「働く歓び」という像のタイトルもあやしい。こんな素晴らしいことを言ってごまかして、何かこっそり別のところでふんばっているんじゃないか、という気になる。
なぜ私が銅像におならをさせるに至ったか
JR川口駅の駅前広場には、こんな銅像がある。
力強い像です
この銅像、みょうに腰に力が入りすぎている。ひしゃくのような物を持っているが、これそんなに重たくないだろう。
タイトルは「働く歓び」
この像には足りないところがあるな。そこで僕はハンズに走った。
材料を吟味
買ってきたものは塩ビ版、透明樹脂の棒である。
材料を吟味塩ビ版にマジックで輪郭を描く
ていねいに切り抜く
裏面をダンボールで補強、さらに透明樹脂の棒を取っ手として付ける
できた!
これだ。この銅像に足りなかったものはおならだったのだ。この前傾姿勢、ちょっと力んでいる腰、全部がおならである。
遠近法を使うことで爆発の規模を調節できる
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いろんな銅像におならをさせよう!
こんな風にして一度銅像におならをさせると、もういろんな銅像がおならをしているように見てくる。
「プゥ~」という効果音も作った(右手)
おならをさせる像は、できるだけリアルに作ってあるやつが望ましい。
細かい服のしわまで作りこんでいてすごい
履いている靴のブランドまでわかる。ニューバランス
しかしこうするとおなら銅像である
おならと効果音は単純な形で作ってあるので、像がリアルに作りこんであるほどよく目立つ。どことなく水木しげるのマンガ(リアルな描きこみと単純なところの差が激しい)みたいな雰囲気も出てきていないか。
すました表情が狙い目
銅像はすました顔をしているやつが多い。しかし、そういう表情こそがおならを出してしまうシチュエーションとしてリアルなのだ。
良いおすまし顔の像を見つけると、おならをセッティングする方の期待も高まるというもの
なんとも気持ちよさそうにやらかしている表情だ
後ろ斜め45度のアングルでさせるのも、いい
これは友達とのじゃんけん中にしれっと出しているパターン
「こいつ、私をはずかしめやがって…」という銅像の感情を背後に感じる
これは腹筋に力を入れた瞬間に出ちゃったパターン
ちなみにこの像には「風の交差点」というタイトルが付けられている。風、ね
角度が難しい
実際にやってみると、おならと銅像の位置合わせは難しい。調整している本人は確認できないし、わずかなズレでおならをしているように見えなくなってしまう。
腰と手首を使って繊細に調整しているのに、ズレてしまっている
単純に手が届かない、ということもある。実に様々な困難があるのだ
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自分も参加しよう
ここまで黒子に徹して銅像におならをさせてきた。しかし、人間が積極的に演出に参加するのもいい。
ちょっと、人の顔の前でなにするんですか!
複数で鼻をつまむと、さらに表現が過激になる。
さっきのより大きな範囲で広がっているように見える
ここで気付いたのだが「プゥ~」の背景は一色にしないと文字の認識がしにくいようだ。ややテクニカルな話になるが、こういうことも一つ一つ踏まえながら銅像にきちんとしたおならをさせていきたい。
編集部古賀の黒シャツを背景として利用
上記を踏まえてやりなおしたが、古賀がやらかしているようにも見えるのが難しいところだ
リアリティのさらなる追求
周りの人間が表情を作ることによって、より臭いを表現できる。しかし現実のおならは、必ずしもそうではない。
たとえば、ベンチで隣に座っていた人がおならをしたら「くさい!」なんて表情はできないはずだ。
たとえば、ベンチで隣に座っていた人がおならをしたら「くさい!」なんて表情はできないはずだ。
むしろこんな真顔になると思う
写真に漂う気まずさ。くさいからちょっと席を外したいんだけれども、そう露骨におならから逃げるのもちょっとな…。そんな心理状態まで描写できた。
もっと表現を抑えて、文字だけでやってみる。
もっと表現を抑えて、文字だけでやってみる。
どっちがやった?
音だけが派手に聞こえるパターン、あると思う。しかも銅像が二つならんでいるので「犯人はどっちだ?」というミステリー要素も出てきている。
銅像におなら、なかなか奥が深い。そもそも、心があれば道具はなくても見えてくるものだと思う。
銅像におなら、なかなか奥が深い。そもそも、心があれば道具はなくても見えてくるものだと思う。
ここまで読んできたら、なにもなくても充分見えるでしょう
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前衛芸術を攻めろ!
公園にはもっと芸術的で難しい像もたくさんある。
なにやら深いテーマがありそうな銅像
下半身だけの男女と、子供。ちょっと前衛な感じがあるが、こういう物こそ一つ一つ丁寧におならをさせてゆく価値がある。
正面からおなら
後姿もおなら
子供だって
この銅像群は「家族」というタイトルがついている。もしも、おならもできないような環境だったらそれは家族とはいえないだろう。僕の作ったおならが、この銅像のテーマを補強する結果となっているのだ。
より抽象的に
もっと難解なものにおならをさせてみてもいい。
タイトルには「間(AI)」と書いてあった
どう見ていいかわからない銅像である。しかし、おならを導入すると鑑賞の糸口が見つかってくる。
ああ、そこが尻か
人の形をしていない銅像において、解釈は様々だ。古賀は像の中心につけたが、僕は像の真上がいいと思った。
こんな風に取りつく島もなかったような芸術作品に議論が生まれてくる。
こんな風に取りつく島もなかったような芸術作品に議論が生まれてくる。
トイレ案内
標識につけてみると、生々しいストーリーが立ち上がってきた。
トイレに間に合うか間に合わないかのタイミングで、ちょっと出ちゃった、という感じである。このストーリーに関してはこれ以上の言及を避けたい。
生物にやってみてもいい
さっきからその辺にハトがいる。鳥がおならをしたら、少し人間に近づいてファンタジーの世界っぽくならないか。
遠くから回り込むも
カメラマンとの位置関係が難しい
飛んで逃げられた
やっぱりちょっと動物は無理だ。せめて生き物で一枚、ということで自分を使う。
いつもみんなに感謝しています!ありがとう!
素敵なキャプションを付けてみたけれど、やっぱり「しれっとおならしている人」以外の何物でもない。
銅像と仲良くなれた気がしました
目の前でおならができるというのは、かなり打ち解けた関係だ。今回、銅像やオブジェなどの芸術作品がぐぐっとこちら側に近づいてたように思える。
むりやりさせられていた像の方はそんなことを思っていないかもしれないけれども。
むりやりさせられていた像の方はそんなことを思っていないかもしれないけれども。
木の「股」からおならを出す。だいぶわからなくなってきているが、楽しい