地域性があったら面白い
いつにも増して共感を得づらい内容でしたが、最後まで読んでくれた人、いらっしゃいますか。マニアックすぎましたかね。
次回は多摩川じゃない別の川について記事にしたいと思う(←懲りていない)。
大きな川の土手に、整備された道ではなくて、人が勝手に通ることによってできた道があるじゃないですか。
以前からこういう自然発生的な道に対して、なぜだかしみじみ良いなあ、と思っていた。これを「土手けもの道」と呼ぼう。
良い季節だし散歩しつつ見て回ろう、と出かけたのは、多摩川右岸、登戸から川崎までの20km弱。実に楽しかった。
大きな川の土手に、整備された道ではなくて、人が勝手に通ることによってできた道があるじゃないですか。
以前からこういう自然発生的な道に対して、なぜだかしみじみ良いなあ、と思っていた。これを「土手けもの道」と呼ぼう。
良い季節だし散歩しつつ見て回ろう、と出かけたのは、多摩川右岸、登戸から川崎までの20km弱。実に楽しかった。
言葉で説明してもあまり良く分からないと思うので、とにかく写真をざざっとご覧ください。まずはぼくが「これは良いなあ」、としみじみ気に入った、理想の「土手けもの道」たちです。
どうだろうか「土手けもの道」がどういうものかおわかりいただけただろうか。
どういうものかは分かったが、これのどこが「理想的」なのかというところが理解しづらいかと思う(「分かる!」って方はこんど一緒に土手巡りしましょう)。
一言で説明すると「ショートカットしている」ということです。
河原によくありますよね、こういう大回りしている道。勾配を緩くするためにつづら折りになっている。
これ自動車などにとっては合理的だが、歩行者にとってはダルいことこの上ない。そこで、道がない部分をざくざくと歩く。すると、そこがやがてショートカットのけもの道になる、というわけだ。
どういう土手けもの道が、ぼくにとって理想的かは分かっていただけたとおもう。が、なんでぼくがこれを良いと思うかは分からないままかと思う。自然発生ショートカットのどこがそんなに良いのか、と。
それは上手く説明できません。
なので「ふ−ん、そういうものなんだ−」というぐらいの気持ちで先を読み進めてください。というか、今の時点で「なんか分かるかも」という方じゃなければ、そもそも読んでいないと思いますが。
さて、ショートカット以外のけもの道があるのか、という疑問がわくでしょう(ぜひわいてください)。あるんです。
例えば下のようなもの。
以上のようなものだ。これらはショートカットではない。そもそも道自体がないのだから。人が当然歩くところを歩いていたらそこがけもの道になった、というケースだ。
さきほどのショートカット系を「1級けもの道」とするのならこちらは「2級けもの道」だ。
なぜ階段をそこで終わりにした? と思うが、河川敷の管理上いろいろあるのだろう。いずれにせよ、ぼくはショートカット系の方が好みだ。なのであちらを1級、こちらは2級である。
上のケースは複雑で、実に味わい深かった。まず、階段の正面に2級けもの道がある。そして画面向かって右の方向にショートカットして行きたい人たちがつくったけもの道がある。なので、それは1級。
思いつきで等級付けなどしてしまったが、2級でも「いいなあ」というものがある。下がそれだ。
こういうケースもあるのか! とうれしくなった。階段から当然そこに道ができるよね、という点ではこれは2級けもの道だが、そもそもその階段の存在が面白い。
土手の外側、写真の手前の道路はけっこう頻繁に自動車が走っていて、歩道部分もほとんどない(土手がその代わりになっている)。かつ、カーブしていて見通しも悪い。なので道路を横断するのは結構危ない。だからこの階段を使う人はほとんどいないと思われる。おそらく昔は土手の高さも交通量も現在とは違っていたのだろう。階段はその頃の名残なのではないか。
ともあれ、こういうけもの道の発生の仕方もあるんだなあ、と、ちょっと興奮した。
伝統的にデイリーポータルZは土手に行きがちなのだが、ぼく自身はほとんど土手経験がない。通っていた高校は江戸川の土手の近くだったが、帰り道土手を歩くのはカップルの特権であり、ぼくには縁のない寄り道だった。スポーツもサイクリングやジョギングなどといったアクティビティにも興味がないので、とくに行く理由がなかった。
しかし今回じっくり土手を散歩してみて、実感した。土手、楽しい。いろいろよく見えて楽しい。
多摩川に向かって誇らしげにマンション名が掲げられていた、その書体。
この手の書体をぼくは「エマニュエル体」と呼んでいる。「明朝体」「ゴシック体」といったあの「体」だ。エマニュエル体。
エマニュエルとは、映画「エマニエル夫人」のこと。そのタイトルがこういう感じなのだ。
中学生の時、深夜にテレビでエマニエル婦人シリーズのうちのどれか(どれだったのかはわからない)が放送されてるのを見て衝撃を受けた。本格的な性の目覚めである。ぼくと同性代の人は同じような衝撃を経験しているのではないだろうか。ようするにエッチな内容の映画だった。
内容もさることながら、そのタイトル書体も印象的で、この手のフォントを「エマニュエル体」と呼ぶにいたった。
ちなみに上の画像をご覧の通り当時日本で公開されたときの邦題は「ニュ」じゃなくて「ニ」だが、原題は「Emmanuelle」なので「エマニュエル体」と表記することにする。そこらへんの正確性などどうでもいい話だと思いますが。
かなり脱線しましたが、土手楽しかった、ということです。
閑話休題。
で、さきほどのお稲荷さんで気づいたのが、「けもの道の目的地にもいろいろありそうだ」ということ。
参道もあれば「家路」としてのけもの道もある。土手けもの道発生の理由をちゃんと分類して研究したらおもしろいのではないか。
さて、ここからは道の形態を愛でていきたい。さきほどから「ちょっと曲がってるのが良い」と言っているが、実際、多くの土手けもの道が魅力的に曲がっているのだ。まっすぐであることはほとんどない。
土手のけもの道が曲がる理由は、おそらく3つある。ひとつは「斜面だから」。2つめは「地面がデコボコしているから」。3つめは「植物が生えているから」。
上のジグザグは、デコボコ具合と植物によって生まれたものだろう。とてもいい。
今回ぼくが「土手の」けもの道を見ようと思ったのは、いろいろな事情で真っ直ぐにならないのが面白いと思ったからなのかも、と今気がついた。
マンハッタンは碁盤の目に整えられているのに、タイムズスクエアとフラットアイアンビルのところは道が鋭角に交わっている。
これはブロードウェイが斜めに走っているからだ。
ブロードウェイはヨーロッパから入植者がやってくる前からあって、アメリカ先住民が通っていた道だという。その後他の道が碁盤の目に整えられていく中、なぜかこの道だけは元のルートを保ったまま現在に至る。
何が言いたいのかというと、ブロードウェイは先住民による「けもの道」で、マンハッタンの地形に従って生まれたものなのでは、ということだ。
けもの道は、よく残る。なぜならそれは「User experience」だから。
碁盤の目とブロードウェイの関係は、先の「ショートカット」に似ている。
なんだかすごく良いことをいった気がする。これで終わりにするときれいにまとまるのだろうが、もうひとつ土手けもの道について紹介したいことがある。
それは、なぜか2本になることがある、ということ。
なんで2本になるのだろう。最初は「自動車の轍かな?」と思ったが、よく見ると全然幅が狭いし、車がわざわざ通るような傾斜ではない。
あるいは広くなったけもの道の真ん中に植物が生えて、結果的に2本になったように見える、とか? とも思ったが、そうでもなさそうだ。そういうケースもあるかもしれないが。
ぼくの仮説は2つ。ひとつは最初にできたけもの道が、えぐれて歩きづらくなった結果、その脇を歩く人が増えた。あるいは雨の日にぬかるんだので同じように脇を歩いた。
もうひとつは、大人数が行き来したため(たとえば花火大会の時とか)、車線が増えた、という説。
いまのところっぼくの仮設はこんなところだ。もし他に理由が思い浮かんだら教えて欲しい。
まだまだたくさんの土手けもの道写真がある。思いつくこともいろいろある。が、そろそろこれぐらいにしておこう。
最後に、今回見たもののなかで気に入った土手けもの道を。
土手けもの道にはクローバーが咲きがち、ってことあるんだろうか。人の足で踏み固められた周辺の硬い土でも耐えられる強い植物、とか?
まあ偶然か、ぼくの思い込みな気もするけど、でも「人が作ったけもの道に、花が咲く」ってなんかいいじゃないか、と思った。
いつにも増して共感を得づらい内容でしたが、最後まで読んでくれた人、いらっしゃいますか。マニアックすぎましたかね。
次回は多摩川じゃない別の川について記事にしたいと思う(←懲りていない)。
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