特集 2014年6月16日

いいことをしてドヤ顔をする

ドヤ顔練習中
ドヤ顔練習中
ドヤ顔という言葉がある。どんなもんだと得意になっている表情を揶揄した表現だろう。
大したことでもないのに自慢げな様子は、鼻白むものがある。しかし、何かいいことをした実績を伴うドヤ顔ならば、許されてもよいのではないか。

いいことしたからドヤ顔するぜ。その方程式を解いたところには、ドヤ顔をする者とそれを見る者との対等な関係が生まれるはずだ。

イーブンなコミュニケーションとしてのドヤ顔を実践してみたい。
1973年東京生まれ。今は埼玉県暮らし。写真は勝手にキャベツ太郎になったときのもので、こういう髪型というわけではなく、脳がむき出しになってるわけでもありません。→「俺がキャベツ太郎だ!」

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相反する感情に引き裂かれて

きっかけは、家事を手伝ったことだった。

ある日の夕食後、その日は妻が食器洗いをすることになっていたのだが、疲れているように見えたので私が代わって行うことを申し出た。
(再現)「よし、今日は僕が洗おう!」
(再現)「よし、今日は僕が洗おう!」
家事の中でも食器洗いが好きではない妻。私が黙々と洗っていると、後ろから様子を見ながら「ありがとう…」と言ってきてくれた。

そこまではよかったのだ。
(再現)「そう?やっぱうれしい?ねえ、うれしい?」
(再現)「そう?やっぱうれしい?ねえ、うれしい?」
「やっぱうれしい?いやー、そうだよねー、うれしい?ねえ、うれしい?」と妻に聞く私。

質問に対して妻は「うれしいわよ!」と怒声を放った。

怒りながら喜んでいる。なぜだ。矛盾する口調と言葉は、それを受け止める者を混乱させるのだ。
  (再現)「うれしい?ねえ、うれしい?」
(再現)「うれしい?ねえ、うれしい?」
いいじゃないか、皿洗ったんだからちょっとくらいドヤ顔したって。そのときはそう思っていた自分。

しかし今思うと、テカテカのドヤ顔でそう聞く私はとてつもなく恩着せがましかったのだろう。アニメーションGIFでチカチカ動く自分を見てわかったが、妻は相当なストレスを感じたと思う。

善行とドヤ顔で妻を引き裂いていたのは僕の方だったのだ。

これは善行に対してドヤ顔が過剰だった例だ。悔い改めて、いいこととドヤ顔とがフラットになるバランスを考えてみたい。

ドヤ顔のベストバランスを求めて

自分で自分の写真を見て思う。僕はやり過ぎだった。

もっと人に受け入れられやすい、自然体のドヤ顔を身につけたい。そう思いながら街をさまよう私の目に入ってきたものがあった。
センターを張るアンパンマン
センターを張るアンパンマン
もうアンパンマンエイジじゃないけどな
もうアンパンマンエイジじゃないけどな
アンパンマンのジュースだ。中でも、カレーパンマンとバタコの笑顔に挟まれたアンパンマンの表情が輝かしい。
正義に裏打ちされたドヤ顔
正義に裏打ちされたドヤ顔
過剰に至らず、それでいてしっかりと意志の感じられるドヤ顔。さすがに普段から悪をとっちめたり、自分の顔を人に食わせたりしてるだけあって、ドヤ顔が板に付いている。なるほど、この感じか。
ドヤ顔前提の家事
ドヤ顔前提の家事
自分もアンパンマンを見習って、ナチュラルかつ自信に満ちたドヤ顔をしてやりたい。そのためにはドヤ顔をする大義名分が必要。今回は風呂そうじをすることで、ドヤ顔を放つエネルギーをチャージしよう。

よし、一通りそうじが終わったぞ。振り向きざまにいってみよう。
ナチュラルテイストなドヤ顔目指して
ナチュラルテイストなドヤ顔目指して
アンパンマンを意識したことで抑制が効いてきた。身の丈にあったドヤ顔になってきたと思う。妻も「これくらいならぎりぎり大丈夫」と言っている。

そして続けて言うには、「あと、川越シェフ見るといいんじゃないかな」。
 いいドヤ出てます
いいドヤ出てます
そういうわけで新たなドヤ顔の方向性を求めるべく、川越シェフが監修したパスタソースを買ってきた。パッケージに印刷された表情は、いい具合にドヤッている。
セルフチェックで研究を重ねる
セルフチェックで研究を重ねる
自分のセンスと味への探求心に自信があることを示すドヤ顔。シェフのこの表情と、実を伴ったドヤ顔を実践するというこの記事のテーマは一致しているではないか。

鏡に映る自分を見て、心の中で小さく「ドヤッ…ドヤッ…」と唱えながら表情作りの練習をする。
ドヤ顔のためなら気持ちよく家事もできる
ドヤ顔のためなら気持ちよく家事もできる
鏡の中の表情に納得したところで、続いては大義名分作りだ。今度は掃除機をかけよう。無意味なドヤ顔は空虚なだけだが、こうした実のある行動があれば免罪符になる。

よし、大体きれいになった。満を持して放とう。
川越仕込みでドヤッ
川越仕込みでドヤッ
妻曰く、「うーん…いちいちこんな顔されるくらいなら、してくれなくてもいいかな」。

どうやら今回はドヤ顔過剰になってしまったようだ。自分でも写真を見るとなんとなく腹立たしさを感じるので、他人に向けたときにそれが加速するのは推測できる。善行とドヤ顔のバランスは意外と難しい。

羽ばたけドヤ顔

ここまでいくつかドヤ顔をしてみて気付いたことがある。受け手の気持ちを除外して考えれば、ドヤ顔するのは意外と気持ちがいいということだ。
木に栄養剤をあげて…
木に栄養剤をあげて…
ドヤッ!
ドヤッ!
例えば鉢植えに液体肥料を挿してドヤッてみる。うん、いいことしたぞ、という気持ちになる。

ただ、撮影係の妻は「私のほう向いてそんな顔されても…」と困惑気味。それは無理もない、妻にとっての善行ではないからだ。ドヤ顔の方向が間違っている。
方向を修正してドヤッ
方向を修正してドヤッ
誤りをすぐに直せる柔軟性はもっていたい。顔の方向を改め、木に向かってドヤッである。

方向を修正したはずなのに、いよいよ頭おかしい感じになってきた。やはりドヤ顔は人に向けて初めてその意味を為すのかもしれない。

しかし、もう飽和状態の妻にこれ以上ドヤ顔を向けるのは気が引ける。ちょうど父の日も近い、実家に行こう。
光の具合でピッカピカのドヤッ
光の具合でピッカピカのドヤッ
父の日のプレゼントとして持参したのは、父がいつも飲んでいるお酒。これはドヤッていい場面だろう。

そういうわけで「記念写真を撮ろう」とよくわからない流れを提案して撮影。私のドヤ顔がいい具合のさじ加減だ。父の無表情とのコントラストもまぶしい。

ここはもうひと押ししておきたい。父の日の定番孝行と言えばやはり肩もみだ。
的確なリズムでのドヤッ!ドヤッ!
的確なリズムでのドヤッ!ドヤッ!
「別にそんなに凝ってないんだけどな」という父の言葉はスルーして、肩に手をかける。ひと押しずつ、指先に力を込めるたびに心の中で「ドヤッ!ドヤッ!」と唱える。

果たしてこれはいいことなのだろうか。うっかり善行とは何かという根源的な問いかけが心に浮かんできたが、それは無視しよう。
ファイナルドヤーッ!
ファイナルドヤーッ!

善行とドヤ顔とのプラスマイナスゼロを模索した今回の試み。研究の結果、ドヤ顔の幅は広がったと思う。

読み手の方々は善行の対象でもないのにドヤ顔を押しつけられたという気持ちでいっぱいだと思う。結果的に一方的なドヤ顔となってしまい申し訳ない。

上の写真は栄養ドリンクを手にしてのドヤッ。言われてみれば「リポビタンD」のDは「ドヤッ」のDかもしれない。
リポビタンドヤッ!
リポビタンドヤッ!
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