くぐるのは「変わりたい」という欲求の表れ
大仏で有名な奈良の東大寺には、大きい穴があいている柱がある。そこを通ると無病息災になると言われていて、観光客はみな並んでまでその穴をくぐっている。
これは京都の「縁切り縁結び碑」。くぐるために長蛇の列
また、身近なところでいえば神社にお参りするとき鳥居や楼門をくぐる。くぐることで神域へと入り心を浄化するのだ。
くぐるのはいいこと
このように、くぐるという行為は古い過去と決別し、新しい自分になるための切り替えとして機能する。くぐりたい。普段からできる限りくぐっていきたい。
そこで目をつけたのが街のあちこちに止まっている自転車だ。自転車の下をくぐっていけばいいのだ。
くぐることで新しい自分に変わりたい
街には、「どうぞ下をくぐってください」と言わんばかりの自転車が止まっていることがよくある。酔っ払ったサラリーマンが鞄を放り投げたままそこらへんで寝てしまっているのと一緒でかなり無防備な状態だ。
最もくぐりやすい例
門が片方開いたような感じだ
寝てしまったサラリーマンを見ると大丈夫かなと心配になってしまうが、前輪が大きく開かれた自転車を見つけたらそれはラッキーなことだ。
くぐるチャンスは新しい自分に変われるチャンスでもあるのだから。
こういう自転車を見つけたら新しい自分になるチャンス
くぐれると嬉しい
ひとまず自分で用意した自転車をくぐってみたのだが、そのときのありがたみやドキドキ感は先述した東大寺の穴をくぐったときと同じくらいだった。
くぐり終えたあとの達成感、一皮むけたような新しい気持ち。すごい発見である。
仰向けで通ってみる
初めて見る新鮮な景色
ちなみに今回は汚れてもいい服で挑戦している。そういう覚悟がこういった新しい景色を見たり新しい自分になることを可能にするのだと思う。
次は街に出てみたい。
チャンスはいっぱい
街に出ると、いろんな自転車があるあちこちに止められている。サイズも形もバラバラでくぐり易さはさまざまなものの、これだけあればくぐりたい放題である。
冒頭でも書いたように、くぐるということは心を浄化したり縁起のいいことだ。どんどんくぐっていこう。
無病息災を祈願しながらくぐる
金運アップを願いながら
ピンクの自転車は恋愛運アップだ
見つけた時の喜び
くぐっている間はもちろんだが、くぐれそうな自転車を見つけたときの喜びも強い。ジグソーパズルのやりはじめに端っこのパーツを見つけた時くらい嬉しい。
くぐれそうな自転車が見つかると嬉しい
そしてくぐれるとより嬉しい
すがすがしさと自信
自転車をくぐったことのなかった以前の自分とくぐった後の自分ではなにかが違う。自転車を一つくぐるたびに厄が落ちていくように清々しいのだ。そしてクリアしたことへの自信もついていく。
自転車の下をくぐることでこんなにもポジティブな気持ちになれるとは思っていなかった。自転車をくぐる事は自分の前向きな気持ちを高めてくれる近道だと知った。
障害(赤いポール)があるほどに高まる達成感
無謀ともいえる低さにも挑戦するポジティブさ
本当の意味でも近道
また、くぐるということは本当の意味でも近道である。山をのぼらずともトンネルをくぐれば早いのと同じく、自転車をくぐることで早く目的地に到達できる場合もある。
くぐると物理的に早いこともある
さらなる高みへ
こうしてさまざまな恩恵をうけながら移動をしていると、すごいものを見つけてしまった。
絶妙な間隔があいた9台の自転車たち
これまで色々なパターンの自転車を見てきたが、ギチギチに並べられた自転車はどうしたってくぐりようが無かったので断念していた。
しかしこの9台の自転車はどうだ。絶妙な間隔が開いており、全てほどよい隙間がある。できるものならば一気にくぐりたい。
稲荷神社の鳥居タイプ
なにかに似ていると思ったら、これは稲荷神社だ。願いがかなった人が奉納していくという鳥居のように、自転車がきれいに並んでいる。
稲荷神社
自転車の下
連なる鳥居
連なる自転車
頑張れ自分
思わずゴクリと唾を飲み込む。
くぐれるものはくぐっていくのが信条だが、ここまで見事に並ぶ自転車を見るとさすがに怖気づいてしまう。
しかしこの試練を乗り越えることができたなら、また一歩大きく成長できる気がする。色々な難関をくぐり抜けてきた今の自分なら、きっとできるはずだ。
入念なシミュレーションをしてから
いざ!
商売繁昌
産業興隆
家内安全
交通安全
芸能上達
寿司食い放題!
調べたところでは、お稲荷さんのご利益は商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達と幅広く、どうせならと全てを願いながらくぐった(最後のは普段の願望)。そして見事成功することができた。
これで私の未来はあかるい。くぐるという事は縁起がよくて、とても素晴らしいことなのだから。
一台あれば好きなだけくぐれるけどね
くぐりたかっただけだ
最後はまるで煩悩まみれのようになってしまったが、そもそもは「止まってる自転車の下くぐれそうだな、一度くぐってみたいな」という純粋な気持ちからうまれた企画だ。
まさかこんなにくぐれるものとは思っていなかった。何事もやってみなければ分からないという事を学んだ。くぐると学ぶことが多いのだ、本当だ。