成し遂げてないけど肖像を残す
独特の雰囲気をもつ偉人たちの肖像。その人の功績を詳しく知らなくても、「何かを成し遂げた人」という印象は受ける。
僕は何も成し遂げていないし、これからも成し遂げる予定はないが、偉人風の肖像だけ残しておけばそそっかしい未来人から尊敬されるかもしれない。
そこで偉人風の写真を撮影することにした。
こちらは本物の偉人・大久保利通
偉人風写真を撮影するにあたり、様々な肖像を研究したところいくつかの特徴が見えてきた。
・アングルはやや斜め
・正装
・自信満々
・ヒゲ
・偉そう
挙げてみたら、研究というほどのものでもなかった。特に「偉そう」というのはヒドい。
しかし、裏を返せば偉人っぽい写真を撮るのに特別なメソッドは特にいらないということだ。偉人の敷居は意外と低い。
千石興太郎。「ザ・偉人」というたたずまい
ソファへの掛け方がいかにも偉人という千石興太郎先生。こういう堂々たるたたずまいが、偉人とただのスナップ写真の別れ目となる。よく知らない人に偉そうにされたら腹が立つが、偉人は本当に偉いので問題ない。
一方、偉そうな感じじゃなく物憂げな雰囲気を醸し出す偉人もいる。こっちのアプローチで攻めるという手もある。
物憂げな夏目漱石先生
プロジェクターのスクリーンを背景にする
まずは物憂げから攻める
うん、ダメだ。「この人なんか色々たいへんそうだな」という感じはするが、偉人らしさは全然ない。
まず服装がダメだ。1500円のポロシャツでは偉人になれない。
ということで、正装した
だいぶ近づいた感じもするが、まだ偉人という感じではない。どちらかというと昭和40年代のお見合い写真みたいだ。それにしたってこんなポーズ決めてる人と結婚したくないけど。
モノクロにしてみた
モノクロにすると、偉人感が2割くらいアップした。遺影感も5割くらいアップしたけど、もうひと超えだ。
肖像風の加工をかけてみた
さらに、フォトショップで写真全体に粒上のフィルタをかけ、後光が差してる風の加工を施した。おお! これはかなり偉人。
と、自分的にはすでにかなり偉人だが、まだ貫禄が足りない。そこでヒゲを蓄えてみた。
ヒゲをたくわえた偉人
加工ドン! で偉人に
和装だと、なんとなく芸術系の偉人っぽくなる。もちろん僕には何の芸術的才能もないが、横山大観と同期ですみたいな雰囲気だけは出ていると思う。
若かりし頃
物憂げリベンジ
文豪はひじ置きがち
さて、肖像画をいろいろ見ていると、ジャンルなどによっていくつかのパターンがあることに気づいた。たとえば文豪系は、写真を撮る際にひじをどこかに置きがちだ。
芥川龍之介しかり
志賀直哉しかり
泉鏡花や
尾崎紅葉も。ひじの使い方に特徴がある文豪たち
なんか見てる
また、カメラ目線ではなく、「何かを見ている」系の肖像も多い。その視線の先が気になる偉人たちである。
諭吉先生、どこを見ておられるのでありますか
佐久間象山。横から何か来ている系
おなかが空いているのかな? という感じもする
ブロマイド風
一方、アイドルのブロマイド風の肖像もあった。
中岡慎太郎
野口英世
偉人の肖像はだいたい怖い顔で写っているので、微笑みをたたえた写真というのは珍しい。特に野口英世のものはサインも入っていて、よりブロマイド感が強い。
野口英世風
大物政治家風
倍返し風
また、横からのアングルの肖像というのもけっこうある。なんとなくアンニュイな偉人たちの横顔には思慮深さが漂う。
児玉源太郎
森鴎外
そんな横顔アングル界のトップスターといえば、やはりこの人だろう。
そう、正岡子規
私ごとだが、横顔が正岡子規に似ているとけっこう言われるので、数々の偉人の中でも正岡子規には特別な思いを抱いている。そのリスペクトの気持ちを込めたラストの肖像がこれだ。
名は常規です
偉人かどうかはともかく、最後の一枚はなかなか肉薄できたいのではないかと思う。
いつか偉人になりたいです
教科書に載っていた数々の偉人。小学生の頃は落書きのターゲットでしかなかったけど、いま改めて眺めてみると歴史に名を刻んだ人物ならではの重みが写真からも伝わってくる。
今回は写真だけでお茶を濁したが、できることなら本当の偉人になって、100年後の教科書に載りたいものである。