佐渡金山には二つの顔があるらしい
先日、佐渡島にいってきた。佐渡島といえば、やはり日本最大の金山である、佐渡金山を観光しない訳にはいかないだろう。
平成元年という、わりと最近まで採掘されていた佐渡金山は、1601年からの歴史を伝える観光施設となっている。
観光地によくある人形だが、佐渡は人形芝居の文化があるためか、とてもよくできている。
金塊を穴から上手に抜くと、なにかプレゼントがもらえるらしい。これも金山観光の定番ですね。
施設の内容は想像通りの、鉱山の採掘現場を人形で再現した展示がメインで、純和風のエンターテインメントスペースとなっている。自分の足で進むカリブの海賊(ディズニーランド)をイメージしていただきたい。あるいは健全な秘宝館。
他にも膨大な資料の展示や、金の重さを持ち上げて実感できる金塊などがある。これを無理矢理持ち上げようとして捻ってしまった右手首はまだ少し痛い。
ほとんどの観光客は、この施設をざっと観たり、砂金採り体験をして、佐渡金山観光を終わりとするのだが、実は佐渡金山にはもう一つの顔があるのだと、佐渡在住の方に教えてもらった。
佐渡金山の北沢地区施設群
やってきたのは、北沢地区施設群と呼ばれる、明治から昭和初期に掛けて、佐渡金山の製錬、選鉱の中心となった場所。
長い歴史を持つ佐渡金山の、後期に使われていた施設の跡地である。あまり人目に触れる場所ではなかったらしいが、平成22年に国指定の史跡として整備され、一般公開されたのだそうだ。
明治期の火力発電所跡、昭和初期の浮遊選鉱場跡などがある。
「私はもうギリシャにいかなくていい!」
これがこの場所を教えてくれた人の感想である。ギリシャってどんな場所だったかな。
正直なところ、どんな施設が観られるのか、あまりピンと来ていなかったのだが、いってみるとその巨大なスケール感に驚いた。
写真では伝わらないかもしれないが、でかいのである。
なんだか人間がミニチュアみたいに見える。逆東武ワールドスクウェア状態だ。
この巨大なハチの巣みたいな建物が、昭和初期に建設され「東洋一」といわれた、浮遊選鉱場跡。浮遊選鉱場ってなんだろう。
昭和初期だから、たった80年くらいしか経っていない建物なのに、すでにバリバリの遺跡になっているのがすごい。佐渡の友人が普通に住んでいる古民家と同じくらいの古さなのに。
廃墟と遺跡の中間といったところだろうか。
ライトアップされたり、ショーのステージとして使われることもあるらしいです。
この辺がギリシャかな。この中を彷徨いたいけれど、もちろん立ち入り禁止。
なるほど、言われてみればギリシャっぽいかもしれない。聖闘士星矢ってギリシャだっけ。いやマチュピチュだ、いやいやマヤ文明だと、好き勝手な感想を言い合う同行者達。
私の数少ない遺跡ボキャブラリーの中だと、天空の城ラピュタっぽいかな。浮遊選鉱場という言葉の響きも含めて。
とにかく、なんだか遠くにきた感じのする場所なのである。
とりあえず、「バルス!」と心の中で呟いてみた。
「いくらもらったら、ここに一人で泊まれる?」「怖くはないけれど、蚊に刺されそうだからイヤ」みたいな会話をしながらの遺跡巡り。
製錬所跡と巨大シックナー
この北沢地区に残されているのは、施設群というだけあって、これだけではない。
細い川を挟んで、なんとなく可愛らしい製錬所跡と、なぜこんなところに野球場がと思ったシックナーという濃縮装置が残されている。
製錬所跡地。カエルっぽいなと思った。
野球場にしか見えない丸い施設が、直径50メートルのシックナー。泥鉱濃縮装置というものらしい。
シックナーというものがどんなものなのかよくわからないのだが、川で砂金を取るときに使うパンニング皿の巨大なものという理解でいいだろうか。
浮遊選鉱場にしろシックナーにしろ、こんな大きな施設が必要なほど、この佐渡島で金が採れた時代があったのか。ほんの数十年前の話として。
やっぱり野球場にしか見えない。これが動いているところを観てみたかった。
さて佐渡金山に関する遺跡っぽい場所は、もう一か所ある。
大間港跡地
北沢地区から海へと向かい、やってきたのは大間港跡地。
佐渡金山が現役だった頃、鉱石や資材を運搬するために建設された港である。
ここも最近整備がされたようで、とても風通しのいい廃墟となっている。
なんとなくイギリスっぽい空間。これはトラス橋というものだそうです。渡るべからず。
島の西側にあるので、海に夕日が沈んでいく。
この港に残されているのは、錆びて落ちそうな橋、橋脚の一部、クレーンの台座、赤レンガの倉庫といったところ。
さっきの北沢地区とあわせて訪れると、遺跡にそれほど興味のない私でも、当時の景色や匂いが頭の中に少し浮かんできたような気がした。
ここが日常の人にとっては、釣りの穴場スポットだったり、子供がかくれんぼをする場所だったりするのかもしれないが。
パワースポットと言い張れそうな橋脚。
高所恐怖症のラプンツェルが隠れていそうなクレーン台座。
北沢の鉱山施設群や大間港跡地が、あえて残してあったのか、なんとなく残っていたのかはわからないけれど、落書きもされずに残っていてよかったなと思う。
佐渡にはヤンキー文化がないのかもしれない。
佐渡名物たらい舟(エンジン付き!)が普通に港として使っていた。
佐渡島、楽し過ぎる
遺跡というと、何百年、何千年前の建物跡というイメージだったが、佐渡の金山跡は何十年の歴史でもう立派に遺跡だった。これは時間が経つのが早くなったということなのだろうか。
この日の夜は、佐渡在住の友人が住む、浮遊選鉱場と同じくらいの歴史を誇る古民家に泊まらせていただいた。
小学5年生が薪で炊いてくれた五右衛門風呂が最高に気持ちよかった。