地吹雪が名物の津軽平野
妻の実家のある五所川原市飯詰地区でも「飯詰稲荷神社裸参り」として、毎年大晦日にお供え物をまわし姿の男衆が運んで奉納するというお祭がある。
村の中心部から稲荷神社までの700メートルあまりをお供え物を担いだ男衆が練り歩き、奉納してお参りする。やることとしてはただそれだけの祭りだ。
しかし、津軽地方の冬はただでさえ地吹雪が吹いて寒い。参加するだけでいきなり罰ゲームのような祭りである。
村の中心部から稲荷神社までの700メートルあまりをお供え物を担いだ男衆が練り歩き、奉納してお参りする。やることとしてはただそれだけの祭りだ。
しかし、津軽地方の冬はただでさえ地吹雪が吹いて寒い。参加するだけでいきなり罰ゲームのような祭りである。
まだまだこんなのは序の口だ
普通ならばあまり参加したくはない祭りかもしれない。ところが、この祭りは村の人でなくても事前に申し込めばだれでも自由に参加できるのだという。
「参加自由」と言われると「せっかくだから参加してみようか」という気持ちにもなってくる。結局、好奇心のほうが競り勝ってつい参加すると言ってしまった。
「参加自由」と言われると「せっかくだから参加してみようか」という気持ちにもなってくる。結局、好奇心のほうが競り勝ってつい参加すると言ってしまった。
ちょっと怖気づく
12月31日正午、集合場所となっているお宅に向かう。
幸い天気はよく、地吹雪は吹いてなかった
これってもしかして……
集合場所となっているお宅には水がたっぷり入った大きな樽がいくつも置かれていた。いきなり胸騒ぎのするアイテムである。
「これって、もしかして……入るんですか?」とそこにいたおじさんに尋ねたところ「あたりめーじゃねーか、アッハッハ」と陽気に答えてくれた。
「これって、もしかして……入るんですか?」とそこにいたおじさんに尋ねたところ「あたりめーじゃねーか、アッハッハ」と陽気に答えてくれた。
あたりめーだ! 入るんだよ! アッハッハ
あー、そうですよね~、入りますよねー。
自ら言い出したこととはいえ、その運命の苛酷さに今更ながら怖気づきそうになった。
自ら言い出したこととはいえ、その運命の苛酷さに今更ながら怖気づきそうになった。
まわし姿に着替える
集合場所のお宅ではすでに参加予定者が着替えを始めていた。着替えるといっても、服を脱いでまわしをしめるだけなのだが。
ぼくは当日になって急遽参加申し込みしたのだが、折よく神社のまわしが残っており、参加することができた。
ぼくは当日になって急遽参加申し込みしたのだが、折よく神社のまわしが残っており、参加することができた。
着替えます
着替えました
もちろん、まわしをしめるのは初めてだったが、しめ方を他の参加者の方に教えてもらい、なんとかしめることができた。
地元の人は子供ぐらいしかいない
総勢17人ほどの参加者のうち、地元のひとは小中学校と高校生の子供たちだけで、それ以外の大人はすべて県外から来て祭りに参加している物好きな人たちばかりである。
取材される
そんな中、外の樽が置いてある場所では粛々と神事が執り行われていた。
女性の神主さんが祝詞をあげる
テレビの取材もやたら多い
この日はテレビや新聞などの取材もたくさん入っていた。大晦日や元日はニュースがあまり無いらしく、こんな田舎の祭りでも全国ニュースで放送されることがあるらしい。
なぜか神輿の重さを何回も確認していたテレビ局のひと
テレビ局の記者に、最高齢の方はどなたですか? とか、神輿の重さはどれぐらいですか? など、いろいろ質問されたのだが、みんな県外から参加しているひとたちばかりなので誰もハッキリと答えられない。
申し訳ないので、ぼくが「神輿の重さは700キロぐらいですかね?」と冗談を言ったら「ハハッ」と軽くあしらわれた。たぶんぜったい「つまんねーこと言うなコイツ」と思われたに違いない。
申し訳ないので、ぼくが「神輿の重さは700キロぐらいですかね?」と冗談を言ったら「ハハッ」と軽くあしらわれた。たぶんぜったい「つまんねーこと言うなコイツ」と思われたに違いない。
取材中です(メモとかとれないけど)
しかし、取材ということで言えば、ぼくも取材である。同じ取材でもこっちはなぜか勢い余って参加してしまっている。この違いはいったい何なのか?
ぼくはすでにまわし姿になってしまっていたので、写真もメモもとることができず、取材という行為がよくわからなくなってきた。
ぼくはすでにまわし姿になってしまっていたので、写真もメモもとることができず、取材という行為がよくわからなくなってきた。
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痛い
玄関で取材を受けたりしているうちに、祭りが始まった。
ここから先は記憶があやふやである。ただ、うぉーと叫びながら水桶に入ったことだけは覚えている。
ここから先は記憶があやふやである。ただ、うぉーと叫びながら水桶に入ったことだけは覚えている。
写真をみると平気そうな顔をしているけれど、痛がってる
水桶の水自体はもちろん冷たかったものの、銭湯によくある水風呂だと思って入ればなんとか耐えることができた。
しかしこの時、神社から支給された軍足を履いていたのだけれど、この軍足が曲者であった。
肌に直接水が当たるぶぶんは、水が対流しているので平気なのだが、冷たい水を含んだ軍足はそのまま肌に張り付いてつま先をグイグイ冷やし始めるのだ。
冷たいを通り越し、痛い。
しかしこの時、神社から支給された軍足を履いていたのだけれど、この軍足が曲者であった。
肌に直接水が当たるぶぶんは、水が対流しているので平気なのだが、冷たい水を含んだ軍足はそのまま肌に張り付いてつま先をグイグイ冷やし始めるのだ。
冷たいを通り越し、痛い。
もー勘弁して!
おじさんに「ほれ! テレビカメラさ来てるぞ、もういっぺん入れ!」と何回か促されたが、もうそれどころではなかった。
ほんとうに足が痛い。
今後、水垢離する予定がある方は、軍足だけは危険だということを覚えておいていただきたいと思う。
ほんとうに足が痛い。
今後、水垢離する予定がある方は、軍足だけは危険だということを覚えておいていただきたいと思う。
お供え物を担いで奉納
水桶に入って体を清めたら、次はお供え物を担いで稲荷神社まで持ってかなければならない。
しめ縄を担がせてもらった
ここから稲荷神社まで700メートルほど、沿道には村の人が総出でバケツを持って待っており、お供え物を運ぶ人たちに水をかけて気合を入れる。のだが、みんな気の毒がってなのか、そんなに水はかけられなかった。
顔が隠れがち
その代わりに、参加している野球部の男子生徒の同級生とおぼしき女子高生の黄色い声援がすごかった。
この件に関しては、ぼくの方からは特になにも言うことはありません。
この件に関しては、ぼくの方からは特になにも言うことはありません。
草鞋を奉納して神事はおわり
足が痛い
さて、いちおう草鞋は履いているものの、水をたっぷり含んだ軍足は容赦なくつま先を冷やし続ける。だんだんと足の裏の感覚がなくなってきたな、と思ったころに神社に到着。
奉納品の数々
鳥居の前に奉納品をお供えすると、運んできた男衆は丘の上にある本殿まで一気に駆け上がり、履いていた草鞋を奉納し、参拝する。以上で神事は終わりである。
参拝が終わったら全員で記念写真
やりました!
ただ、祭りはこのあとも続く。これから参加者全員で温泉に行き、温まったのち懇親会があるのだ。
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懇親会で地元のおっちゃんの話を聞く
懇親会は、神社にほど近い集会所で行われた。
参加者と地元の人が集会所に集合
氏子総代の長峰さんからあいさつ
氏子総代の長峰さんの話では、このまつりはもともと地元の年男がやっていたらしいのだけど、ひとが少なくなり、数十年前からだれでも自由に参加できるようになったらしい。
今ではぼくのように県外からわざわざ参加してくるひとたちによって支えられているという。
そんな話のあと、参加者にぽち袋が配られた。
今ではぼくのように県外からわざわざ参加してくるひとたちによって支えられているという。
そんな話のあと、参加者にぽち袋が配られた。
気もちを貰った!
こんなのがもらえるとは思ってなかったので、素直にうれしい。
各地に出没する祭りマニア
ところで、ぼく以外の県外からの参加者はいったいどんな人達なのか? 縁もゆかりも無い田舎のお祭りに、わざわざ参加しにくるなんてよっぽどの祭り好きか、どうかしちゃってるひとだ。
Nさんのまわしは自前のものらしい
ぼくにまわしのしめかたを教えてくださったNさんは、普段は東京で会社員をしているのだが、各地の参加自由なお祭りに参加するのが趣味のひとだ。
この祭りだけでなく、翌日に藤崎町(弘前市に近い別の町)で行われる裸祭りにも参加し、正月はこのあたりの祭りをはしごをしているという。
どうやら、そういうお祭り好きのネットワークがあるそうで、このまつりに県外から参加しているひとたちは、各地のまつりで出会うのでだいたい顔見知りらしい。
悪そなやつはだいたい友達みたいでちょっとかっこいい、どんな世界にもそういうネットワークがあるものなのだと妙に感心してしまった。
この祭りだけでなく、翌日に藤崎町(弘前市に近い別の町)で行われる裸祭りにも参加し、正月はこのあたりの祭りをはしごをしているという。
どうやら、そういうお祭り好きのネットワークがあるそうで、このまつりに県外から参加しているひとたちは、各地のまつりで出会うのでだいたい顔見知りらしい。
悪そなやつはだいたい友達みたいでちょっとかっこいい、どんな世界にもそういうネットワークがあるものなのだと妙に感心してしまった。
ただで飲み食いまでさせてもらえて恐縮です
Nさんによると、中には参加費を徴収する祭りもあるなか、参加させてくれる上に食事を食べさせてくれて、さらにお礼までもらえるこのおまつりはものすごくいいお祭りなのだそうだ。
酔がまわってきました
ひとり、またひとりとだんだんひとが帰って行き、いよいよ祭りも終わりに近づいてきた。
だんだん人が帰っていく
しかし、人の少なさに反比例するように酔っ払いは増えていき、かなりわけがわからない状態になってきた。
べろべろによっぱらったおっちゃんの話し相手に
ぼくはべろべろに酔ったおっちゃんの話をずーっと聞いていたのだが、大変もうしわけないことにおっしゃっている津軽弁がさっぱりわからなかった。
ただ、今度おっちゃんの家に遊びにいくよという約束だけはした。おっちゃんが覚えているかどうかわからないが。
ただ、今度おっちゃんの家に遊びにいくよという約束だけはした。おっちゃんが覚えているかどうかわからないが。
なぜかボディビルのポージング大会が
さらに、テンションが最高潮に達した参加者と、地元の若者がなぜかボディビルのポージングでコラボダンスを始めたりとなかなかに混沌とした懇親会になってきた。
一方そのころ、妻は自宅でテレビのニュースを確認してくれていた。あれだけ取材されたので、どこかのテレビ局にちらっとぼくが映ってるかもしれないからだ。
同じ祭りを取材したメディアとしての矜持はない。だってテレビに映ったら単純に嬉しいから。
青森朝日放送の夕方のローカルニュースが始まった。
一方そのころ、妻は自宅でテレビのニュースを確認してくれていた。あれだけ取材されたので、どこかのテレビ局にちらっとぼくが映ってるかもしれないからだ。
同じ祭りを取材したメディアとしての矜持はない。だってテレビに映ったら単純に嬉しいから。
青森朝日放送の夕方のローカルニュースが始まった。
あれ、取材してたおねーちゃんじゃないか?
子供の! 後ろに立ってるの、顔映ってないけどおれ!
顔ほとんど映ってないけど、おれだ!
顔映ってないけど、真ん中の裸のデブがおれ!
顔がほとんど映ってなかった!
おっちゃん、ぐでんぐでんに酔ってた
ふだん、地方を旅行しても地元の人と話をしたり、交流したりすることはあまりない。
しかし、こうやって地元の祭りに参加することによって、わりとすんなりと地元の人の輪の中に入っていけて、普段聞けない話を聞いたり、おもしろいおっちゃんに会ったりすることができたので、これはこれでけっこう楽しかった。
ただ、津軽弁が難解で、聞いた話の半分ぐらいは忘れてしまったが、その代わり楽しくおしゃべりしたなーという思い出だけが残った。