココイチの看板が異常にでかい記念
50m先で工事やっている記念
ジョナサンの看板も意外とでかい記念
飲食店の看板は近寄ってみるとでかいということがわかる。飲食店の看板を「記念にならない場所」と思って撮っていたんだけれども、これだけでかいと本当に記念になるんじゃないだろうか。
身体を傾ける
やっていくうちに、「身体を記念の対象に傾けると、それっぽくなる」ということがわかってきた。
駐車厳禁の妖精がかわいい記念
室外機が横に4つ並んでいる記念
記念写真ってこういう構図になりがちじゃないだろうか。「記念の対象をしっかり撮りたい」「でも自分もちゃんと写りたい」という気持ちがまぜこぜになったポーズだ。
ゴミだしのマナーがなってない記念
この方式で写真を撮ると、適当に捨てられた照明器具もアートに見えてくる。
「カードでお金」がボロボロになった記念
ボロボロの看板も名画みたいな気がしてくる。このポーズ、すごい。
何もなくても何かが見えてくる
もうこの際、身体を傾けさえすれば、何もなくてもいいんじゃないか。無との記念写真だ。やってみよう。
何もない記念
これも何もない記念
……何もないところで身体を傾けるポーズをとると、なんだかとても恐い写真になる。呪術的な感じがする。ひとりかくれんぼ、みたいな。(一人でかくれんぼのマネをしていると、どこからともなく「みいつけた」という声がして、魔界に連れて行かれてしまうという怖い話があります)
何事もほどほどにしておいた方が良い。なんでも記念写真はしてもいいけれども、何もない記念、は止めておこう。
みんなも身体を傾けてなんでもないところで記念写真撮ろう!
最後に深淵を覗いてしまった感じがあるけれども、気持ち一つで記念写真はいつどこででも撮れることが分かった。
途中「面白くなさがすごい」といわれてしまったが、まあ気にしないでおこうと思う。
そのへんの標識記念(編集部古賀さん)。身体を傾けてるし表情もいい