正真正銘の猫島へ!
猫島というものがある。ネコがたくさん住む島のことだ。ただし多くの場合、島民の数とネコの数では、どちらが多いのか分からない。ネコがたくさんいても、島民の方が多ければ、それは人島だ。そう呼ぶのが正しい気がする。
愛媛県の伊予長浜駅にやってきました
しかし愛媛県にある「青島」は間違いなく猫島と呼んでいいだろう。それはあきらかにネコの数が多いからだ。この島の島民は15人。ただしネコは100匹もいるのだ。数の暴力。圧倒的な数だ。これは猫島以外のなにものでもない。
猫島で間違いない!
青島という猫島
その猫島に行こうと愛媛県の長浜港にやってきた。ここから青島に向かう船が出ているのだ。一日二往復。ヤル気のない大学生の方がまだヤル気を感じる本数だ。もはや青島は幻のように思える。その幻の理由はもう一点ある。この船は少しの風でもすぐに欠航になるのだ。
海の様子を職員の方が見て、
はい、欠航!
セールスを断る時でもこんなにも自然に結構です、と言わないと思う。しかしこの船は少しの白波でも欠航となる。写真があるということは、まさにこの欠航を体験したわけだ。素人の私には静かな海に見えたが、プロの方から見れば荒れ狂う海なのだ。
途方に暮れる
幻の島に上陸
結局二日目のチャレンジで船は無事出航することになった。ここを訪れた時はまだ冬のど真ん中で、一度荒れると2、3日は荒れ続けると聞かされていた。欠航の前日は船が出ていたそうなので、一日の欠航で船が出るのはまさに私の日頃の行いがいいからだろう。春は海が静かで狙い目らしい。
青島、船でるってよ
朝7時台に出航するこの船。乗客は男性の私と地元のテレビ局の男性2人、そして釣り客の男性3人だった。船を操縦するのも男だ。実に男臭い船であった。
近年は猫島が人気で女性が多いと聞くが、この船を見る限りそうではないらしい。午後の便は女性もいるそうだが、午前のこの便は男が集う船になるようだ。
上陸すればネコだらけ!
45分の船旅が終わり、猫島に到着するとそこはネコだらけであった。トンネルを抜けると雪国という例はあるが、船を降りると猫島ということもあるのだ。
もう猫だらけ。秋の落ち葉のように猫がいる。あ、ごめん、という声が聞こえる。誰かがネコふんじゃったのだ。踏まないのが困難なほど、ネコがいる。
ネコ、ネコ、ネコ
猫島ブームが私に来ていたのでいくつかの猫島を訪れたが、こんなにもネコがいたことはなかった。
この船で新聞が届いたりするため、島民が港で待っている。それがなんだか嬉しい。ネコよりも圧倒的に島民が少ないので、この島では人間の方がレアキャラなのだ。
少し前に問題になったガチャを回すタイプのアイテム課金だったら、島民はなかなか出てこないと思う。
ネコは朝から喧嘩していた
島の歴史
路地裏でネコを見かければ急いでスマホを取り出し、シャッターを押す。しかし、この島ではネコだらけなので、風呂上がりのようなテンションでカメラの電源を入れて、シャッターを押せばいい。もはやどう撮ってもネコが写るので、ファインダーをのぞく必要もない。
長毛のネコもいた!
この島は元から正真正銘の猫島だったわけではない。最盛期には800人の島民が住んでいた。人島だ。イワシ漁で栄えた島なのだ。
民家が次々に建ち、小学校や中学校もできた。民宿もあったそうだ。半世紀以上昔の話。
しかし栄えた時間は短く、やがて漁師は少なくなり、民家は廃墟となり、小学校、中学校は廃校となった。
廃校になった小学校
現在、この島の漁師は一家族だけ。自動車も自転車も走っていない。お店はなく、民宿もない。
漁師が減ってからも、廃校となった学校を使い、夏は林間学校があったり、観光客が民宿に泊まりに来たりと、漁ではない方向で栄えたようだ。
しかし、バブルがはじけるとそれもなくなったそうだ。バブルの影響はこんな小さな島にもあったのだ。
このお話はこちらのお母さんに聞きました!(民宿を経営していた)
お母さんは兵庫の生まれでこの島に来たのは、すでに島民が減りはじめていた時期だ。その当時からネコはいたそうだが、こんなにはいなかった。せいぜい30、40匹だったそうだ。それでも十分に多いように思えるが、現在は100匹。人島が猫島になったのだ。
魚を待つネコ!
実はネコの数は年によってばらつきがある。今年は気候がよく、生まれた子供が順調に育っているので、このような数になっているそうだ。
ネコに優しい人も多いようでエサをあげる島民の後ろにはネコが行列をなす。釣り客も釣れた魚をあげるので、ネコは食うにはこまらないようだ。
魚をもらったネコ!
廃墟の魅力
ネコに目が行きがちだけれど、廃墟もまた見所だ。島民が多かった頃の名残。それが十分に残っているのだ。朽ちてはいるが、当時の生活が見えてくる。ここには間違いなくネコ以上に多くの人が住んでいたのだ。
廃校の小学校にあったレコード
昭和40年の小学一年生
昭和40年の小学一年生は現在は子供どころか孫がその小学一年生になっている可能性もある。小学校にあった運動会用のレコードにも時代を感じる。レコードはCDとなり、今ではデータの時代だ。
昭和60年生まれの私だってレコードを知らない。時が止まったという表現があるが、まさにそれだ。その間にもネコは順調に増えたわけだけれど。
時が止まったもの観察する
その後、時が止まっていないことを実感する
ネコに馴れる
私は被写体としてのネコは大好きなのだけれど、なれ合うタイプではない。怖いのだ。ネコの爪は凶器だ。ネコが多いこともあり、ネコ同士の喧嘩もよく目にする。私が神父ならば聖水をかけるかもしれないような声をあげガンを飛ばし合っている。悪魔がいる。
悪魔に取り憑かれたような声で喧嘩している
しかしそんなことは言っていられない。ネコ写真はネコの目線に合わせて撮るのがいいと思うので、しゃがんで撮っているとネコが乗ってくるのだ。この地域の大地主ですが、みたいな感じで堂々と来るので何も言うことができない。
乗ってくる
爪が痛かったりするが、恐怖という感覚はやがて麻痺してきて、怖いという感覚がなくなる。最初は嫌いだったけれど、結婚する同級生カップルはこのような感じなのだろうか。同窓会で、「え、結婚したの!」と驚くやつだ。私はそもそも同窓会に呼ばれたことがないので推測だけれど、きっとこんな感じのはずだ。
挨拶するようになる
同じネコと何度もすれ違うので(毛の感じが似ているだけで実は違うかもしれないが)、手を上げて「よ!」と、同じ講義を受ける友達のような感じで挨拶をしてしまう。ネコは一瞥するだけだけど。ネコを怖いと思いながら、船に乗っていた数時間前を懐かしく感じる。
これだけいれば麻痺するよね!
新たなる趣味に目覚める
ネコに対する恐怖がなくなるだけでなく、ネコの新たなる可愛さに気がつくようにもなった。それはネコが私の好みのタイプの女性に似ているということだ。冷たい感じが好きなのだけれど、ネコがまさにそうなのだ。
私を見ない
体は私の方を向いているけれど、横や後ろが気になるのか、コチラを向いてくれない。甘ったるい声で「こっち向いてよ」と言っても、向かない。あきらめて立ち上がった頃にコチラを向く。この感じが私の心のそういう部分をがっちりと掴んだ。
全然こっちを向かない
僕を見てよ!
猫島の魔法
この島へは一日二往復、船が出ている。午前の便と午後の便だ。午前の便は島に着いた5分後に長浜港に向かい出発するので、帰りは必然的に午後の便となる。午後の便は15時過ぎに着いて、一時間後に長浜港に向け出航する。そのため多くの観光客は午後の便で来て、1時間だけネコを楽しむらしい。
時刻表!
午前の便で来るのはよっぽどのネコ好きか、暇な人なのだ。私は後者に当たる。タイムイズマネーの現代においては多くの人がさくっとネコを楽しむのだ。もっともこの島はネコを探す手間はないのでネコだけなら1時間でも十分に堪能できる。
すごい!
午後の便は人も多く、ネコを心得ている人も多いようだ。エサを持参してくるのだ。そのためアイドルのライブ会場のような盛り上がりを見せる。エサを持っていない人間などスルーである。眼中にもないようだ。
誰もコチラを見ていない!
あの蜜月な日々を思い出してほしい。僕の膝で海を一緒に見たこと、僕と視線を合わせなかったことなど、あの春の太陽のような暖かな日々を。
しかしどのネコも思い出さない。もう私など全く興味がないようだ。エサの前で愛など無力なのだ。
しかしネコを恐いと思っていたのに、ネコに相手して欲しいと願うのは、やはり猫島の魔法なのだろう。戻ってきてからはキチンとネコが恐い。魔法はとけるのだ。
猫島の様子
レンズを買ったら猫島へ
そもそもネコを怖いと思っている人がなぜ猫島に行ったかと言えば、カメラのレンズを買ったからだ。よいレンズにはネコが一番栄える気がする。よりかわいく写るのだ。視線をいただければさらに嬉しかったのだけれど、それはそれでゾクゾクしてよかったので、またレンズを買ったら猫島に行こうと思う。レンズを買ったら猫島なのである。