ボート2台、総勢8名でサントス散歩
午前10時、今回の参加メンバーが勝どきマリーナに集合した。
ミスター林からのカジュアルなお誘いとは裏腹に、今回のボートクルーズには沢山の大人が関わっている。
まず、ボートを2台貸してくれるヤマハ発動機さんから広報の中村さん。またガイド役としてワンダーツー株式会社の野間さん。ボートが2台なので、船長さんが2名。そして、デイリーポータルからはべつやくさんと西村さん。そこにミスター林と私が加わり、総勢8名でのクルージングとなる。
今回の参加メンバー
ミスター林とサントス
2台のボートにそれぞれ4名ずつ乗船するが、その割り振りは以下の通りである。
A艇:サントス、ミスター林、ワンダーツー野間さん、船長さん
B艇:ヤマハ中村さん、べつやくさん、西村さん、船長さん
ボートの先端に仁王立ちして東京の水路を優雅に巡るサントス。
それがミスター林の構想なのだが、その為に全部で4台のカメラが用意された。A艇からはミスター林とワンダー野間さん、B艇からはべつやくさんと西村さんが、ボートの先端に立ってクルージングする私の様子を撮影する。
サントス散歩始まって以来の大掛かりなプロジェクトである。
「ついにサントス散歩もここまで来ましたね」
と、ミスター林がライフセーバーをつけながら私にささやいた。その横顔は敏腕コーディネーターそのものであったが、乗船前にミスター林が酔い止め薬を飲んでいたことを私は知っている。
基本このスタイルでクルージング
クルージングは午前の部と午後の部に分かれている。午前の部では東京湾を巡り、午後は神田川と日本橋川を巡る予定だ。約半日をかけて、東京の海と川を満喫するコースとなっているという。
午前中は海をいく
午前10時半、勝どきマリーナから私たちを乗せたボートが出廷した。午前中は海を巡るコースだ。船はまずレインボーブリッジ方面へと向かう。
午前中のルートをワンダーツーの野間さんが地図にマーキングしてくれたので、詳しいルートはこちらをご参照いただきたい。
さあ、サントス散歩のスタートだ!
マリーナを出て隅田川に入った途端、ボートはいきなりスピードを上げて水面を疾走し始めた。
クルージングが始まってすぐ、「ボートの先端に仁王立ちするサントス」という絵が難しいことに気づく。
必死にしがみつく
とにかくボートのスピードが速いので、先端に仁王立ちなんてとんでもない。仁王立ちした瞬間に大海原に突き落とされてしまうだろう。私はボート先端で身を屈め、なるべく風の抵抗を受けない姿勢でスピードに耐える。
疾走するボート
激しい衝撃
「ボートの先端に仁王立ち」は、各スポットに着いた時点でボートを止めてもらい撮影することにした。
最初のスポットはレインボーブリッジ周辺だ。
レインボーブリッジが見えてきた。
レインボーブリッジが近づくにつれ、ボートのスピードは緩やかになっていく。
そして、すぐに私の頭上をレインボーブリッジが覆う。水上から見上げるレインボーブリッジは格別に大きく感じる。その存在感に圧倒されていると、ミスター林から「先端に立ってポーズを取って!」と促される。
そうだった。仁王立ちをしないといけない。
レインボーブリッジと私
ボートの先端でポーズを取るが、なかなかミスター林からのオッケーが出ない。
何が正解なのか分からないまま、私は色々なポーズを取ってみた。
見栄を切る感じで
遠くを目指す雰囲気で
遠くを目指す雰囲気をB艇から
そんな私にミスター林とワンダー野間さんが同時にカメラを構える
戦いに挑むポーズで
その姿をB艇から
結局、これといった正解が出ないまま、ボートはお台場を望むポイントへと移動した。
フジテレビとサントス
レインボーブリッジ周辺ではアクティブなポーズを決めたので、今度は少しアンニュイな雰囲気を漂わせてみた。
するとそこに!
船長からの指示
お台場で私がアンニュイ・ボーイを演出していると、前方から宇宙船のような船がやって来た。松本零士さんがデザインした船、ヒミコである。
ヒミコの乗客に手を振るが
…
無反応
ヒミコに向かって手を振るよう、私に指示を出したのは船長さんだった。
マスクマンから手を振られたら大騒ぎになりますよ。一気に人気者ですよ!
船長さんは確かにそう言った。普段から東京湾で舵を取る船長さんの発言である。間違いないだろう。
しかし、現実は違った。
船長さんに確認
私は船長に「無反応でしたね」と軽く皮肉を込めて伝えてみた。船長は「ワハハハハハ」と大きな声で笑って済ませた。海の男は豪快なのだ。私もヒミコの無反応については忘れることにした。そして、船長が清原に似てることにもこの時気づいた。
船長は清原に似ている
「あ、日本丸だ!」
突然、船長が指をさして叫ぶ。
船長が指差す方向には、大きな帆船が見える。
日本丸とサントス
1930年に建造された帆船「日本丸」の二代目である。東京湾のクルージング中に日本丸に遭遇するのは珍しいことだと言う。
「これはラッキーですよ!」
と船長のテンションが上がる。しかし、私にはそのラッキーの度合いが分からない。新幹線のドクターイエローくらい珍しいのですか、と聞こうと思ったが、海の上で陸上の話など野暮になると考えてやめた。
更にボートが進むと、左手に造船所が見えてきた。
老舗の造船所
船長曰く、木製の船を造る老舗の造船所とのことであった。最近では自転車も作っているらしい。
私は老舗の造船所に敬意を表して、敬礼を送った。
造船所に敬意を表して
ボートに乗って小一時間、私のマインドが海の男へと徐々に変化しているようであった。
大きなイグアナと物マネ
続いて、船長がお勧めするスポットへと移動した。そこには大きなイグアナがいるという。
海にイグアナ? 一体どういうことなのだろうか。
突如イグアナが現れた!
これは何だ?
これはイグアナのような形をしたクレーンで、新日鉄から運ばれてきたレールの積み降ろしに使われるらしい。
イグアナクレーンと同じ格好を!
と、ミスター林と船長から指示が入る。
精一杯のイグアナ
先端ギリギリの位置で精一杯のイグアナをがんばってみた。
すると今度はB艇の方からもイグアナの姿勢を見せるように言われる。
イグアナをB艇に向けて
イグアナクレーンを真似て(B艇より)
この物マネシリーズは、他のスポットでも依頼されることになる。
ある大物野球選手が住んでいたというマンションの前で、その選手のマネをしろと言われ。
元巨人軍の大物打者(55)のマネ
その流れでB艇のべつやくさんから「イチローもやって」と指示が入り。
何故かイチローのマネをやらされる
最初の大物選手(55)は、以前住んでいたマンションの前だから物マネをする意味はあったと思う。しかし、イチローは全然関係ない。なぜ、べつやくさんは私にイチローをやれと言ったのか。イチローのマネをやった後、しばらく考えていた。
勝どき橋では
勝どき橋開閉のマネをやった
午後は神田川、日本橋川へ
さて、午後の部である。
一旦勝どきマリーナに戻って昼食をとった後、私たちは再びボートに乗り込んだ。
ちなみに、お昼休み中に西村さんがボート免許に申し込んでいたことをお伝えしておこう。
西村さんはこの勝どきマリーナまで徒歩で数分という場所に住んでいる。これは免許を取らない訳にはいかないだろう、と早速申込書に必要事項を記入していた。今後、西村さんの記事が水上中心になることが予想される。
午後の部はTシャツ一枚で挑む
午後は隅田川から神田川に入り日本橋川へと巡っていく。
神田川に入ると水路は狭くなり、ボートのスピードを上げることは出来ない。午前中の疾走感から一変、ゆるやかなクルージングである。
神田川を緩やかに進む
日本で最古の屋形船
橋の下すれすれを行く
連続して橋が現れる
秋葉原を超えて少し行くと、東京メトロ丸ノ内線の下を通過するポイントがやって来る。地下鉄の下をボートで通過。天地の関係が良く分からなくなってくる。
丸ノ内線の下をくぐる
丸ノ内線の下をくぐるとすぐ、御茶ノ水の駅が左手に見えてくる。
ここで、ミスター林は更なる仕掛けを用意していた。
地上からボートを撮る
御茶ノ水駅から神田川を渡る橋の上で、ライターの藤原くんがスタンバイしていたのだ。ここまで8名の大人が関わっていた今回のサントス散歩に9人目が加わることになる。どんどん兄弟が登場してくるウルトラマンシリーズの最終回みたいだが、これはサントス散歩の最終回ではない。
ボートが御茶ノ水に到着する前に、藤原くんが橋の上から撮影していた写真がこれだ。
ボートが到着する前の様子
左手に流れる神田川と右手を走る中央線。
この川に私たちが到着するのを、藤原くんは橋の上でずっと待っていてくれたのだ。
ついにボートが到着した!
やがて私たちのボートが藤原ポイントに到着した。上の写真の手前がB艇で奥が私の乗るA艇である。
橋の上で待つ藤原くんにとってボートが見えた瞬間がどれだけ感動的だったか、想像に難くない。
感動に震えながらシャッターを切る藤原くん
藤原くんの感動に応えるべく、私は橋の上の藤原くんに向かって精一杯のポーズを取った。
さぁ、私の胸に
この瞬間にかけた藤原くんの思いを全身で受け止める。そういう意味を込めたポーズである。
橋の上から藤原くんがカメラで応える。
感動を分かち合いたいです
このやりとりの中で、橋の上にいる藤原くんと直接会話を交わすことは出来なかった。しかし、後日送られてきた写真が全部で80枚もあったことで、藤原くんの興奮は十分に伝わってきた。
藤原スポットを抜け、私たちは水道橋方面を目指す
私たちが見えなくなるまで、藤原くんはシャッターを切り続けた
ありがとう藤原くん。
そして、私たちは先を急ぎます。
まるでジャングルクルーズのようだ
御茶ノ水から後楽園方面に抜ける水路は、鬱蒼と茂る緑に包まれていた。
緑の中を抜けていく
まるでジャングルだ!
ジャングルのような緑の中を緩やかにボートが進んでいく。ここは本当に東京なのだろうか。まるでディズニーランドのジャングルクルーズのようである。船の先端でお兄さんが小粋なトークを繰り広げる、あのジャングルクルーズだ。
ふと、学生時代の友人の話を思い出した。
その友人の父親はサマーランドで水上アトラクションの仕事をしていて、ボートの上で毎日のようにジャンプをしていると言っていた。それは凄いと友人たちで騒いでいたら、心ない友人が「ヴァン・ヘイレンかよ」と突っ込んできて、その場が静まってしまった。
今でもあの友人のお父さんはボートの上でジャンプをしているのだろうか。
船は神田川から日本橋川に入っていく。
石垣と東京の水路
日本橋川は首都高速5号線の下を流れる水路である。高速道路で日差しが遮られ、気温が2、3度下がった感じがする。
ワンダーツーのワンダー野間さんが日本橋川周辺をガイドしてくれた。
ワンダー野間さんが周辺をガイド
そもそも、神田川も日本橋川も江戸時代に掘られた人口の水路で、その当時の名残として未だに石垣が残っているという。明治に入ってお堀の材料は石垣からレンガになり、その後鉄筋となって現代のコンクリートになっていったのだそうだ。
日本橋川には石垣からコンクリートまで、それぞれの時代に作られたものが共存しているような場所もある。
江戸時代の石垣が今も残る
奥から石垣、レンガ、コンクリート
神田川から日本橋川を緩やかなスピードで巡ると、東京の歴史を垣間みることが出来る。そして、今の東京の骨格が江戸時代に作られたことを肌で感じた。
日本橋をバックに
東京はベネチアになれるのか
約半日かけて東京を水路で巡った。そして、水路を使っての都内の移動が十分に可能なことを知った。7年後、もしかしたら東京がベネチアのようになっているかもしれない。
しかし、そこには1つ課題がある。
東京の水路には船を着ける桟橋がないのだ。いや、あるにはあるのだが、今はどこも閉鎖されているのだという。それらの桟橋を開放して、さらにもっと沢山の桟橋を作らないと水路での移動は難しい。あと7年でその辺の問題をクリアしないと、東京はベネチアのようにならない。
水路で日本橋の三越まで買い物に行ってくる。
そんな日が来るとお洒落だよなぁ。
今回お世話になった勝どきマリーナ
夜はお酒も楽しめるようですよ
後にこのメンバーで海賊王を目指すこととなる