夏の甲子園がおわりました!
ことしも夏の甲子園がおわりました。球児が繰り広げる熱戦を、クーラーの効いた部屋で、冷たいビールを飲みながら応援? それとも、甲子園球場で汗をだらだらかきながら声援? みなさまはどちらでだったでしょうか!?
高校野球といえば欠かせないのは、「金属バット」。
実は筆者は、ボールが当たったときの“カキーン”という音が大好き。その音についうっとりする音フェチなのだ。
そこへ届いた金属バット工場見学の依頼。もちろん見に行く、見に行きます!
その工場は、シーサイドライン「並木中央駅」の近くにあった
ということで、出かけたのが1959(昭和34)年創業の「日本シャフト株式会社(本社、資本金:3億9000万円 従業員数:153名)※2013年3月現在」。その横浜工場は、シーサイドラインの並木中央駅から徒歩5分の場所にある。
日本シャフト主要取り扱い商品は、ゴルフシャフトと金属バット。金属バットはこの横浜工場で作られている。
着いたぁ
工場事務所で記者を迎えてくれたのは、取締役でバット事業部長兼営業部長のの村川晋介さんと工場長兼業務課長の宮坂公典(きみのり)さん。
宮坂さん(左)と村川さん
決して怖くありません。緊張しているだけで、実はとても優しいお二人。
この横浜工場で働いているスタッフは約20人。月1万2000本、年間14~15万本(日本でナンバーワン!)の金属バットを製造しているという。
しかし、“日本シャフト”という名前を知る人は少ない。なぜなら、“日本シャフト”は消費者に直接販売せず、日本の名だたるバットメーカーに製品を供給しているからだ。
日本シャフトのマークに注目
「つい先日も金属バットで父親を殴ったというニュースが世間を騒がせましたが、そういうときは警察から製造元である当社へ問い合わせが来ないかヒヤヒヤします」と村川さん。
実際に過去に問い合わせがあったことも・・・。
日本シャフトの生き字引の村川さん
かつて村川取締役が工場を案内した高校が甲子園で優勝したこともあるんだとか・・・。
「明日は少年野球の子どもが、夏休みの自由研究で工場見学にきます」と宮坂さん
高校野球に金属バットが導入されたのは1974(昭和49)年の春の地区大会。“日本シャフト”ではその直後の1975(昭和50)年から金属バットの製造を始めている。
1993(平成5)年にサッカー・Jリーグが始まってからは、野球人口もめっきり減り、金属バットの製造本数もかなり減ったというが・・・。
それでも野球を愛する高校球児のために、軟式野球選手のために、少年野球、ソフトボール選手のために、“日本シャフト”は今日も金属バットを作り続けている。
高校野球では細かくルールが定められている
公式戦で各チームが使うバットは、バットメーカー各社から担当が出向き、試合前に違反がないかの検査が行われるそうだ。もちろん日本シャフトからも派遣される。
ということで、前置きが長くなったが、「いったい金属バットってどういう風につくるものなのか」という疑問にお答えして、金属バットの製造工程を見学するとしよう。
ドキドキ、ワクワク。緑の帽子をかぶっていよいよ工場内へ
案内してくれるのは宮坂さん。「私は野球はしないんですけどね・・・」とつぶやく。
工場見学の前に宮坂さんからレクチャー。初めましての記者後ろ姿
工場に入る時は緑のキャップをかぶる規則。
いよいよ工場に突入。
横浜工場では塗装以外、バットの成型までと組み立て、最終製品化のすべてを行っているそうだ。
この場所でバットの成型作業が行われる
金属バットの材料はアルミ合金。加工前のアルミ製パイプはこんな感じ
ボールが当たる部分は厚く、グリップ部分は薄く、パイプの肉厚(厚さ)を調整
加工しやすいように熱を加える「焼き鈍(なま)し」作業の後、バットの寸法にカット
バットの金型はこんな感じ
いよいよバットの形に成型
2回機械を通すとほぼバットの形になる
ヘッド部分の加工
硬度・強度を高めるために2回の熱処理を行う
1回目は高温で加熱後、水に入れて急激に温度を下げる。
2回目は1回目より低い温度で加熱し、徐々に温度を下げる
続いて、組み立てに備えて、ネジ、ヘッド部を加工し・・・
バットの形ができたら研磨。まずは粗く。そして細かく
どんな小さな傷も見逃さない
実は、横浜工場を支えるスタッフのほとんどは実際に金属バットを利用していた高校野球経験者。高校野球を経験した新入社員のうち、この10年で辞めたのはたった一人というから驚きだ。
ここまでできると協力会社にバトンタッチ、表面の塗装を行う。
塗装が完了した金属バットはまた横浜工場に戻り、最終的な組み立て、仕上げ作業が始まる。
キャップをはめ込み
グリップにテープを巻き
品番や製品名のシールを貼って、すぐに店に並べられる状態にして出荷
たくさんの工程を経て出来上がった金属バットを手にする宮坂さん
これを読んで今年の夏の高校野球を思い返してくれたら、取材をした甲斐があるというものだ。
取材を終えて
暑い工場の中で、球児たちが甲子園でプレーする姿を何度も思い浮かべた。
金属バットに愛情をかける熱いスタッフがいる金属バット工場がこの横浜に君臨していることを知って、なんだか誇らしく思えた暑い夏の日。清々しい気分で工場を後にした。
―終わり―