特集 2011年10月13日

山手線の踏切の跡

踏切の跡っぽい
踏切の跡っぽい
山手線には、踏切が1つだけある、という話はわりあいよく知られていると思う。駒込と田端の間にある。

ただ、地元の人の話によると、昔はその隣にも踏切があったようだ。だいぶ前になくなってしまったそうだが、言われてみるとそれっぽい痕跡が確かにある。

山手線の、そういう、前は踏み切りだったけど、今はそうじゃないような場所をめぐって痕跡を探してみました。
1976年茨城県生まれ。地図好き。好きな川跡は藍染川です。(動画インタビュー)

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山手線には踏切が1つだけある

これがその、山手線に1つだけあるという踏み切り。
大きなゴルフボールが目印
大きなゴルフボールが目印
家の近所なのでぼくにとってはなじみが深いんだけど、山手線に乗ってるとあっという間に通り過ぎちゃうので、気づくのはなかなか難しい。

そんなこの踏み切り、名前を「第二中里踏切」という。第二。カンのいい人なら、じゃあ第一踏切がどこかにあったはずと思うだろう。
ここがそうです
ここがそうです
場所は、さっきの踏切から駒込駅に向かって坂を若干下ったあたり。地元の人の話によると、以前はここに人ひとりがやっと通れるくらいの小さな踏切があったようだ。
言われてみると確かにあやしい。1)上空の高圧電線の注意標識は踏切によくある 2)コンクリートの構造物がここだけ途切れてる
言われてみると確かにあやしい。1)上空の高圧電線の注意標識は踏切によくある 2)コンクリートの構造物がここだけ途切れてる
以前このあたりを歩いていたとき、昔はなにかがあって閉鎖されたっぽいなあとは思ったんだけど、それが踏切で、なるほどだから今ある踏切は第二なんだと繋がったときにはちょっと感動した。
俯瞰すると確かに線路をはさんで道が連続してる
俯瞰すると確かに線路をはさんで道が連続してる
gooの古地図サービスで昭和38年の航空写真を見ると(こちらをクリックして地図上部の「古地図」から昭和38年を選択)、たしかに山手線の線路をナナメに横切る白い跡が見える。これが踏切だったのだ。

警報機も遮断機もない牧歌的なつくりで、あぶないから子供は渡っちゃいけないと言われていたそうだ。そういう踏切は第4種踏切と呼ばれていて、地方の単線とかではたまに見かける。
例)小湊鐵道の第4種踏切。デイリーポータルZ「小湊鐵道・第4種踏切めぐり」より引用。
例)小湊鐵道の第4種踏切。デイリーポータルZ「小湊鐵道・第4種踏切めぐり」より引用。
こういう踏切が山手線にあったんだと思うと感慨深い。

山手線は複線で、貨物線も入れると計4本の線路がある。けっこう長い踏切なのに警報機も遮断機もないんじゃ、たしかに危なかっただろう。現に事故も多く、あえなく廃止となったようだ。

ただ、地元の人の利便を考えてただ廃止にするだけじゃないのが国鉄のえらいところで、その後、付近には人が通るように線路の下にトンネルが作られた。
アンモナイトも泳ぐ中里第一隧道
アンモナイトも泳ぐ中里第一隧道
さらに昭和22年の航空写真を見ると(先ほどと同様に古地図から昭和22年を選択)、もっと駒込駅に近い場所、むしろ現駒込駅ホームを横断するような形で、踏切っぽい白い跡が見える。
現場はこちら
現場はこちら
昭和22年というと70年ほど前だ。さすがに地元の人に聞いてもその踏み切りについては分からないとのことだった。

昔は、山手線の車両がいまのように11両もの長い編成じゃなくて、だからホームも今より短くて済んだ。そのときに、当時のホームをかすめるようにしておそらく第4種踏切があったんだろう。残念ながら痕跡はまったく見つけることができなかった。
手前のコンクリートの蓋の下は水路。昔は蓋もなく、こどもがよく水遊びしてたそうだ。山手線わきで!
手前のコンクリートの蓋の下は水路。昔は蓋もなく、こどもがよく水遊びしてたそうだ。山手線わきで!
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目白―池袋間の踏切の跡

次は、目白から池袋に向かってちょっと歩いたところ。以前はここにも踏切があった。
ここです
ここです
踏切が廃止されたのは2005年とけっこう最近のことなので、覚えている人も多いだろう。ぼくも学生時代、友人の家をたずねるときにここを通った記憶がある。

名前は「長崎道踏切」。
注意書き
注意書き
高圧電線注意のような注意書きがある。いわれないと見過ごしそうだが、これらは「踏切注意標」とよばれるもので、だからこれも踏切の跡だ。
痕跡まとめ。1)自動車の高さ制限を示す「スパン線」 2)踏切注意標 3)ガードレールがここだけ新しい
痕跡まとめ。1)自動車の高さ制限を示す「スパン線」 2)踏切注意標 3)ガードレールがここだけ新しい
最近の写真があればいいのだが、持っていないので gooの昭和38年の航空写真を見るとこんな感じ(同様の手順で古地図→昭和38年を選択してください)。

この取材中もひっきりなしに山手線や埼京線が通っていたが、廃止当時も鉄道側の交通量が多くて開かずの踏切となっていたようだ。
階段の下(画面右下)でこどもと母親が電車を見ている
階段の下(画面右下)でこどもと母親が電車を見ている
駒込の例と同じく、廃止後は代替として「花のはし」という橋がつくられた。見ている間だけでも数人が利用していて、そこそこ交通量は多いようだ。

渋谷―恵比寿間にも踏切があった(ようだ)

渋谷を出発した東急東横線が山手線の上をくぐるあたり、地名でいうと東一丁目交差点あたりにも踏切があったようだ。

gooの昭和38年の航空写真(古地図→昭和38年を選択)を見ると、白っぽくなっている。これは歩道橋じゃないだろう。すぐ上の東横線のかかる橋は線路に影を落として立体的に見えるから、もし歩道橋だったら同様に影が見えるはずだ。
ここです
ここです
行ってみると、そこは歩道橋になっていた。代官山の周辺でぼくは土地勘がないのだが、分かる人なら分かるだろうか。

ここでぼくはぬかよろこびをした。見てよこれを!
これは・・!
これは・・!
歩道橋の上から恵比寿方面を見ると、アスファルトが残されていた。これは踏切の跡だろう。やった!と思ってバシャバシャと何枚も写真を撮った。

ところが家に帰ってからあらためて現代の地図と比較すると、当時の踏み切りは今の歩道橋の真下にあったらしいから、位置が違うようだ。goo地図で時代を切り替えると分かります。

じゃあこのアスファルトは何なんだ。だれか詳しい方がいたらTwitter ででも教えてください。歩道橋の建設中、踏み切りの位置がずらされた、とかなら嬉しいんだけどなあ。
くやしいので別角度から再掲
くやしいので別角度から再掲
歩道橋のまわりをぐるぐる回ったところ、唯一ペンキが塗られた年代だけが分かった。
塗られたのは昭和57年
塗られたのは昭和57年
だから昭和38年から遅くても昭和57年の間に踏切が廃止されて、歩道橋になったんだろう。すぐ脇のペットショップ屋さんに話を聞いたが、昔のことは残念ながら分からないとのことだった。
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新大丸踏切と長者丸踏切

こんどは恵比寿から目黒方面へ向かって歩いていく。東京都写真美術館をすぎて線路を渡り、さらに進むと跨線橋が見えてくる。
橋のふもとに怪しい門
橋のふもとに怪しい門
池袋と渋谷の例では、踏切の廃止後はいずれも歩道橋が作られていた。ここも同じで、ここにはかつて「新大丸踏切」という踏切があり、昭和46年に跨線橋の完成とともに廃止された。
カメラ少年発見
カメラ少年発見
橋の上から踏切跡を撮ろうと思ったら、階段下にカメラを持った少年を発見。なにやら線路のほうを見ている。

こういう少年は、高い確率で鉄道に詳しい。しかも自転車に乗ってきたから地元の人だろう。ということで新大丸踏切について聞いてみたが、

「いや、知らないです」

とあっさり。踏切跡っていうのは鉄道の趣味としても狭いのかも、と思ってちょっとショックだった。

少年は、この後で通る山手線の「臨時団体列車」というものを撮影しに来たらしい。礼をいって少年とはその場で別れた(後になって、少年に心の中で感謝することになった)。
門の向こうが踏切だった。手前の「あぶない!とびだし」は踏切注意標、ではない。
門の向こうが踏切だった。手前の「あぶない!とびだし」は踏切注意標、ではない。
橋の上からみた図。こんなふうに踏切が通っていた。
橋の上からみた図。こんなふうに踏切が通っていた。

長者丸踏切はぜひ行くべき

さらに目黒方面へ進むと、「長者丸踏切」という現役の踏切がある。山手線じゃなくて、山手貨物線という、埼京線なんかが走る線路にかかる踏切なのだが、ここがとにかくいい。
!
!
!
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15分ほどいたが、その間、踏切にはぼく以外だれもいなかった。電車が去るとあたりは静かで、ちょっとした庭園なみに落ち着く場所だった。

そしてそのあと目黒駅まで歩き、ホームで山手線を待っていたときだった。
山手線・・?なんだあれ!臨時!
山手線・・?なんだあれ!臨時!
なんか着ぐるみ乗ってる!
なんか着ぐるみ乗ってる!
後で調べたところ、抽選で選ばれた500人が、ノンストップの山手線車内でゲームをしたりする催しが開かれていたようだ(こちらを参照)。なにそれうらやましい。

取材用のごついカメラで、駅のホームでばしゃばしゃ写真を撮っていたので、周りの人には準備万端の鉄道撮影趣味の人に見えたかもしれない。本当はあの少年が教えてくれたから偶然に気づくことができたのだ。ありがとう少年。
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大崎と池袋は痕跡見つからず

昭和22年の時点で山手線の踏切とおぼしき場所は、大崎にもう一箇所あるのだが、行ってみても残念ながら痕跡は見つからなかった。

大崎駅と五反田駅の中間地点のあたり。goo地図だとここ(古地図→昭和22年を選択)。
このへんです
このへんです
線路脇に門があるのが怪しいといえば怪しい。

が、線路を見てもなにもない。
手前の盛り上がりが若干あやしいか?
手前の盛り上がりが若干あやしいか?
うーん。昭和22年の航空写真でもごくうっすらなにかが映っているだけなので、踏み切りはもともとなかったのかもしれない。

池袋にでかい踏切があった

池袋の昭和38年の航空写真を見てびっくりしたんだけど、池袋駅のすぐ北にある池袋大橋が当時はなくて、手前にでかい踏切があったようだ。

場所はgoo地図だとここ(古地図→昭和38年を選択)。あんな、山手線だの湘南新宿ラインだの埼京線だのと何本も線路をまたぐような場所に踏切があったとはびっくりだ。正確には山手線はその下をくぐっているので山手線の踏切じゃないんだけど、ついでだからここも見てみたい。


より大きな地図で 池袋の踏切 を表示

現在の地図で当時の踏切の位置を書くと、たしかに、駅の西と東の道がきれいにつながる!なるほど、こうなってたのか・・。
ここです
ここです
うーん・・
うーん・・
ただ、残念ながら痕跡を見つけることはできなかった。規模が大きいだけに、徹底的に改修されたのだろう。
ここがほんとに踏切だったの?
ここがほんとに踏切だったの?
東口側は公園になっていた
東口側は公園になっていた

踏切の痕跡はすごく微妙

地元の人のお話をきっかけに、踏切の痕跡を探してみた。結果としては、直接の痕跡はあまり残っていない。ただ、俯瞰してみると線路をはさんだ道どうしが直線でつながってるとか、あたりに歩道橋があるとか、そういう間接的なサインはいくつか残っているようだった。

取材中、あの設備は何だろう?と思うようなことが多かったので、鉄道や道路の施設についてもうちょっと勉強して、そういうサインをさらに見つけられるようになったらいいなと思いました。
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