駅の休憩スペースに高齢者が集まっている
東京都北区の某駅
とある駅の商業施設に、無料の休憩スペースがある。そこにはいつも高齢者が座ってワイワイしゃべっている。
奥に見えるのはスターバックス。右に見えるのがその休憩スペースだ
80歳くらいの女性が5人くらいいて、今日も会話をしている。僕も高齢者の人たちに並んで座った。
「昨日美容室で染めてもらったの」
「ハア~」
「10年間ずっと自分で染めていたんだけれどもね、めんどくさくてね」
「ウンウン」
ぼんやりとした会話を書き起こすの難しいですね。とにかく髪染めは面倒だから、思い切って美容院でやってもらった方が楽でいいとのこと。高齢ライフハックだ。いや、高齢関係ないかも?
「××さんは今日来ていないみたいだけれども、なんでこないの?」
「こんなに天気がいいのにね」
「何しているのかね」
「そういえば、この辺をうろついている女のホームレスも今日は見ないね」
「今日はあんた何時に帰るの?」
「4時には帰る」
「4時半」
「5時」
話題がないのか、この集まり自体についての話ばかりをしている。なんだかサラリーマンが居酒屋で「この間した飲み会の話」ばかりをしているような感じだ。
飲み会で過去の飲み会の話をする……僕はアキレスとカメの寓話を思い出しました
みんななんで会話をしているんだろう
この集まり、5人いて、元気なリーダーみたいな人がいる。話の中心にいるのはその人。会話に参加しているのは向かって右側にいる二人。左側の二人はリーダーの方を向いていているけれどもしゃべらない。一番左にいる人は半分寝ている。
「足がよければもっといろんなところに行きたいんだけれどもね」
「私は(某駅)から出る全部の行先のバスに乗ったことある」
「バス使えばいいんだよ、バス」
「足に塩をつければ足はよくなるっていってた」
「何?塩?」
バスの行先コンプリートしたとか(すごくたくさんある)、塩で足がよくなるとか、「それほんと?」と思わず脇から突っ込みたくなる。この後「足に塩をつけてよくなるわけがない」と否定の雰囲気になったのが、なんかホッとした。
会話の続かなさ
それにしても会話が全然続かない。一つの話題でリアクションが2、3あって、それで終わりだ。話している人は再度同じ話題を振る。そしてまたリアクションが2、3という感じである。それが何回かあって、次の話題に行く。
なんでみんなここに集まっているんだろう。
巣鴨のマクドナルドでお化けの話
高齢者といえば巣鴨だろう、ということでやってきた。場所はマクドナルド。
巣鴨のマック
ソフトクリームが「ご長寿ソフトクリーム」に。さすが巣鴨
80歳の女性2人の隣に座った。
「男の人も嫌がるのよ。何もいないところでガタンって音がしたりして。息子も嫌がる」
「○○(人名)は?」
「○○そもそも人が嫌いだからムリだ。誰ともしゃべらない。行けないわよ」
「(ガタンって音は)最近死んだ誰かなのかな」
心霊現象の話をしている。
どうやらマンションの管理(?)をしていて、お化けが出る場所に行かなくてはいけないけれども、自分では行きたくない様子。
心配事が「お化けが出る」こと自体よりも「お化けが出るところに誰も行ってくれない」という風に具体的である。
マックのポテト食べながら、込み入ったお化けの話聞いている
「管理を業者にまかせてみれば?」
「そういうことすると毎月****(聞き取れず)円くらいお金かかるって」
「他にないの? 管理やってくれる会社」
昼間のマクドナルドですごい話をしてるんだな……。スマホでmp3聴きながらツイッターなんてしている場合じゃないぞ、これ。
お化け全然嫌がってないのに自分でやるのは嫌みたい
「4時過ぎたから帰んないといけないんじゃないの?」
「なんの。まだ明るいでしょ~」
「本当に日も長くなったね……」
まだ明るいから帰らなくても大丈夫、とかいいつつも、この後二人はすぐに帰った。お化けがどうなったか後日談が聞きたいところだが、その機会は永遠にない。
「ちょうだい」っていう人
マクドナルドに行ったその足で、とげぬき地蔵にも行ってみた。
とげぬき地蔵はアジア系観光客すごく多い
いいベンチがある
80歳くらいの女性二人の会話である。
「『ちょうだい』って言う人いるのよ。『要らないならちょうだい』っていうの。この間私が『ダウンのコート要らないのがある』っていったら『じゃあそれちょうだい』っていわれてビックリした。」
「××さんね。私もそれ言われた」
「そう。私は『娘がいるから、娘にあげないと』って言って断っちゃった。でもあんなに簡単に『ちょうだい』って言えるのって、ねぇ……。コート8万したのよ」
「私は『ちょうだい』っていわれてあげちゃったけれども。でもそれ、着てこないのよねぇ」
二人共通の「ちょうだい」っていう友達がいるようだ。聞いていて、コートあげちゃえばいいのになあ、と思った。それにしてもダウンで8万とは良いコートだ。
話聞きながらなんとなく花を撮った。きれいに咲いていた
青木先生は玉とか年賀状をくれる
いつのまにか別の人の話題に変わっていた。
「青木先生がね、中国から持ち帰った玉が二つあって、それをたまに手元で転がすの」
「青木先生は今年素敵な年賀状くれたわ」
「青木先生はね、××さんには年賀状に一言手書きでそえてあるけれどもね、私のにはそえてないのよ」
共通の「青木先生」(仮名)という人の話。中国みやげをあげたり、年賀状をあげたり、社交的な人である。
中国の玉って何?概念?
ところで、この二人の会話、なんとなくガールズトークっぽい(僕は高校生の頃、男子が自分一人しかいない美術部に入っていたのでガールズトークについてなんとなくわかる)。
そういえば、街に出て話をしているのはおばあちゃんばかりだ。高齢の男性の会話は結局聞けなかった。
ただ人の話を聞くということ
みんなヒマそうに話をしているなあ、と思ったのだが、それをわざわざ聞きに行っている僕も相当ヒマである。
会話に参加せずにぼんやりと話だけ聞いている(つまりなにもしていない)と、自分の存在がどんどん薄くなってゆくように感じる。
そういえば、大学生のころ、ヒマでお金がなくて、近所の公園のゲートボールをずっと見ていたことがあった。こうして無為に時間を費やして、自分自身ももどんどん枯れてゆくのであろう。
「若い人を観ると元気が出るわねえ」なんて言って、路上アイドル(?)を観ている高齢者の人たちもいた。でも歌いだしたらすぐに立ち去ってしまった