特集 2011年12月7日

消えた運河の痕跡を探す旅(古地図散歩・大阪大正編)

本稿とはあんまり関係ないけど、尻無川水門でかい
本稿とはあんまり関係ないけど、尻無川水門でかい
先日、目白の古書店で、大正11年と昭和18年の大阪市の地図を見つけた。
値札がついてなかったので、恐る恐る値段を聞いてみたところ、古書店のおばちゃんがかなりアバウトで「他の古い古地図と全部ひっくるめて1000円でいいよ」なんて言ってくれたので、格安で入手できた。
家に持ち帰って眺めていると、これが実に楽しい。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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しばらく、大阪古地図鑑賞にお付き合い下さい

1枚あたりたぶん200円ぐらい
1枚あたりたぶん200円ぐらい
しかし、大正11年。西暦でいうと1922年、90年ちかく前だ。駅名の表記を見てみるとその古さが実感できる。
「かさほを」ってなんだ?「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
「かさほを」ってなんだ?「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
「しほみばし」の行き先「ながの」は河内長野のことだ「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
「しほみばし」の行き先「ながの」は河内長野のことだ「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
「かさほを」これ、脳の文字認識回路が余計に遠回りしないと読めないので「おおさか」か! と気づくのに3秒ぐらいかかってしまった。右は「汐見橋駅」と「湊町駅」だ。どちらも変体仮名を使っている妙な読みにくさが大正っぽくてよい。
府庁「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
府庁「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
扇町公園「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
扇町公園「大阪市街新地圖(1922大淵善吉)」
「府廳」と仰々しく書かれているのは旧大阪府庁だ。現在の大阪府庁は大阪城のすぐ脇に建っているけれど、この頃は大阪湾に近い江之子島と呼ばれる島にあったらしい。
東京でいうと、新宿に移転するまで都庁のあった有楽町みたいな感じだろうか?
そしてさらに気になる場所が「天満駅」横の巨大な空き地だ。現在は扇町公園になっているけれど、Wikipediaによると元々「大阪監獄」があった場所で、監獄は1920年に堺市へ移転している。公園は、ちょうどこの地図が発行された年(1922)の翌年1923年に開園したらしい。
東京でいうと、小菅に移転するまで刑務所のあった池袋みたいな感じか?

大正運河周辺の変貌ぶりがものすごい

で、本題の大正区だ。
大正運河の説明をする前に、ざっくりと大正区の位置について説明しておきたい。
大正区は大阪市にある24区のうちのひとつだ。尻無川と木津川に挟まれ、隣の区に行くにはかならず橋をわたるか渡船を利用しなければいけない。要するに区全体が島なのだ。

より大きな地図で 大正区 を表示
では、なぜそんな大正区に注目したのか。それはその昔、この大正区を東から西に突き抜けるように大正運河という運河が掘られており、その運河の変遷を地図の上でたどってみると、目を疑うような変わり方をしていたからだ。

一番古い大正11年から順に昭和50年まで並べてみた。もちろんすべて同じ場所だ。
!
大正11年には一面の農地が広がる埋立地だったのが、20年ほどで網の目のように運河が掘られたにもかかわらず、昭和50年になるとわざわざ掘った運河をほとんど埋めてしまっている。
埋めたり掘ったり埋めたりと実にせわしない。
以前、中途半端な古地図を頼りに散歩するという企画で江東区の貯木場や運河を見て回ったのだけど、この大正区の運河でも似たような運河の痕跡がないか、「中途半端な古地図で散歩する・大阪大正区編」として調べてみたいと思う。
……やっと、本題に入った。
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大正区は鉄道がほぼない

唯一の鉄道駅
唯一の鉄道駅
大正区には鉄道がほぼない。区の北端に唯一の鉄道駅であるJR大阪環状線の大正駅があるだけだ。
ここから「大正運河」があった場所に近い大正区役所までバスで移動する。
たまたま見つけてとっても助かった
たまたま見つけてとっても助かった
1日300円でレンタル可能
1日300円でレンタル可能
区役所横のコミュニティセンターでたまたまレンタサイクルをしていたので自転車を借りて色々とめぐってみることにした。
しかし、今考えると、ここで自転車を借りておいて大正解だった。歩きとバスだけではとてもじゃないけれど、見てまわれなかったと思う。

いきなり運河の痕跡を発見

千島大橋「最新大大阪全圖」(1943日本統制地圖株式會社)
千島大橋「最新大大阪全圖」(1943日本統制地圖株式會社)
まずは、大正運河と木津川の合流地点に向かう。古い地図では「千島大橋」となっている、あたりだ。

より大きな地図で 千島大橋 を表示
自転車で数分。この辺が千島大橋か。とあたりをキョロキョロしていると。橋の横によくある送水管を発見。
これは明らかに水道管!
これは明らかに水道管!
大した写真でもないけれど、嬉しかったので写真を大きくしてみた。
思わず、よく残ってくれてたのう。と、縁もゆかりもないけれど、労をねぎらってしまう。
水道管には「1963」の文字があった
水道管には「1963」の文字があった
しかし、いきなりこんな大モノの痕跡を発見してしまい、罰があたりやしないか心配するのだが……。

運河の跡には団地が建ちがち

この辺の斜めの運河は今どうなってるのか?  「大阪市区分地図帖」(1966昭文社)
この辺の斜めの運河は今どうなってるのか? 「大阪市区分地図帖」(1966昭文社)
千島大橋から北側にもけっこう大きな運河がある。今はどうなっているのか?
でかい
でかい
団地だ。
千島大橋北の運河は、千島団地という団地になっている。
北が右側の地図です
北が右側の地図です
団地案内図の看板をよく見てみると、むかしの運河の形そのままのような気がする。
以前、江東区の貯木場跡をめぐったときも、貯木場を埋め立てたあとには団地やマンションが建っているケースが多かったのだけど、大阪でもそうなのかもしれない。
ところで、さっきから運河、運河と言っているけれど、これってたぶん貯木場だ。
なぜなら、当時架かっていた橋の名前をよく見てみると、楊(やなぎ)、杉、椹(さわら)、樟(くすのき)、柏、杉、檜、榎など、木の名前が付いている。そして極めつけは材木橋なんて橋まである。
なんとも洒落たネーミングだ。

運河の痕跡を求めて迷走スタート

さらなる運河の痕跡がないか、今度は大通りより西側にある運河を目指してみた。
千林橋 「大阪市区分地図帖」(1966昭文社)
千林橋 「大阪市区分地図帖」(1966昭文社)
運河というか、貯木場だと思うのだけど、これだけおおきな貯木場があったにもかかわらず、現在の地図をみてみると跡形もない。

より大きな地図で 千林橋公園 を表示
この千林橋南の貯木場を目指して自転車で向かう。
あれ、ここどこだ?
あれ、ここどこだ?
この辺が貯木場あと?
この辺が貯木場あと?
道に迷ってしまった。当たり前だ、40年以上前の地図を参考に、今はない貯木場を目指して走っているのだから。やってることは傍から見たら夢遊病とそんなに大差ない。

公園名に千林橋の名前を発見

迷ってウロウロしているうちに公園を発見した。
千林橋の名前が残ってた!
千林橋の名前が残ってた!
なんと、偶然みつけた公園の名前に「千林橋」の名前が残っていた。この辺が千林橋だったのか?
目の前のお地蔵様にお参りしていたおばちゃんに聞いてみた。
公園眼の前のお地蔵様
公園眼の前のお地蔵様
--あのすみません、こちらにお住まいの方ですか?
「いや、ちゃいますけど……」
--そうですか……
「(手に持ってる地図をみて)なに探してんの?」
--この公園、千林橋公園っていうんですよね、この千林橋ってこの地図のこの橋のことですよね?
「そんな、小さいの見られへんよ」
--あぁごめんなさい、いまこの昔の地図を見ながらこのあたりの運河の跡がないか探して回ってるんですけど、どこか運河の跡がこんなところにあるとか、ご存知ないですか?
「いや、もう、ここらへんはガーって埋立てもうて跡なんかのこってへんよ!」
--そ、そうですか……
「北恩加島のあのへん一体はもうぜーんぶ地上げして、このへんに移転してきたんやから」
--貯木場を埋め立てて、こっちに引っ越してきたってことですか?
「そうや」
尻無川沿いの北恩加島という町を工業地帯や新しい港にするため、区画整理して、立ち退きをしたひとに、貯木場を埋め立てた場所へ移ってもらったということらしい。
ただ、おばちゃんの「地上げ」という言葉の意味について、大きな勘違いをしていたことを後で知ることになる。
こういうことらしい  「エリアマップ大阪市」(1975昭文社)
こういうことらしい
「エリアマップ大阪市」(1975昭文社)
で、結局、この千林橋公園の千林橋がどのへんにあったのかというのはわからないらしい……。
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おばちゃんとランデブー

つれってたろか?
つれってたろか?
「ほんでどこ行きたいねん?」
--いや、どこってわけではないんですが、昔の様子がわかるところとか……。
「そやったら、ここからやったら甚兵衛の渡船場が近いんちゃう」
--渡船って渡し舟ですよね?
「そうや、あっちの方や、つれってたろか」
--じゃあ、おねがいします。
大正区には渡船場がたくさんあるという話は聞いていたのだけど、今回のこの取材では関係ないのと時間がないので行かないつもりだった、しかし、せっかくおばちゃんが連れてってくれるというので、ご好意に甘えてひとつだけ行って乗ってみることにした。
結構早い
結構早い
スイスイ進んでいくおばちゃんの自転車にしばらくついていくと「こっから左に入ったら渡船場やで」と教えてくれた。「お忙しい中すみません」とお礼をいうと「ついでや」と言い残してぴゅーっと行ってしまった。

1分の船旅

ラッシュ時は2艘で運行してるらしい
ラッシュ時は2艘で運行してるらしい
大阪市には大阪市営の渡船が8つあり、そのうち7つまでが大正区にある。この甚平渡船は港区福崎と大正区を結ぶ渡船だ。
自転車と単車が持込OK
自転車と単車が持込OK
乗船時間はわずか1分ほど
乗船時間はわずか1分ほど
乗船料は無料。利用者は全員自転車を持ち込んでいた。出発したと思ったら大きくカーブしてもう到着。本当にちょっとの間だ。月島や佃の渡し船の写真を見たことがあるけれど、まさにこんな感じだった。もうちょっと乗っていたい気もするけれど次の目的地に向かいたい。

謎の小島はなんなのか?

ところで、ぼくがもう一つきになっている箇所がある。それはここだ。
あの島になにがあったんだろう?「大阪市区分地図帖」(1966昭文社)
あの島になにがあったんだろう?
「大阪市区分地図帖」(1966昭文社)
運河に囲まれた橋もなにもかかっていない島。中の島になにがあったのだろう?
少なくとも昭和41年の地図までは載っているので、今から45年前まではこの場所にあったのだろう。と、思う。はたして中の島にひとは住んでいたのか? 住んでいたとすれば買い物はどうしてたのか? 気になる。ちなみに現在の地図でいうとこの辺だ。

より大きな地図で 大正高校 を表示
おそらく、高校を作るときに埋立てしまったのだろう。
大正高校
大正高校
ここがその大正高校なのだけど、さすがに学校の敷地に入るわけにはいかないので、近くのひとに話を聞いてみた。
アーハッハッハ
アーハッハッハ
--あの、こちらにお住まいのかたですか?
「いや、ちがいますよ」
あ、また住人でないひとに声かけちゃった……。
--そうですか……こちらの工場は昔からされておられるんですか?
「いやー、なんぼぐらいなるんやろ? こっちに引っ越してきて10年ぐらいちゃうかなあ」
--このあたりの昔の地図を見てて、大正高校の所が昔なんだったか調べてるんですけど……ご存知ないですよね?
「このへんは材木屋さんがおおいやろ? だから貯木場があったちゅうのは聞いたことあるけども、んー、わからへんねー、アハハハー」
--アハハハー」
思わずつられて笑ってしまうほど陽気なおばちゃんだったけれど、貯木場以外の手がかりは得られなかった。
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公園のおっちゃん達に聞いてみる

おそらく貯木場の運河なんだろうけども、なぜ真ん中が島のようになっているのか? 謎を抱えたまま泉尾公園にやってきた。公園にいたおっちゃんとおばちゃんの3人にこの周辺について聞いてみた。
泉尾公園
泉尾公園
--あの、ちょっとお伺いしたいんですけど……
「なんですか?」
--近くにお住まいの方ですか?
「いや、ちゃうで」
まただ……なぜだろう「近くにお住まいですか?」ときくと必ず「違う」という。最近の中高年はプレーリードッグ並に警戒心つよい……。
--このあたりにあった運河のことを調べてるんですけども……
「どこ行きたいねん?」
--いや、どこ行きたいというわけではないんですけども、この地図のここにあった運河がなんだったのか……
「(地図を指差して)これな、この通りが今バス走ってるやろ、その通りや、で、今はここや」
--泉尾工業高校ってのが……
「(三人声をあわせて後ろを指さし)ここや」
もう、完全におっちゃんたちのペースに巻き込まれてしまっている……さすが大阪。
しゃべりだすとわりと止まらない
しゃべりだすとわりと止まらない
--この公園って古い地図には載ってないんですけど、いつ頃にできたんですか?
「40、もう50年ぐらいなるんちゃうかな?」
--この近くに貯木場があったって聞いたんですけども
「川(貯木場)はようけあったよ、木の皮が浮いとったってはなしはようきくもん。近所のにいちゃんは木の皮の下に鮒がおよいどったゆうてたから」
--昔とは町の形がぜんぜん違ってて……
「違うやろー、ヘッヘ、大正区はな、いまからもう30何年前に全体的に地上げしたんや」
--地上げ?
「地面が低かってから」
--あぁ! 地面を嵩上げした!
「相対的にあげなんだら地面が低うかってん、そやから雨が降ったらすぐ浸かりよったで」
地上げって「地面の嵩上げ」のことか。さっき自転車で案内してくれたおばちゃんも「地上げ」って言ってたけど、あれは「土地を買う」という意味じゃなくて、地面の嵩上げのことだったのだ。
大正運河周辺に古い道がまったく残ってないのは、全体的に土地を嵩上げしたためだったのだ。
「市電なんかも雨が降ったら杉の皮巻きつけてはしりよって、運転手泣かせやったんや、大阪のタクシーはちょっと雨降ったときに「大正区行ってくれ」って言われたら「水浸かるからアカン」って断っとったっていうからな、ハハハッ」
貯木場から流れてきた杉の皮が路面電車の車輪に巻き付いて大変だったらしい。こういう昔話はやはり実際に見たひとじゃないとわからないリアル昔話だ。面白い。話は面白いが、中島になってる運河についての情報はなかなか出てこない。

話は順調に脱線しだす

--そうすると、あの昭和山も嵩上げしたときに?
「あぁー、あれはね地下鉄天六線掘ったときの土や」
昭和山とは、千島公園にある小高い山のことで、実は最初に見つけた水道管のすぐ後ろにあたりにある。けっこう高いので、大正区内のいろんな場所から見ることができる。
昭和山
昭和山
--あの山、地下鉄の土だったんですか! へー。
「ほいで、地下鉄天六線掘るときに、ガス爆発起こしたんや、だいぶん死んだんや、火が出て、今から40何年前や」
後で調べてみると昭和45年の「天六ガス爆発事故」のことだった。ちなみに、天六線というのは今の地下鉄谷町線のことだ。
「で、貯木場は住之江にうつったんやけど、その当時できたのがダイエイサンギョウゆうてな、いわゆる、あの何とかイタ、板よ」
--ベニヤ板ですか?
「ベニヤ板!あれがその当時できはじめて、その後できたのが火災にも強いということでアスベストができたんや」

なぜか話が建築資材の変遷史になってしまっているけれど、面白いのでもうちょっと聞いてみる。

「ベニヤ板ができたときはダイエイサンギョウはものすごい儲かったんやで、商売っちゅうもんは、ええ期間は30年も続くもんじゃない、なんの商売でもこれがえぇ思て、松下みたいな賢い人らが尼崎で何百億かけて、シャープが堺で金かけて、設備投資ごっついしても、すぐに辞めやん。あんな頭の賢い連中が集まって、先の見通しがでけんっていう、不思議でかなんわ」
いやほんと、お説ごもっともです。

「で、松下さんがでた高校がここ(泉尾工業高校)や」
--え!松下さんってあの松下幸之助さんですか?!
「そうや、せやからここの子は就職率良かったんや」
え、本当ですか! と思わず学校の記念写真を撮ってしまったのだけど、後で調べてみたら、泉尾工業高校を卒業したのは松下幸之助氏ではなく、元松下電器産業社長の山下俊彦氏らしい。
泉尾工業高校
泉尾工業高校
中高年の昔話はこのようなレベルの高いトラップが仕掛けられてることが多々あるので注意しなければいけない。
しばらくすると、おっちゃんたちは「そろそろ時間や、ほいじゃ」とぴゅーっと帰ってしまった。
時間切れ
時間切れ

脱線する話もやっぱり面白い

旧大正運河の尻無川側にある桟橋
旧大正運河の尻無川側にある桟橋
結局、中島のある運河が何だったのかは分からずじまいになってしまった。しかも、運河の痕跡らしきものは水道管と千林橋公園の名称ぐらいのもので、大正区の運河あとはそんなに残ってない。という結果になってしまった……。
でも、おっちゃんたちの昔話を聞けたので良しとしたい。
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