諦めの果てに見つけた「かわいさ」という方向性
わかった、俺が間違ってた。自分はかっこよさというベクトルに向かうべきではない。成人式までまだ10年残した10歳の自分は、そのことに気がついた。
平成25年3月号の「AneCam」(小学館刊)、書店で見かけて気になった。
この特集が気になる。特に「ずるい」という部分に引かれる。今さら正攻法で攻めるつもりはないのだ。
付箋をたくさん貼って研究。ここに載ってることを齢40のおっさんである自分が実践してみたい。
かっこよさへの道を自ら閉ざすのは、諦めでもあるが、生まれ変わりとも言える。その諦念は「かっこいいと思われたい」という呪縛からの解放でもある。
まずは手軽にできる方法から試そう。こんな簡単な方法でデカ顔解消できるなら嬉しいではないか。
どうなのか。
顔の大きさはともかく、別の問題が浮上してきている気がする。
サッカーが得意でさわやかな本田くんが女子にちやほやされるのを妬ましく思っていた自分とは決別。キラキラ輝きたいと望むからこそ、そうでない自分を恨めしく感じる。はめていた枷を自らの手で壊した私は、負の感情から解き放たれた。
定番的なデザインのものだけでなく、印象的な小物もアピールには必要、ということだろう。言ってることはわかる。
今回チョイスしてみたのは馬型埴輪。かわいいかどうかはともかく、ミステリアスな雰囲気にはつながっているだろうか。
輝こうとするのはもうやめた。それ以降の学校生活において、私の「地蔵時代」が始まる。
本には「バッグの斜めがけって元気でかわいいけれど、胸が強調されてちょっと色っぽい」とのこと。
胸が強調されてないし、元気もないしかわいくもない。
心の中にあるセルフイメージとしての地蔵。「かさじぞう」に出てくる石でできた地蔵。あの話を初めて絵本で読んだときから、なぜだかシンパシーを感じていた。
普段は黒い地味なバッグばかりを選びがちな自分。ちょっとクセのあるものをチョイスして気分を変えよう。
先日、妻が買ってきた新しいバッグ。なんか独特で、試すのにちょうどいい。
別に怒ってるわけではない。
灰色の石というビジュアルがまずいい。路傍に突っ立ってるのもいい。そして木訥な表情がいい。クラスにおける「地蔵キャラ」を目指すことに路線転換したのは今でも正解だったと思う。
これも簡単に試せる方法。角度による見え方の違いをさりげなく取り入れたい。
効果はともかく、心が死んでいる。
とは言え、女子小中学生が地蔵に惹かれるわけもないのはわかってる。「なんかあの子、地蔵っぽくていい感じ」と思われることを目的としたのではない。モテは既に捨て去ったのだ。
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輝かなくてもいいけどテカりたい
地蔵なんだから、輝かなくていい。だって石じゃん。輝くわけないじゃん。地蔵慣れしてくると、決して無理することなくそう思うことができた。
「『凸凹がある』ことが目で伝われば、写真上ではくびれ美人になれるんです」とのこと。妻に頼んで、家にあるベルトで一番太い物を出してもらった。
確かにくびれがあるように見えるのは驚き。そして、くびれがあるからなんなんだ、それがどうかしたのか、と思うさらなる驚き。
自分が通っていた高校は男女併学というシステムで、同じ敷地内に男女別の校舎が建っているタイプだった。2年生までは男女別のクラスだった。それでよかった。何も問題なかった。
見る人の戸惑いは、ある意味ではドキドキ感としても考えられる。人を好きだと思うドキドキと混同する「吊り橋効果」と似た話だろうか。
今回「まやかしアイテム」として選んだのは、ずっと前から何でうちにあるのかわからないまま棚に並んでいた水差し。
ドキドキ感とは関係のない困惑が漂うだけではないだろうか。
何言ってんのかわかんない方法だが、襟口の大きめのボーダー柄を着て、少し肌を見せることらしい。紙面には「肩出しがずるかわ」ともある。
家にあったボーダー柄シャツの襟口を切り取って拡大し、ずるかわシャツへとアレンジ。
誕生したのは新しいタイプの囚人。
しかし、3年生になって状況が変わる。選択科目の関係で共学のクラスになったのだ。
これはわかる。本には「メンズは自分の前だけで見せる無防備な姿に思わず顔がほころぶご様子!」とある。あれはわざとか。わざとなのか。
確かに何かが落ちた気がした。
男子クラスでは地蔵意識も薄れていた自分だが、共学クラスになって再び地蔵が発動。2年間男子ばかりの環境だったこともあって、より硬く石化していたと思う。実際、この1年間の記憶は驚くほどない。
そんなことで追いつかれる自分ではない。白いシャツでどうにかなる男でなんかありたくない。
俺をなめんなよ。
女子と言葉を交わした覚えもない。覚えがないだけでなく、実際になかったと思う。
それでも、ひとつだけ記憶に残っているやりとりがある。男子は体育でラグビーの授業があったため、全員ヘッドギアを準備させられた。ある日、女子も体験的にラグビーをしてみることになったらしく、クラスの女子から「小野くん、ラグビーのヘッドギア、貸してくれない?」と頼まれたのだ。
それでも、ひとつだけ記憶に残っているやりとりがある。男子は体育でラグビーの授業があったため、全員ヘッドギアを準備させられた。ある日、女子も体験的にラグビーをしてみることになったらしく、クラスの女子から「小野くん、ラグビーのヘッドギア、貸してくれない?」と頼まれたのだ。
そうなんですか、と言いたくなる。方法と言うより、これは感想ではないか。
引き出しの奥にあった当サイトのシャツを着てみた。ピチピチなのは150cmサイズだからだ。よくわからないまま、なぜか「別腹」という言葉はなじむ。
こうして書いていても甘酸っぱさが甦るシチュエーション。しかし私の返事は「ああ、もうラグビーの授業終わったから、捨てた。」というもの。(捨ててないのに)
そもそも地蔵にヘッドギアはないだろう。やっぱ地蔵なら笠だろ。いや、そういうことじゃない。
そもそも地蔵にヘッドギアはないだろう。やっぱ地蔵なら笠だろ。いや、そういうことじゃない。
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自分にも他人にも厳しい地蔵
弟はモテていた。
メリハリをつけろということだろうか。スイカに塩をかけるとおいしいというような話だと思う。
俺が考えたメリハリ。
ドクロ服VSプーさん帽子 featuring 俺
すごくモテていたわけではない。けれど、同級生に1人は弟のことを好きだった女の子がちゃんといて、バレンタインデーや誕生日には何かしらプレゼントされていた。
それはそれでいい。身内がモテることまで呪うつもりはない。ただ問題を根深くしていたのは、弟と私は顔がよく似ていたということだ。
それはそれでいい。身内がモテることまで呪うつもりはない。ただ問題を根深くしていたのは、弟と私は顔がよく似ていたということだ。
外出着ではメリハリをつけるのに対して、プライベートタイムを過ごす部屋ではとことん甘く、かわいさを楽しもうということか。
やめとけ、宅配便の人が来たら噂になるだろ。
外見で最も重視されるであろう顔のスペックはほぼ同等なのに、弟はモテて私はモテない。モテるか否かが見た目という表面上の問題だけにとどまらず、人間性みたいな部分と関連していることを私に示唆した事実だからだ。
こちらも顔の近くに大きな物があることで、目の錯覚を狙った方法。顔の近くでピースをする方法と理論的には同じだろう。
小顔効果というより、「ん?耳に何ついてんの?」と、顔から注意を逸らす方向性の作戦にも見える。
当サイト編集部の安藤さんから「小野さんは人のモテに厳しい」と言われたことがある。
「長めのネックレスをつけて写真にうつると、縦ラインが強調されて輪郭がほっそり」とあるが、効果が確認できるだろうか。
「それ見たことか」と言いたくなる意味不明。
何のことかわからなかったが、それ以前のある日、髪を染めた安藤さんを見た私が「安藤さん何やってんすか、その髪の色?モテようとしてんすか?」と言ったらしい。私には明確な記憶がないのだが、こうした記憶は傷つけられた側はよく覚えていても、傷つけた側はすぐに忘れてしまうものだ。
顔の輪郭は出すよりもさりげなく隠す方が小顔に見える、ということだ。類似の方法はこれまでにもあって、それなりの効果が出たと思う。
カツラをかぶったら、逆に全体がでかくなった気がする。全くさりげなくないのも問題。
ああ、安藤さんがそう言うのなら、そんなこともあったんだろうな、と思う。 ただ私は、人のモテに厳しいだけでなく、自分のモテにも厳しい。モテることを諦めたということは、自分がモテることを許さなかったとも言える。他人にも自分にも厳しい、それは公平であると思う。
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割れた地蔵から放たれる光
今思うと妻は、あまりにも寒々しい私という地蔵に、そっと笠をかけてくれたのかもしれない。
少しずつあたたかくなってきたこの季節。それに合わせて、春らしい色も取り入れてみた。
妻から借りたジャケットを羽織る。「無理に動くと傷みそうだから、じっとしてて」と言われた。全く軽やかではない。
調子に乗って結婚まで持ち込み、今では妻からよく「ウザ太郎」と呼ばれている。
本によると「カーデ=インナーの上にはおるもの、というイメージをくつがえし、ボタンを閉めて着ると、中が見えないために、逆に妄想がふくらむ模様」とのこと。ああ、わかるわかる。
これは…。
…もしかすると、セクシーなのか?
すっかり諦めた地蔵でいたと思っていた私だが、心の奥にはくすぶるものがあったらしい。妻からそこに火を付けられて、ヘビ花火のように黒い何かがニョロニョロと出てきているのだ。実にウザい。
チラッとだけ見える足元の肌が、露出量と反比例して印象的。そういうことが言いたいのではないかと思われる。
特にコメントはありません。
「初めて会ったとき、この人はないな、と思った」と、妻は今でも時々言う。
女性が透けた素材の服を着ていると、ついつい視線を奪われがち。少々あざといが、その分効果は大きいのではないだろうか。
妻から借りたスケスケ素材の服。この写真だとわかりづらい。
引いて撮ると透け具合が恐ろしい。夫婦会議の結果、乳首はさりげなく腕を組んでガードする方向に決定。
男女が出会うとき、第一印象は非常に重要だという話をよく聞く。実際そうなのだと思う。そして、その反例である自分という奇跡を「よくやったな~」と思う。
「ビビッドなリップって派手になりそうで勇気が必要?実は、写真では断然明るい口元が映えるんです☆」とのこと。
必要なのは勇気ではない。何かを捨てることだ。
目的がなんだったか見えなくなってきてる。
全く覚えていないのだが、初めてのデートで私はおつりをもらい忘れたり、浜辺のクラゲをつついたりして妻に引かれていたらしい。これもポジティブに考えれば、吊り橋効果だったのかもしれない。
地蔵だった自分が割れて、中から出てきたウザ太郎。人は見かけではなく、中身なのだ。
この文脈で言っても全く説得力がない。「君は君でいたまえ」とぼんやりしたことを言って、この話をおしまいにしようと思う。
地蔵だった自分が割れて、中から出てきたウザ太郎。人は見かけではなく、中身なのだ。
この文脈で言っても全く説得力がない。「君は君でいたまえ」とぼんやりしたことを言って、この話をおしまいにしようと思う。
本当の自分に帰ろう
雑誌で見かけた「かわいくなるずるい方法」を実践してみた今回の試み。今思うと、なんでそんなことをしようとしたのかわからない。
かわいくなりたいと心から思っていたはずもない。悪ふざけにしては手が込みすぎだ。
それでも一部の方法は効果があったようにも思える。おっさんというサンプルでもそうなのだから、ちゃんとした人がやれば結構な効果が望めるのだと思う。
かわいくなりたいと心から思っていたはずもない。悪ふざけにしては手が込みすぎだ。
それでも一部の方法は効果があったようにも思える。おっさんというサンプルでもそうなのだから、ちゃんとした人がやれば結構な効果が望めるのだと思う。