漏らすことへの恐怖=死の恐怖
終電に乗ってもう途中下車できない――
高速道路が渋滞している――
そして、膀胱がパンパンだ。
そんなとき、どんな励ましの言葉も、医学的な知識も、無力である。 本当に人間を動かすのは整然とした説明や豊かな知ではないことに気づく。
漏らすことは、社会的な死である。一度漏らしてしまえば、もう漏らす前の自分には戻れない。
フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユも言った。死に対する恐怖は、排泄物に対する恐怖に近い、と。
トイレの遠い河川敷などは、膀胱にとって脅威である
おしっこ我慢法を結集
我々は近代人として「お漏らしはNO!」という規律を守り続けて行かなければならない。
知は膀胱の圧迫という暴力的な出来事を前に無力だが、未完成の知をチューンナップすることも不毛ではない。
自分の経験だけでは心もとないので、デイリーポータルZの関係者に、Facebookでおしっこを我慢する方法について尋ねた。
知の最前線
ありがたいことにすごい勢いで情報は集まった。これらを僕自身が実践して確認しようというのが今回のねらいだ。
準備は万端
トイレが近くなる気がするミルクティーを飲んで万全の体制
朝からトイレに行っていないのに加え、ミルクティーを一気に飲み膀胱をふくらませる。お腹のあたりを触ってみるとカチカチだ。この膀胱を使ってドッジボールやったら突き指する。
カメラの設定をオートにしていたため、急に写真が尿色っぽくなるときがある
「少量リリース法」
いろいろな意見が集まったのだが、その中でも衝撃的なものがあったので、まず紹介したい。名付けるとしたら「少量リリース法」となるだろう。
発案者の説明はこうだった。
我慢しきれないと思ったら、意図的にほんのほんの少しだけ、漏らします。
じんわり広がるぬくもりは、その温かみに反して「これ以上漏らしたら絶対にダメだ」と、強烈な説得力で語りかけてきます。
あちら側にわざと一歩だけ足を踏み入れて、自分の潜在能力を高ぶらせるという戦略です。驚くほど効果があるので、ぜひ試して下さい。
何かの間違いなのではないかと、何度も確認する。そう書いてある。
あえて死線に近づくことで能力をアップさせるという、漫画「るろうに剣心」みたいな話である。
にわかに信じがたいし、「要するにそれって漏らしてるんじゃないの?」と思わざるを得ないが、「驚くほど効果がある」というのであれば、試したくなるだろう。
もしこれがうまくいったら、「ためしてガッテン」に教えてあげよう。
挑戦してみます!
動く派と動かない派がいる
本題に移る。
さて、集まった色々なアドバイスの中には、我慢しているときに「体を動かす派」 と「体を一切動かない派」 があった。果たしてこの地獄と長く戦うにはどちらがいいのだろう。
まずは動く方を試してみる。
・上下動の少ないすり足、小走りで走ると意外と耐えられる
・「あ~っ!」と小さく叫びながら小刻みで高速に足ぶみをする
・スクワットをすると尿意が落ち着く
・(座っているときは)貧乏揺すり
・逆立ち
小走りはペースを維持できれば思ったより刺激がない
スクワット。さっきから表情がなくなった。
いざ実践してみると運動は刺激するのではなく、むしろ気を紛らわせてくれることを確認した。
注意が必要なのは、動いたり止まったりするとオン/オフの境目が大きな刺激にになってしまうので、動く場合は持続的に動き続ける必要がある。
動かない派の考え
一方、「一切動かない派」の意見はどうだろうか。こういうものがあった。
・とにかく動かないようにする
・脳が睡眠状態になっていれば無意識に我慢できる
素直に仁王立ちしてみる。体の中に重力を感じる。
座ってみる。かえって意識が集中してしまうのではないか。
やってみると……よくない感じがした。どんな体勢にしても動かないでいることは、繊細な膀胱に対して「重力」が大きな刺激になることを意識させてしまう。
身体的には安全なのかもしれないが、心理的に拷問のような重圧が続く。
本当に「もうだめだ!」という限界状況が近くない限り、「動かない(その場合はもう呼吸すら抑える)方法」は避けた方がいいだろう。
体の動きを止めると呼吸すら気になってしまい、浅い呼吸しかできなくなる。
ベストな運動とは
ある程度は動いた方がいいとして、どんな動きがいいのだろうか。足踏みや体操をしてみて、ベストな運動を探してみる。
動きすぎてはいけない
走ったり小刻みに動くのもいいが、長時間耐久ということを視野に入れると、ゆったりした動きが良いのではないか。
というわけで自然に生まれたのがこのステップである。
いかにも我慢している動きだが、まさにこれが一番落ち着いた。
上半身をあまり動かさないのがいい。上半身を派手に動かすと、腹筋に余計な力が働き、腹筋の力は膀胱へのうねりを呼ぶ。
このステップは膀胱への刺激も少なく、リズムに乗ることで気が紛れる。もしものときは、ぜひこのステップ踏んで欲しい。そして、このステップを踏んでいる人を見かけたら、そっとしておいて。
メンタル面で膀胱を支える
アクションだけでなく、メンタル面も我慢には大切だ。途中で投げ出さず最後まで戦い抜くためのアイデアとしては、こんなものがあった。
・漏らさずに用を足すという未来が絶対に来ると信じる
・これまでなんどもこういうことがあったけど、おれはいちども漏らさなかった。だから今回も大丈夫だ、と言い聞かせる
・尿に語りかける。「鎮まりたまえ」など
どれも前向きだ。日常では悲観的になることがあっても、本当にピンチが訪れたときにはポジティブになれる自分がいることに気がつく。
未来を信じて。
物語的イメージも重要だ
精神的なメッセージで自らを鼓舞するだけではなく、イメージをふくらませることで、この頑張りの物語性が高まる。
・ 汗で出すイメージ
・ 天災や国際問題など暗くなることを考える
・ 深呼吸をし、煩悩を捨て、宇宙のことを考える
・ エスパーマミのネタでもある、近くにいる人の膀胱におしっこをテレポーテーションするイメージをする
身体おける水分の回路だったり、世界、さらには宇宙のことまでイメージを飛躍させる。孤独な戦いではないのだという思いが、人と膀胱を強くさせるのだ。
3人で分ち合わないか!
やってはいけないこと
その他にも注意点がある。
・力を入れると抜いたときがやばい
・強い衝撃を与えるのはダメ
・水を触ると負け。手を洗うとかもってのほか。
「強い衝撃を与えるのはダメ」は、具体的に言えば階段を下るときの一歩一歩や、乗車中のブレーキだ。そして、それを乗り越えたときに「力を抜いてしまう」のも危険。
要するに「周囲の環境は全て敵」ということだ。
確かに水のイメージは良くないものを予感させた。これをきっかけに即漏らすことはないだろうが、心が揺らぐことは間違いない。
最後まで気を抜くな
全ての難関を突破して、ようやくトイレに辿り着いたとしてもまだ油断はならない。
・トイレに近づいても油断しないでだれか使用中の可能性を考えた時間配分で行動します。
・トイレが目に入ったり便器の前に立ったりすると我慢ができなくなることがある
焦りのあまりベルトが外せないことや、公共のトイレなら混雑している場合もあるだろう。とにかく最後の瞬間まで気を抜いてはいけない。爆弾処理班のような冷静な判断を続ける必要がある。
出だしは静かで落ち着いているが、途中から急に激しくなる音楽を頭の中で再生するのはどうだろうか。たとえばX JAPANの「紅」。
~~♪
クレナイだーッ!
脳内で流すのはずっと落ち着いたままの曲でもいいのだが、途中で激しくなる曲がいいと思うのは、ゴールを祝いたいという気持ちからだ。
ダメだった場合は合理化してしまえ
「100%安全」なんて神話にすぎない。万策を尽くしてもおしっこを漏らしてしまった場合、こんな方法が残されている。
・どこで着替えを買って、どうやって帰るか、これから行く場所にはどう言い訳するかを予め決めておく
・漏らしたとしても自分の人生には影響がない
・動物はおしっこ我慢しないだろうからおしっこの我慢は人間の狂った部分とも言える
・漏らしても堂々としてればOK
妙な力強さがある。開き直ってこのアドバイスだけメモしておくというのも手かもしれない。
とにかく一度そうなってしまったものは、もう取り返しがつかないのだ。
「残るは沈黙のみ」
死にゆくハムレットの最後の言葉である。
漏らし人(びと)達へ
おしっこ我慢サバイバルマニュアル
おしっこを漏らすという、我々の日常を根底から揺るがす暴力的な力に少しでも抵抗するために知識を結集させた。
覚えておきたいポイントをまとめるとこうなる。
・おしっこステップを踏むべし
・「きっと漏らさない」と信じる心
(実際、膀胱はかなり強い)
・トイレ以外に味方はいない
・トイレに来たら「紅」を歌う
・おしっこはわずかな量でもくるぶしまで伝う
以上だ。健闘を祈る。
ちなみに僕の知人は、酔って寝ぼけてトイレじゃない場所をトイレと思い込んでしてやってしまったというので、最後にそのトイレが幻じゃないかも確認してほしい。