そうめん名人のお宅へ
さっそくですが、こちらが喜屋武のそうめん名人と呼ばれる中村トヨさんと娘さんの美鈴さん親子です。
笑顔がステキです
まずは娘の美鈴さんにそうめんの作り方を見せて頂きつつ、いろいろ聞いてみました。
--喜屋武のそうめんはすごいと伺ったのですが、使う乾麺も普通のそうめんではないのですか?
街で売っているそうめんだよ。でも高級なやつを使うことになっているから、昔はそうめんを那覇の市場まで買いに行くところから準備がはじまったみたいよ。
1人前は1束では少し多いぐらいかな。
計ったことがないからわからないけど。
茹でる時間は母が言うには箸にかけて乗っかったらいいぐらい。スルスル落ちていくとまだ。
冷やしそうめんよりは少し固めかな。
--作り方は今と昔で違うのですか?
今は茹で上がったそうめんはバットに置いているけど、昔は一回で200名分ぐらいを作っていたから。
そのときは雨戸をたわしで洗って、その上に白い布をひいて、そうめんを置いて乾かしよったよ。
--雨戸が調理用品になっていたんですね。
子どもの頃は雨戸を洗えば、そうめんが食べられると思ったから張り切って洗いよったよ(笑)
--茹でるまでは普通のそうめん作りとそんなに変わらない気がするのですが、ここから何がはじまるのでしょうか?
喜屋武のそうめん作りはここからだわけ。
出汁を作るために準備を前日からやるんだよ。
--え、そうめんを作るのに前日から準備していたんですか!?
出汁を取るためにね!
かつお出汁、Bロース(脂身がある肩ロース)出汁、豚の骨の出汁、この3つの出汁を使うのね。
喜屋武そうめんは出汁を3種類使うそうです
Bロースはそうめんが出来上がったあとに具にも使うよ。
3つの出汁を1つに合わせるんだけど、出汁の量は目分量。
だいたいかつお出汁1、Bロース出汁2、豚骨出汁2、ぐらいかな。
分量なんかは目で判断するから決まった量はないのよ。母の味を覚えてこれぐらいかな、と思ってやってる。
3種類の出汁を混ぜた独自の出汁が完成
そうめんはこの出汁を取るのが大変だからね。
3~4時間は煮込んでいるはずよ。
この合わせた出汁をもう一度煮て、塩と醤油で味を整えたところにそうめんをくぐらすの。
--そうめんを、くぐらせる?
出汁の中でそうめんを沸騰させることによって味を付ける役割をしているわけ。
くぐらせナウ
食べるときは出汁はたくさんは入れずに少しだけ入れるの。
--せっかく作った出汁を少しだけしか入れないんですか?
はっきりとはわからないけど、たくさん出汁を入れてしまうと人数が多いから伸びてしまうからじゃないかな、と思っている。
そして茶碗に盛ります。
--え、お茶碗に入れるんですか?
変だよね(笑)
なんでかね?
昔から茶碗だったよ。
ものすごく準備に手間をかけた出汁を少しだけ入れて茶碗に盛る
喜屋武のそうめんを食べた
こちらが、出汁を前日から取ってつくられた、めったに食べることができない幻の喜屋武のそうめんです。
一見、沖縄そばや肉が乗ったにゅうめんのようですが、ここまでの行程や喜屋武だけに伝わるということを聞いたら、とてもありがたく思えてきます。
では食べてみましょう。
うまっ!!!
丁寧にとった3種類の出汁の味がそうめんについていて素朴でまろやかな味。
トロトロのお肉が柔らかく口の中に広がり、最後に紅しょうがでサッパリ。
あまりの美味しさに、茶碗に入ったそうめんを搔き込むように食べてしまいました。
そうめんを作っていると聞いてやってきた親戚の方やご近所さんも、美味しい美味しいと食べています。
喜屋武で住んでいる人も何年かぶりに食べたそうで、とても幸せそうな顔をしているのが印象的でした。
「わたしの結婚式で何十年も前に食べた喜屋武そうめんの味を忘れられないと友人が会うたびに言うんだよ」とご近所の人が話してくれました。
ご友人は結婚式にそうめんがあることにビックリ、食べてみて美味しさにビックリしたそうです。
今では喜屋武の人でもあまり食べる機会がないそうなので、喜屋武以外の人が食べる機会は一生に1度あるかないかなのかもしれません。
そうめん名人のトヨさんへインタビュー
--なぜ喜屋武のそうめんは、喜屋武だけで食べられているのですか?
それはわからないのよね。
--ではいつ頃から食べられていたのですか?
昔は結婚式の行列のときに食べた
と聞いたことがあるから、戦前から食べられていた
はずよ。
(※結婚式行列が行われていたのが戦前だそうです。)
正確にいつ頃から始まったかはわからないけど。
戦後でも40年前ぐらい前までは、今のように式場で結婚式をあげずに家でやっていたでしょ。
参列者が200名ぐらいだったからみんなに振る舞っていた。
花嫁を送り出す家でも、花嫁を迎える家もどちらでも御馳走を作って。
準備は親戚が集まってしていたよ。
--そうめん料理で参列者の人を接待していたということですか?
くーぶいりちゃー(昆布の炒め物)とか、田芋とか、いろんな料理も出すけど、喜屋武ではそうめん料理も出していた。
自分なんかは親戚やその他の家の手伝いをしていたから、自然にそうめんの作り方は覚えたわけ。
--そうめんって私の感覚ではおもてなしの料理ではないような気がするのですが、なぜおもてなしの料理として食べられているんですか?
結婚式だから共に白髪が生えるまでの象徴
として食べられていたのではないかと思っている。
本来は結婚式でしか食べないから。
--なるほど!でもその理由だとかえって他の集落もそんなに遠くないのになぜ喜屋武だけという疑問が残りますよね。
うーん。
喜屋武にはじんぶなー(賢い人、頭の回転が速い人)がたくさんいたからじゃない?
(美鈴さん)「これ他の集落の人が聞いたら怒るはずだよ(笑)」
70代になる人が喜屋武に嫁に来たときに「御馳走でもないのになんでそうめん」と思ったって。でも食べたらすごく美味しいからね。
最初は失礼だねぐらいに思っていたのに、今ではこれが一番の御馳走
と思ってる、っていう話もあるよ。
うちは正月や綱引きで人が集まるときに、みんなが食べたいからって作る。
準備が大変だからあまり作れないからね。
--現在はあまり食べられていないのですか?
昔はそういうもてなすときがあったけど、今は式は外でやるから、あまりそうめんを作っている家はないんじゃないかな。
結婚式場でやるけど、家庭でもごちそうを用意してという家ならば出るかもしれないけど。
でもそのときは外の人は招待されないから、身内だけで食べているかもしれないね。
そういう意味でもそうめん作りをする場というのが今は減ってきている。
あとはかじまやーのお祝いとか、お家でお祝いをするときはそうめんを出すよ。
喜屋武のそうめんを引き継ぐ思い
--今後、喜屋武そうめんはどうなっていくと思いますか?
さっき言ったように喜屋武のそうめんにはレシピがないでしょう。
昔から喜屋武で伝わっている食文化だけど、作り方や味は準備を手伝ったり食べたりして受け継がれているから。
だから味を知っていないと残すことができない食文化
なの。
私が作るそうめんの味は母から習ったもの。この味を今度は自分が若い人たちに伝えていきたいと思っています。
料理は愛情というけど、味も愛情がないと伝えられないと思っているから。
喜屋武の食文化を、この家だけではなく喜屋武全体で残していければなと思ってます。
それが地域づくりに繋がると思うんです。
だからまずは母の味をちゃんと引き継ぎたいと思ってます。引き継げているかな?
そう言ってトヨさんの方を見た美鈴さん。
トヨさんは「バッチリ!太鼓印押したいぐらいよ!(笑)」
と笑っていました。
たかがそうめん、されどそうめん
作るのに手間もかかるし材料も良いものを厳選して使う喜屋武のそうめん。
「御馳走としてそうめんを出していた」と聞くと不思議な感じですが、喜屋武のそうめんは時間も愛情もいっぱいに詰め込んだおもてなしの心から生まれる料理
なんだと思いました。
めちゃくちゃ美味しかったです!!
ごちそうさまでした。