命名:雰囲気五線譜
「雰囲気五線譜」とは、冒頭の写真のようなものを指す。ぼくが名付けた。「これ弾いて」って渡されたら困惑する、そういう譜面のことだ。要するにちょっとへんなのだ。ちょうど、海外旅行先でへんな日本語文章を目にすることがあるだろう。楽譜読める人間からしたら、あれに近い。
上のものでいうと、最後の全音符が困る。
全体を見るとこんな感じ。色鮮やかに階段を下りるよう誘う。「歌謡パブ」のフォントの妖艶さと「キャロン」の力強さの組み合わせも素晴らしい。そして雰囲気五線譜が華やかさを添えるのだ。完璧だ。
楽譜には通常「小節」というものがあって、その小節内でずっと、文字通り「全部」音を鳴らせ、というのが全音符が示す内容だ。通常は4分音符4つ分ならすことになっている。
ところが、この譜面にはそもそも小節線がないのでなにがどう「全」なのかわからないのだ。
これも小節線がなくて困惑する系。何拍子だろうこれ。一番最後の音符が五線から外れちゃってるのもいい。
ただ、そういう細かいルールにいちいち照らし合わせてあげつらうつもりはない。もっと全体的な、それこそ雰囲気を鑑賞してみたいのだ。
考えてみれば音楽をビジュアルで表現するというのはとてもむずかしい。音楽がテーマのマンガが他のジャンルより少ない理由のひとつは絵で表せないからだと思う。
看板で「カラオケありますよ」と伝えるために使えるものといったら楽譜ぐらいだ。だから「詳しい楽譜のルールはわかんないけど、とりあえずそれっぽいもの描いとけ!」となるのだろう。
ぼくが中学生の頃流行った「英字新聞がプリントされたシャツ」とかと根が一緒だと思う。内容はどうでもいい。というか、わからない。いいんだよ、雰囲気で。ということだ。
小節線はたいてい、ない。
今回いくつかの雰囲気五線譜を見てわかったのは、前出と同様小節線がないものが多いということだ。たぶん、ただの線なので、ビジュアルとして地味ゆえ雰囲気的には重視されないのだろう。一方、たとえばト音記号のような「いかにも楽譜!」っていう見栄えのするものは描かれがちだ。おそらく同様に見栄え上の理由で、四分音符よりは八分音符が登場しがちだ。
ちなみにヘ音記号やハ音記号の作品は今回見つけることができなかった。
「とりあえず楽譜です」という勢いが感じられる作品。八分音符のもっさりずんぐりとした存在感がかわいい。あとなんか要所要所エンジ色に塗りつぶしてある点も画期的。「おまかせ料理」もきっとほんとにおまかせなんだろうな、と思わせる。
奇しくも上のものと全く同じ譜面だ!(全く別の場所です)なにより一般住宅に雰囲気五線譜はめずらしい。そしてこれもやっぱり小節線がない。
かなりの雰囲気っぷり。音符の大きさの違いも見所だが、「ま」の下の空白が気になったが、たぶんこれ「ま」の文字の一部を四分音符に見立てているのだと思う。すばらしい。しかしその音程は不明だ。
これもカラフルさが際立つ。そしてやっぱり小節線がないので非常に困る。描かれている範囲で一小節だとすると、実に9/8拍子という意欲的なビートだ。
小節線がない、というのがどれぐらい困るかというと、句読点も改行も全くない文章を読むような感じだ。
ただ、楽譜の歴史で言うと、小節線が広く使われるようになったのは17世紀だそうだ。つまりルネサンスの音楽には今のような「ビート」はなかったのだ。また、20世紀のいわゆる現代音楽でも意図的に小節線を示さなかったり、そもそも音符そのものを描かなかったりする。
つまり「雰囲気五線譜」はわれわれに、硬直化した近代のドグマたる譜面による音楽というコンセプトを解体するよう迫っているのだ。ほんとか。
これも小節線などどこ吹く風。上と同じようにカウントするならば19/8拍子だ。難しすぎる、武蔵野。
あったらあったでやっぱり困る
「近代の解体」とか無理矢理解釈してはみたものの、中途半端にほかの部分がちゃんとしているので困る。解体するんならちゃんと解体してほしい。そう、このむずむずする感じがすなわち雰囲気の雰囲気たるゆえんだ。
で、たまに小節線がちゃんとあったりするのだが、あったらあったでやっぱり困る。
めずらしく小節線がある作品が!(最後の棒がそれ)しかし、そうするとこれまた7/16拍子という演奏者泣かせの変拍子に。あと音符斜めになりすぎ。
よく見えなくて恐縮だが、途中に小節線がある。めずらしい。でもその結果7/8拍子という変拍子。それ以前にこの看板自体がすごい。夜光るのだろうか。見てみたい。
こちらは3/4とちゃんと書いてある。めずらしい。でも小節線がない。おしい。そして全体的にさわやか。
今回見たなかで唯一楽譜としてちゃんとした作品。冒頭の全休符が小憎い。これはもはや「雰囲気五線譜」ではない。「五線譜」だ。墨痕鮮やか「広」の文字もすばらしい。なによりファサードの石張りがキュート。
なんといっても「波打ち」が特徴
ちょっと拍子にこだわりすぎたが、なんといっても雰囲気五線譜ならではの最大の特徴は、やはり「波打ち」にある。
余白を活かした看板デザイン。赤一色でかわいらしく仕上げた一品。そして楽しげに波打つ雰囲気五線譜。
波打っている以外は通常の楽譜としてちゃんとした(終わりに小節線があったら完璧だった)作品。波打っててよかった。ふつうの楽譜になるところだった。そして歌詞付き。
自由。楽譜はこんなにも自由になれる。波打というよりは飛び出し系か。
最初に楽譜を波打たせたのは誰なんだろうか。これはちょっとした発明だと思う。これだけ広まるにはそれなりの効用があるのだ。
つまり、これは楽譜による楽しさの演出だ。メール文章に「♪」が入っていたらそれは楽しさの表現であることと同じだ(考えてみればちょっと不思議。だって世の中には悲しい音楽だってたくさんあるのに)。この音符が持っている楽しさ演出力をさらに増幅させたのがこの波打ちというわけだ。たぶん。カラオケがあることを知らせるだけが雰囲気五線譜の機能ではない。
あと今気がついたけどこれ→「♪」八分音符はあるけど四分音符の文字はないね。やっぱり雰囲気業界的には四分音符は地味なんだろう。
これもめずらしく拍子がちゃんとしちゃってるが、しっかりと波打っている。あっぱれ。
波打ちというか、円弧五線譜。こういうのもあるのか。
レシートに雰囲気五線譜。長い。めずらしい。五線譜からどんどんはみ出る音符が楽しさを強調。Enjoy!
「p」や「mf」など強弱記号も動員。そればかりか星までちりばめる。いよいよ雰囲気!
雰囲気過ぎる
小節線がどうのなどと細かいことを言っていた自分が恥ずかしくなる、大胆な雰囲気五線譜たちを見ていただこう。
左からふたつ目の八分音符は裏返ってる。ちょうど中国土産の日本語表記で「ま」が裏返っているような、ああいう感じ。
全部裏返ってる!文字がなければ看板据え付け時に裏返ったか、あるいは写真が反転しているかと疑っただろう。すごい。
五線じゃないし。
さきほど「近代のドグマ云々」とか適当なことを言ったが、実はルネサンスよりも前の時代、グレゴリオ聖歌などでは五線譜ではなく四線譜が使われた。が、三線とは。
たぶん三味線のTAB譜は三線だろうけど。
ザ・雰囲気。これこそ雰囲気五線譜の王様。
さらに、雰囲気の発展形がある。音符ですらなくなった事例だ。
「アミン」のおどろおどろしさも気になるが、なんといっても五線譜上の、音符ではなく「カラオケ」の文字。
こちらも音符は無し。ただただ力強い(フォルテ)ということを表現。
音符と文字とのハイブリッド物件も。
もはや五線譜をモチーフとしているのかどうかさえ定かではない。雰囲気の極北である。
「雰囲気」が行き着いた先は純粋五線だった。つまり5本の線が並んでさえいれば、そこに人は楽譜を見いだす、ということか。
せっかくなので弾いてみよう
さて、近代的な楽譜としては「困る」雰囲気五線譜だが、あえて演奏してみたらどうなるか。昔取った杵柄でやってみようではないか。
小学生の頃、ピアノを習っていた。ぜんぜん練習しなかった。大学ではジャズ研に在籍していた黒歴史があるが、ピアノに触るのは久しぶりである。
久しぶりの演奏が、雰囲気五線譜。だいじょうぶか。
とりあえず、冒頭の「歌謡パブ キャロン」を弾いてみよう。
これ。
どうだろうか。
まず印象的なのは「部屋着だ」ってことだ。着替えればよかった。
あと鍵盤撮るの難しい。そして音きれいに録るのってほんと難しい。
というか「シ」の音が半拍長かった。しまった。まあいいや。
…えーと、いろいろとアレですが、旋律は雰囲気五線譜を、アレンジはアドリブで適当に入れました。キャロンらしさは出ているでしょうか。キャロンらしさってなんだ。
次はさっきの星がちりばめられたこれ。
どうだろうか。とりあえずまだ部屋着だ(最後まで部屋着です)。
譜面から受ける印象よりかなりゆっくり。そして今気がついたが、16分音符が32分相当になっちゃってる。むむ。
いやー、実はぼく譜面読むの苦手で。いやほら、やっぱり拍子記号とかちゃんとしてないとさ。ね。
まあアレンジも勉強したことがあるわけではないので、全体的にてきとうに思いつくままですし。二度と同じように弾けませんし。
で、思ったんだけど、電車の発車メロディみたいだ。雰囲気五線譜を弾くとドアが閉まりそう。これは発見だ。
だんだん面白くなってきた。次行こう。
これは比較的弾きやすそう。
「雰囲気度」が低い、比較的ちゃんとした楽譜(とはいえ、3/4の位置に小節線入ってないし、最後は四分休符じゃなくて八分休符が妥当だろう)だと思ってメロディ弾いてみたら、まるっきり演歌調でびびった。
演歌なんてどうやって弾いたらいいのかわからないので、むりやりブルース調に。最後の方ずさんなアドリブがあって申し訳ない。
でも楽しいぞ!次行こう。
いざ譜面として見ると、単純すぎて困るメロディ。
弾いてみて改めて気がついたのは、雰囲気五線譜のほとんどはハ長調だということだ。シャープやフラットが描き込まれることはあまりない。なんせ「雰囲気」だから。
しかも極端に短いので、単純になりすぎる。で、いろいろトリッキーに転調しようと試みたあげくこんなことに。ちなみに完全アドリブ一発録りです。
そしてやっぱり電車が発車しそう。
長いやつ行ってみよう。
一番長いのはこれだ!Enjoy!
めずらしく小節線がある!2/4だ。と思いきや途中で変拍子になっていて閉口した。3小節目の16分は三連符と解釈。そして最後2小節がなんだかいい感じになったので、そこをリピートして最後の一小節は無視。だんだん都合の良い解釈が始まったぞ。いかんいかん。
あと、ぼく切羽詰まるとブルージーな音を使いがちだということがわかった。おはずかしい。
さて、最後難物に挑戦しよう。
19/8拍子の「武蔵野」。
これはもうちょっとちゃんとじっくりアレンジしても良いかもしれない。なんだか良い曲になった。ぜんぜん武蔵野っぽくないけど。
さすがに19/8拍子は無理だったので、2分割してふつうの4/4にした。で、そうするとオリジナルのままはすごく読みづらい譜面なので(ただでさえ譜面読むのが苦手なので)下記のように書き換えた。
最後の部分を、例によって勝手に三連符と解釈。三連符って便利!
なんか、自分が書いた譜面も十分雰囲気五線譜に見えてきた。
雰囲気五線譜だけを演奏するバンド組みたい
お聞き苦しいかったと思いますが、ぼくは楽しかったです。普通に趣味として続けたい。もっとピアノ練習しようとあらためて思った。
ということで、雰囲気五線譜を見つけたらお知らせください!
達筆すぎて読めない。でもたぶんこれは作曲者直筆本物の譜面を使ってると思う。リアル譜面が一番読めないとは。
【告知:「うまくならない写真ワークショップ」やります!】
以前カルカルでもやった、2時間ほど街を歩いて「好きでもなんでもないもの」をひたすら収集してもらうという、変な写真ワークショップをまたやります。2013年5月12日(日)10:00~16:30です。
今度は横須賀で!ふつうに散歩としても楽しいと思います。みなさんぜひ!詳しくは→こちら