沖縄県にある一番古い鉄筋コンクリート建造物は大宜味村にあります。場所は現在の村役場の手前。
1972年に復帰記念事業として新庁舎が建てられ、旧庁舎はその役割を終えることに。
その時あやうく旧庁舎は取り壊されるところだったが、当時の村長さん(根路銘安昌氏)が
この建物の価値を認め、そのまま残されることに。
その後は、教育委員会や村商工会をはじめとする色々な村関係機関の事務所となるも、会議室としてたまに使われるくらいしか出番が無い時代もあったようで、やはり人が常時いない環境では状態が悪くカビ臭かったりしたそう。
1997年には県指定有形文化財に指定され、2010年には村史編纂(へんさん)室に、現在も一部が資料室として開放されています。
建築業界では有名な建物なので、今でもプロや学生がはるばる内地から見学に来るそう。現役でまだ使われていることも評価が高いとのこと。ロケ地としてNHKドラマの撮影に使われたこともあります。
場役村味宜大
敷地内には琉球政府時代の水準点が残っている
設計者は清村勉(鹿児島からスカウトされてきた)。
海からの風当たりを防ぐ設計。前方後円墳の形=長持ちする形で理にかなっているらしい。
当時としては、鉄筋コンクリートという新しい技術の建築方法。
色々な種類の石や砂利をコンクリに入れて、どれが沖縄の気候に最適か自宅で何度も実験を重ねた結果、「海の砂利を何度も洗って塩を抜いてから混ぜる方法」を編み出したそうです。頭が下がります。
この旧役場は大正14年に、約6ヶ月という短い工期で建てられた。
当時の”大宜味大工”の技術力の高さ、統率力・団結力の強さによるもの。
大宜味大工は、平地が非常に少ないという大宜味独特の土地から、様々な知恵や技術を生み出し培っていった。
また、男性が現金収入に繋げられる唯一の仕事として出稼ぎ大工になることも多かった。こうして、大宜味大工はその技術力の高さをもって世に知られる存在となったそうです。
村史編纂(へんさん)室
建物の一部は村史編纂室として使われています。スタッフの方にお話を伺いました。
―夏暑くて冬はとっても寒い。ヒビや継ぎ目から雨漏りするけど、やっぱり建物は使ってあげないと。
綺麗に改修された事務室の真っ白な壁に、一箇所だけある緑色の大きなシミ。
これはヒビから雨漏りがして、それがしみついてしまったもの。
―予算が出なくて修理できないから、建物に頑張ってもらっています!
県指定の建物なら、もう少し予算を出して補修しないとだめなんじゃないのだろうかと思ったり。
―”継ぎ目”が多いのは、おそらく昔は一日に打てるコンクリートの量に限界があったんじゃないかねー。
大きなシミ(コケ?)
あちらこちらに補修の跡も
県指定有形文化財なので、建物に何かするのには許可が必要なのだとか。
―釘も画鋲もダメだから、ポスター貼る時は難儀だけどねー、大事にしないとね。
昔の大工道具。丁寧に手入れされていてまだまだ使える。
希望者にはパンフレットをコピーしてもらえる(コピー代は有料)
資料室
正面の入り口から入ると資料室になっています。
受付のカウンターがやけに高い。現在で高いと思うのだから昔は相当高かったに違いない。
―昔のお役所だから”上から目線”だったんじゃないかな(笑)。
妙に納得してしまった。
この日も東京から見学者がきていた
いろいろな鍋
改修して変わってしまったのは窓枠。以前は上下スライド型。現在は観音開き。枠だけでも当時の雰囲気を、と木枠にこだわったそう。枠の形はほぼ一緒。
当時の写真
芭蕉布を織る糸を紡ぐのにも使われていた道具たち
戦時中に使用されていた品々
砲弾を溶かして作られた大判焼きの型
配給用のトレー
かっこいいヤカン
中央の八角形になっているホールは読書ができるスペースに。
配線も当時の雰囲気が残るよう工夫されている
変則した五角形の柱が特徴的
資料室には村民から寄贈された本も多くある。
―何と言っても湿気との闘い、こないだの台風の時も雨が屋内に入り込んで床も水浸しになって大変だった。ここにあるのは貴重な本ばかりなのに、本の管理には適していないから、村立の図書館が欲しいですね。
窓を開けて風通しを良くすることくらいが、いま出来る対策とのこと。
まだ整理しきれていないものも多い
何故かあったにんにくの塩漬け
にんにくの塩漬けは、大宜味村ではよく食べられていたそうだ。この瓶に入ったものは、とあるお宅から譲り受けたそうで、数十年もののビンテージなのだとか。
鍵も昔の形
最近はなかなか見ることがない
頭をぶつける人が多いのだろうか。削られている
手すりが単管(鉄パイプ)
明かり取りにはめ殺しの窓
想像以上に小さな部屋だが、八角形が非常に特徴的で、真四角よりも狭さを感じさせない。
タイルが無かったので、床のコンクリートには目地で模様が。
天井も何だかおしゃれ。梁にも工夫がされている。
村長室から海が一望できる。
かつては鰹節工場があるくらい追い込み漁が盛んだったこの地域。昔の村長さんは、海の様子や天気をいつも上から見守っていたそうです。
広い屋上。防水処理が劣化して雨漏りするそうだ
オーシャンビュー
左の出っ張りは階段部分です
米寿祝(トーハキユーエー)があるよ(終了しました)
そんな建物の米寿を祝う『旧大宜味村役場庁舎米寿祝(トーハキユーエー)
』が2012年11月17日に催されます。(終了しました)
11月1日から30日までは旧役場庁舎と大宜味大工をテーマにした展示、11月3日は折り紙建築(旧役場を一枚の紙で折る。これカッコいいです)も催されます。(終了しました)
※ちなみに大宜味ではトーカチのことをトーハキと呼ぶ。
発起人は、建設当時の棟梁の娘さん。
―彼女は久茂地公民館が取り壊された時もとても残念がって、それで父親の遺したこの建物に込められた”歴史”や”気”を大事にしようと、このイベントを通じてそれを伝えたいという願いがあるんです。
いま見ても色褪せないカッコいい建物。大事に残していって欲しいですね。
役場の敷地内にあるガジュマルの木に、ブナガヤ(キジムナー?)がいます(台風で飛ばされてなければ)。
かなり怖いので探してみてください。
では、一番古い木造建造物は?
当初この記事は、沖縄で一番古い建造物を集めて特集にしようと思っていたのだが、思ってた以上に旧大宜味村役場庁舎がステキだったので1本にした。
では一番古い木造建造物はどこにあるのか。
それは石垣島にある権現堂。1614年に創建された県内で一番古い木造建造物。せっかく石垣島まで行って記事にならないのは切ないのでここで紹介させてもらおう。
神殿
本土の神社建築にはあまり見られない造り
津波や戦争で大破しましたが再建・修復を繰り返し1981年に国の重要文化財に指定されました。
象やうさぎの彫刻が。日本というよりアジアの寺院っぽい装飾。
拝殿。手前にある拝殿は台風の被害で老朽化が激しい。
桃林寺
反対にもう一体いる。
隣接する桃林寺も同時に創建されたもの。八重山で初めて創建された仏教寺社。ここの山門にある仁王像も1737年制作とかなり古い。
あまり観光客が訪れない場所なので静か。ただ蚊がすごい(冬でも)ので行くときは対策を忘れずに。