貴重なファンシー建築に興奮
70、80年代に「高原の原宿」と言われ、首都圏の学生や若い社会人の間で定番の小旅行先としてたいへん賑わっていた清里。「清里」という言葉を見聞きするだけで当時の雰囲気が甦るのではないか。っていってもそれってぼくより上の世代だよな。
ぼく自身もテレビや雑誌で目にするだけで、訪れたことはなかった。清里で楽しむ年齢としてはまだ若すぎたし、家族で行くようなところではないと感じていた。あそこはカップル(当時はアベックといったかもしれない)の聖地だったはずだ。ぼくの10歳ぐらい上、現在50歳前後の方々が清里経験者ではないか。 自分と親の世代には無縁な清里だったが、それでもファンシーな店舗とペンションが並び、夏休みは原宿以上に混雑したという映像をなんとなく覚えている。
清里駅から少し行ったところにあるかつてのショッピングモールエリア。
シンボルの時計塔。おそらくみんなここで記念撮影したのではないか。
30年後に叶った記念撮影。ひとりで。
ネットで「清里」を検索するとぼくと同じように最近彼の地へ行ってきた人による訪問記がヒットする。その印象はおおむねネガティブだ。ブームが時期的にバブル経済と連動していたため「浮かれた実のないキッチュな街がいまや廃虚のようになっている」といったぐあいに語られがちなのだ。
しかし、今回自分で実際に訪れてみて感じたのは「清里、いいろことじゃないか!」だ。確かに当時のブームの残滓がいたるところにその姿をさらしている。が、みんなあまりにもバブルへの嫌悪と80年代ファンシースタイルへの嘲笑が先走っていないか。
後述するようにいまや清里は高原リゾート路線で十分魅力ある場所として賑わっているし、建築好きのぼくから見れば、当時のファンシー建築の空き家だって貴重な遺産だ。これらが壊されもせずに残っていることは奇跡的ではないかと思う。
すべて空き家なのだが、かなりきれいだ。おそらく最近掃除されていると思う。復活していた時期があったのかな?
有為転変しない街などありえないし、清里の歴史を見れば、ブームもその中の1ページにすぎないことがわかる。そもそも、空き家が建ち並ぶ光景なんて日本中の商店街にあふれていて、清里特有の現象でもなんでもない。というか、清里は現役なのだった。
昔のキャラって頭が小さかったよね。いまだったらゆるキャラが立っているだろう。
中を覗くと、こんな感じ。やっぱりきれいだ。ぜったいそう昔でない時期に手入れされている。
見渡すと、こんな感じ。
楽しかっただろうなー、って思う。よくできてるよ、ここ。
地形を活かしたレイアウトになっていて、下に続いている。
ここは少々くたびれてた。
…と、長々と堅めの前口上を述べたのは、やっぱり非常にデリケートな内容にならざるを得ないからだ。ぼくの興味はやっぱり建築なので、写真でそれらを並べるとどうしても揶揄っぽく見えちゃうのよね。
だがしかし!前述したように、これらのファンシー建築はとても貴重だと本気で思う。できれば末永く残ってほしいと思う。まじで。いま清里ブームでも同じように建築撮りに行ってたよ、ぼくは。廃虚かどうか関係なく、30年ばかり訪問が遅れただけの話なのだ。
清里建築収集
ともあれ、前ページに引き続き80年代を彷彿とさせる建築をご覧いただこう。
そうそう!こういうの!ぼくのイメージしていた清里はこれ!
空き家かどうか関係なく、しみじみと感動していました。
正直、もっといたるところぼろぼろかと思っていたけど、みんなきれいだった。これも空き家なんだかどうなんだか分からないぐらい。
とはいえ、こういうものもあって、ちょっとやっぱり神妙な気分になっちゃう。ファンシーな絵でいいのになー。
「おみやげは…ぬいぐるみが一番ョ!」と言う「星の王子さま」営業している姿が見たかった。
ここは現役でした。
全景はこんな。いやー、やっぱりせっかくの当時の勢いある時代に作った様式のものなんだから現役であってほしいよねー。
しみじみ見てたら犬がこちらに。看板はダテじゃなかった。かわいい。
そして前ページ冒頭のこれ!「KIYOSATO」のクッキー文字にぐっとくる。
季節も天気もよく、すっかり清里様式建築に夢中。
みなさんいちど行ってみるといいと思うよ。ふつうに楽しいです。
ただ、言っておかねばならないのは、これらの建築物は駅周辺のものだということ。実は清里の本質は駅から北西へ1kmちょっと行ったところにある「清泉寮」にある。清里ブームでも主役であったこの清泉寮はまた清里発祥の地と言っても過言でないものであり、そして今なお多くの観光客が訪れる施設でもある。この清泉寮を中心に清里の歴史を見れば、実は80年代の駅前を中心としたブームは変遷の一コマにすぎないことが分かるのだ。
って、なんだかそれらしいことを書き連ねたものの、実はぼくは今回清泉寮には行ってない。すまん。駅前が楽しすぎて時間なくなっちゃった。
公式ウェブサイトや、訪れた人の話を聞けば、高原リゾートとして非常に魅力的な施設であることが分かるので、今回は割愛とということで。
というか、みんなで「清里ツアー」に行って清泉寮泊まりたい。
今回最も感動したのがこれ!
清泉寮のほか、現在の清里の観光はもっぱら駅から離れた場所がメインだ。つまり八ヶ岳山麓の高原を満喫するのが正しい清里の楽しみ方というわけだ。いわば立地から考えて当然のリゾートっぷりであって、やはり80年代のあれはきわめて特殊な出来事であったことが分かる。
ぼくでも名前に記憶がある「MILK POT」だ!
いや、最初にも言ったように、これは批判とかじゃないよ。だからこそおもしろいと思うんだ。ずらっと見せてる建築群だって、見事にぼくらが想像する「高原のロッジ風」だ。その他のファンシーテイストも、ペンギン村的な高原パラダイスの延長としてデザインされているわけで、これはつまり全く事実無根なテーマパークではなかったということを意味している。あくまで高原イメージのカリカチュア・拡大解釈・アレンジであり、浦安の埋め立て地とは違って、文脈で成立しているといえる。だから貴重だとぼくは思うんだ。
うん、なんだか理屈っぽくなってきたぞ。
「Dr.スランプ アラレちゃん」のペンギン村にある「Coffee Pot」のモデルになったといわれるあれだ!まだあるとはびっくり!
いやほんと、こんな光景、ここ以外では成立しないよね。COOL JAPANとはこういうことをさすのではないかと。末永く保存してもらいたいです。
「年下のあンちくしょう」
「あンちくしょう」っていうタイトル表記いいよね。「ン」しかも「ちくしょう」である。家畜だ。八ヶ岳のジャージー牛をイメージしたものか(ちがいます)。【「続・年下のあンちくしょう」より・(c)吉田まゆみ/講談社】
さて、すっかり画像の「MILK POT」に注意をひかれてしまいますが、清泉寮についてもうすこし。その清泉寮は清里ブームの火付け役のひとつとなったマンガに登場する。
吉田まゆみの「年下のあンちくしょう」シリーズの最終話、1977年に発表された「あンちくしょうFOREVER」に主人公の恋人同士が初めて旅行に出かける先として、清泉寮が描かれている。当該最終話は「続・年下のあンちくしょう」に収録されていて、現在は各種電子書籍配信サービスで読むことができるのでぜひ見てみてほしい。
大学生そこそこで恋人同士=結婚どうする!?に終始する筋立てや、この清里旅行に行ったというだけで両親は主人公にビンタしまくり勘当だ勘当だという親子のコミュニケーション不全、未成年の喫煙シーンや飲酒シーンがどんどん出てくるなど、時代を感じる描写がたくさんあって楽しい。いや、これもディスってないです。ほんとうに興味深い。建築物と同じくマンガ表現だってそういう遺産なのだ。現在のマンガやリゾート施設だって、30年後には同じように興味深く映るにきまってる。
【同「続・年下のあンちくしょう」より・(c)吉田まゆみ/講談社】
興味深いのは、主人公ふたりが清里に出かける際に流れるのがユーミンの「中央フリーウェイ」だという点。
この曲が発表されたのはこのマンガ発表の前年1976年。いうまでもなくこれは中央自動車道のこと。この年の12月に韮崎IC~小淵沢IC間が開通し、東京から清里へ自動車で行きやすくなっている。そして恋人同士の倦怠を歌った歌詞によって、マンガの中のふたりの関係が表現されている。インフラ、歌、マンガがぴったりと時期と内容を得ているわけだ。
ちなみに、駅前のある雑貨屋さんではずっと80年代ユーミンの曲がBGMで流れていた。すばらしい。
電子ブックで購入した「続・年下のあンちくしょう」を表示させ、記念撮影しました。
グリコ・アーモンド・チョコレートのテレビコマーシャルより。
ブームの頃は、このマンガ以外でも清里がしばしば登場した。1980年に放送された
グリコ・アーモンド・チョコレートのテレビコマーシャルもそのひとつだ。
田原俊彦と仲よさそうに共演した松田聖子に宛てて、ファンからカミソリ入りの封書が届いたことで有名になったCMだ。この映像の舞台が清里。いかにも高原リゾートという雰囲気。
これらを見て思ったが、当時から清里はちゃんと高原がメインだったのだ。やっぱり駅前の建築物たちはオプションとして受け止められていたのではないか。
ちなみにこのCMが放映された同年に田原俊彦は「哀愁でいと」で歌手デビューし、松田聖子は「青い珊瑚礁」をリリースしている。このCMに使われているのは「ハッとして!Good(グー)」である。
ほかにもたくさん清里が舞台になった作品があると思う。知っている方はご一報を。バブル時代の情報って、ネットにいちばん欠けているものだよね。あと、1987年には土曜ワイド劇場で「東京-清里ペンション村連続殺人~殺人現場に女と泊まった独身弁護士」というドラマが放送されたそうだ。これ見たい。
清里とダム
さて、そもそも清里はどのように成立したのか。これが調べてみてびっくりだった。てっきり清里ブームの頃、さかのぼってもせいぜい戦後からの街だろうとなんとなく思っていたのだが、これが大間違いだった。
これもすばらしいと思った。このそばでずっと80年代ユーミンが流れていて、なんだか白昼夢を見ている気分になった。
さかのぼると中世の頃に開拓されたという歴史になっちゃうんだけど、本格的な集落としての清里が作られるきっかけになったのは、まず小海線清里駅の開業。これが1933年。
そしてびっくりするのは、1938年に入植者がやってきて本格的にここを開拓するのだが、彼らは東京の水ガメであるあの小河内ダム建設により水没する村の住民たちだったのだという。小河内ダムって、奥多摩湖のあのダムだよ!そのダムの恩恵にあずかった東京の若者達が清里に押し寄せたとはなんという因縁か。
入植した人々の苦労はすさまじいものだったという。詳細はNPO法人清里観光振興会の
ホームページを見ていただきたい。涙なくしては読めない。最後の一文ぐっときた。
この建築もいいなー。ファンシーだなー。
ちなみに清里駅を通っているその小海線という鉄道、とうぜん山の中で海なんて沿線のどこにもない。なのに「小海」。この「海」の由来は何なのだろうと調べたら、平安時代に八ヶ岳が崩落し千曲川が土石流で埋まったために、そこに流れ込む川の流域一帯がこの自然のダムによってせき止められて湖(せき止め湖)になり、それを「小海」と呼んだのがはじまりだという。つまり、ここにも「ダム」が登場するわけだ。まさか清里がこんなにもダムに縁があるとは。
この雑貨屋さんは現役でした。熟年のご婦人方がたくさん入っていった。かつての若者の街は、いまこの年齢層の方々の街になっているようだ。とことんぼくの世代と清里は縁遠いなあ。
ポール・ラッシュさん
さっきから人気のない写真ばかりですが、実はぼくと同じ列車に乗ってた大勢の熟年の方々が清里で降りた。
同1938年にこの開拓とはまったく別の流れからこの地に青少年育成のための施設をつくった人がいる。ポール・ラッシュさんというアメリカ出身の伝道師で、この施設が「清泉寮」なのである。今ではポール・ラッシュさんは「清里の父」とされている。この方に関しても詳しくは
NPO法人清里観光振興会のホームページをご覧ください。ここで説明すると長くなっちゃうので。
で、かれらはわらわらとバスに乗り換え、あっというまにいなくなってしまった。
戦後1950年代に入るとあいついで学校の寮が建設され、1986年には34もの学校両施設があったそうだが、おそらくこれは清泉寮を先駆けとした「高原で健全な青少年教育」というコンセプトが広まったということだろう。これによって各地から若者が訪れるようになり、その延長上に清里ブームがあるのだと思う。
そしてブームが決定的になったのは1971年に雑誌「an・an」「non-no」に清里が取り上げられたことによる。ちなみに「an・an」が創刊されたのは前年の1970年、「non-no」はこの71年。創刊間もない両誌が気合いを入れて取り上げたのが清里だという点に、当時の熱気が感じられる。
駅前の観光案内版を見ると、やはり現在の清里の正しい観光先は周辺の山麓であって、駅前ではないということがわかる。
いつものように地形図を見てみた。そりゃあ本来のウリは高原だよなあ、とあらためて思う。それにしてもいつも見ている首都圏の地形図とはスケールが違いすぎてびっくりだ。すごいぞ、山。
山麓の方からはとバスが走り抜けていった。やはりメインは高原か。
財務省関東財務局甲府財務事務所の経済調査レポートによれば、1965年に17万人だった観光客数は、1970年の清里ブームが到来後、75年には87万人、85年には215万人、89年の254万人と、驚くべき増加を見せている。年間といっても、そのほとんどが夏休みに来ていることを考えると、そうとうな混雑ぶりが目に浮かぶ。つくづく、当時の様子を見てみたかった。
当時の写真見せてください!
えーとDPZらしからぬ記事になってしまった。すまない。あまり深く考えずにふらりと訪ねた清里で、自分でもこんな風に清里に興味を持つとは思わなかったので、当時を知る人の話を聞いたり当時の雑誌を調べたりというところまで手が回らなかったのが残念。いずれちゃんと調べようと思う。
清里をリアルタイムで経験した方々からの連絡をお待ちしております。写真など見せてほしいです!
ちなみに公衆トイレもこんな。左にちょっと見えるのは派出所。徹底してる。
当然デジカメもネットもない時代なのでネット上にブームの頃の写真が見当たらないのだが、YouTubeに1988年のスナップをUPしている方がいた(→
こちら)。ちょうどピークの頃である。楽しそうだなー。やっぱり当時一度行っておけばよかった。
清里もショッピングモールだったと思うんだよね
【告知:2014年10月8日・大山顕×東浩紀「ショッピングモールから考える #3」やります】
こんどの水曜日2014年10月8日の19時から、五反田のゲンロンカフェでショッピングモールについて東浩紀さんとトークします。
これもう3回目なんだけど、毎回すごくエキサイティングです。ちょっとした都市論になってると思う。今思ったけど、今回の清里の体験も語るとおもしろいかもしれない。だってこれ、ある種のテーマパークだったわけだしね。
仕事はやめに切り上げて、みなさんぜひ。詳しくは
こちら。