特集 2011年8月15日

アート林間学校

神戸でアート林間学校というイベントがあるらしい。なに、アート?林間学校?よくわかんなけど、楽しそうだな。

ということで行って来ました、楽しかったです。
1983年三重県生まれ、大阪在住の司法書士。
手土産を持参する際は消費期限当日の赤福で受け取る側に過度のプレッシャーを与える。

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アート怖くない

と、よく分からないまま参加させていただいたが、C.A.P.という芸術家集団が毎年行っていて、たくさんのワークショップの中から自分がやりたいものを組み合わせて参加できるイベントらしい。
このメンバーでアート林間学校だ。奥にいらっしゃるのが美術家の島村薫先生。
このメンバーでアート林間学校だ。奥にいらっしゃるのが美術家の島村薫先生。
ということで、まず初めは「名付ける~再生美術館」というものに参加してみた。。折角のアート林間学校なので、アートっぽいのを選んでみたけれど、よく分かっていない。
名付ける~再生美術館

既存概念にとらわれずアート作品を自分の解釈で感じてもらう、遊び感覚の絵画鑑賞ワークショップです。自分の解釈でタイトルや台詞をつける事で名画を現代風に蘇らせます!!
と、言うことらしいが、分かるような分からない様な。大丈夫かな、と思っている内に始まった。
瞬間視クイズみたいなのだ!
瞬間視クイズみたいなのだ!
軽い挨拶があって、始めましょうか、と始まったのはクイズ。絵を一瞬見てどんな絵だったでしょうか、というものだ。
子供達の熱狂っぷり凄い。
子供達の熱狂っぷり凄い。
えっ、こういうのなの!?という戸惑いをよ
そに子供達はもうノリノリ。身を乗り出す乗り出す。叫ぶ叫ぶ。

えっ、テンションマックス!?助走とか、加速とかなし!?えっ、えっ。
負けてられるか!!
負けてられるか!!
負けじと身を乗り出す!ハイ!ハイ!!自然と緊張がほぐれ、クイズの問題も瞬間視クイズから

「展示作品には触ってはいけません、何故でしょう」

といったものに移り、注意事項を伝えるのではなく考えさせようとするものに移っていている。
クイズは掴みか!子供はバッチリ入り込んでいる。
展開が巧みだ…。

子供との触れあい方って難しいね

そんな注意もむなしく、子供はダメと言われるとやろうとする。それを注意すると、これをするとかまって貰えると思ってまたやる。

だがしかし、触るなと言われれば言われるほど触ろうとする。
だがしかし、触るなと言われれば言われるほど触ろうとする。
あぁ、そういえば自分もこうだったわぁ…と思い出し、周りの大人大変だったろうなぁ。と申し訳なく思った。
俺のカメラが…
俺のカメラが…
が、しかし今回は僕も標的の一部で、レンズ触ろうとするから、ダメ!って言ってたらカメラがこうなっていた。

何度かやめろやぁ~!って言ったが相手の攻撃はしつこく、半ば諦めて放置していたら、もうやらなくなった。

それを見て、何かのしつけ本でいたずらした時は叱った後、放置しましょうって書いてあったの思いだした。

芸術家の息子だった

そんな風に子供達と戦いながらそのままクイズのような形式を残しながら徐々に本題に入っていく。
この作品の元となったものはどの詩でしょう。
この作品の元となったものはどの詩でしょう。
モービルというのだろうか、この天井からつり下げる作品にはテーマとなった詩があり、それを当ててみようという問題。
モービルは一番右の子のお母さんの作品だと発覚。
モービルは一番右の子のお母さんの作品だと発覚。
作品を見て、詩を読んで作品を見て、考える。すると青いTシャツの子が「ママの事くらい分かるし」と言いだした。

実はモービルは青いTシャツの子のお母さんの作品だったらしい。そうなの!?
お母さんのやから俺は家で触った!と自慢し始めた。
お母さんのやから俺は家で触った!と自慢し始めた。
さて、作品のテーマとなった詩はどれか、回答しようとなった時青いTシャツの子が

「俺は答え分かるから、みんな俺が手上げたの見て真似するだろうから、目を伏せて手上げるようにしようよ!」

と言いだした。なんだ、凄い自信だな。俺、母親の考えてることなんて全然わかんないぞ。
さて、どれだろう。
さて、どれだろう。
こうなると、負けずに絶対当てたい!内容を見るとモチーフになってそうな物が具体的に書いてある詩がある。でも、なんか、こういうのって、抽象的なものからイメージ膨らませました!とか言うでしょー。
わー、えー、あー。分からない。

大人的判断力で、国語のテストの「作者の心理を答えなさい」的な解き方をすればこれだ!と、具体的に書いてあるほうの詩だと回答する。


先生が答えを集計すると、僕以外は全員一致で同じ答えらしい。マジか!子供の感性!?
俺が分かってないだけ!?

うわー、これは外れてたら、悔しいぞ…
さて、回答は…俺だけ正解!!!!
うぉー!きたー!!!
うぉー!きたー!!!
やった!良かった!!嬉しさよりも安心した。感性よりも文章読解力、芸術作品を読み解くにも学校教育が大事なんだね!!
何か椅子からこけてた。
何か椅子からこけてた。
さてこれで恥ずかしいのは母親だから絶対に分かると言った少年。

「そんなわけない!ママがこんなこと思う訳無い!」とか「実は正解はこっちなんだ!」

とか言い出した。相手が大人ならばいじり倒すのだが、子供なのと、正解者の余裕でうんうんと聞いていたら、何かテンション上がりすぎて椅子からこけてた。
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子供に怒られた…

次は、詩の題材を当てた作品に名前をつけてみよう!というコーナーだ。

さっきの詩に有った言葉を使っても、オリジナルでも何でもいいから名前をつければいいらしい。
みんなポコポコつけてくのなー。
みんなポコポコつけてくのなー。
とはいえ、なかなか思いつかない。というか思いついても、ありきたりか・・・とか、人様の作品にこれはちょっと・・・とか思ってしまう。

それに対し子供たちはポンポン付けていく。「風と雲」「雲の空」などなど、ふむ、俺も何か、何かつけなければ…
みんなでつけた名前鑑賞会。
みんなでつけた名前鑑賞会。
ふわーってしてていっぱいあってわーってしてて、やわらかい感じだから、つけるなら「わー」かな。と思って「わー」って書いて貼った。

うむ、この作品は「わー」だ。って思ってたら子供に「おい、ふざけんなよ」って怒られた。えええぇぇっ!?えええっ真剣だよ!?!

ふざけ倒してる子供に凄い怒られた。ビックリした。ふざけはOKだが、「わー」と名付けるのは子供の常識に反していたようだ。意外と常識に縛られているな、子供。

そして一緒にふざけたりした事で調子に乗らせすぎてしまったようだ。子供との接し方は難しい。

子供の常識の範囲がよくわからん

続いてどんどんと作品に名前をつけていく。
女の子の絵。
女の子の絵。
女の子の絵に対して「変な子」とか好き放題言っていたが「実はこの絵、先生が書いたんです!」って言うと「色が綺麗」とか言い出した。子供、気を使った・・・!
これを書いた人は上下左右決めていないらしい。
これを書いた人は上下左右決めていないらしい。
次は絵の向きを決める。上下左右、それぞれの向きで見てどれがいいか挙手をしてこの向きが一番多かったのでこの向きで飾りまーすとなった。

が、一番小さい子が違う向きがいいと言い出した。
凄い!って思った。
凄い!って思った。
それがこう、裏向き。おぉ、これは思いつかなかった。
裏もただ真っ白ではなく汚れや表の端を塗った時の色がはみ出てきたりしている。裏面からでも感じる表の力強さ。こうやって展示されてたら表も凄く気になる。

おぉ、固定観念にとらわれない発想。凄いな、子供!
って、思っていたら大きな子供が「そんなんダメに決まってるやん」と言い出した。おぅ、常識!

この時間中、小学生高学年位の子達は何をするにも一緒にいる子を気にしてチラチラ見ながら行動していた。子供の世界って、狭いからこそ強力なルール、縛りがあるみたいだ。

あぁ、確かにその頃ってそうだったかもと思い出す。

子供の感性の鋭さ

絵の題材となった人当て。
絵の題材となった人当て。
続いては絵の題材となった人を当てる。年齢、性別、性格など、絵の印象から言っていく。

「無口だけど優しい感じ」「おっきくて強いけど優しい」「40歳くらいの男の人」

などと次々と言っていく。それを聞くたびにあぁ、言われてみれば!とハッとする。
僕がぼんやりとだけ絵から受けている印象を直接ビシビシ受け止めているみたいだ。
本人のご登場
本人のご登場
と、そこへ絵の題材となったご本人が登場して驚いた。子供たちが言っていた通りの印象の方が現れたのだ。

常識、社会性を身につけかけている子供でも感受性は凄く豊か。子供と一概に言っても年齢で、それこそ1歳違えば全く違う特徴がありそうだ。
どの絵がすき?のコーナーとかもあった。
どの絵がすき?のコーナーとかもあった。
小さい大人ではなく、本能に従うだけでもない。かつて自分がそうだったとは思えないほど、思春期の子供って凄く不思議な存在に思える。
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自由が自由じゃない大人

そして最後は写真に落書きしてみようのコーナー。
例題は手と人参を書き足して「はぁ~、残そうかな」って言ってるやつ。
例題は手と人参を書き足して「はぁ~、残そうかな」って言ってるやつ。
騒ぎまくっていた子供たちが今回初めて静かになった。ほぼ二時間ノンストップで騒ぎ続けていた体力が凄い。
今回初めて、みんな静かになった。
今回初めて、みんな静かになった。
このワークショップをやってみて、テーマは固定観念にとらわれないということだったんだろうなと思っている。
黒柳右手つこ(作・僕)
黒柳右手つこ(作・僕)
その点で大人になって、既に固定観念にとらわれてしまっている僕は型にはまった大喜利のような事ばかり書いていた。
食物繊維(作・僕)
食物繊維(作・僕)
自由にしていいと言われていても自ら型にはまりにいく、その方が大外れはないからか。
末端冷え性(作・僕)
末端冷え性(作・僕)
子供の頃からひねくれ者と言われていたけれどこうやって見ると、普通に育って、普通になったなぁと思う(異論はあるのか自分なので分からない)。

子供の落書きって子供の落書きだよね

乗るとこ無いじゃん(作・小学校高学年くらいの子供)
乗るとこ無いじゃん(作・小学校高学年くらいの子供)
それに対し子供たちはどうだろう、と見てみると、見たことあるよな落書き方法。
何故男の子はこういう落書きを一生に一度は通るのか(小学校中学年位の子供)
何故男の子はこういう落書きを一生に一度は通るのか(小学校中学年位の子供)
オリジナルではあるのだけれどあっ、俺もこのくらいの年の時、こんな落書きしてたわ。
という落書き群。
眉毛と煙を書き足し(小学校中学年位の子供)
眉毛と煙を書き足し(小学校中学年位の子供)
全く別の人間で、別の環境で育ってきたのに同年齢では落書きが似るっていうのは一体どういう理屈なんだろうか。

人間って、不思議で面白い。と思わされる。
何、このシンクロ率(小学校高学年位の子供)
何、このシンクロ率(小学校高学年位の子供)
ならば、この子達も年を重ねてこういう落書きから大喜利に移行していくんだろうか。

固定観念に捕らわれることがいいことか悪いことか、実際どうなるかは分からないけれど、芸術作品などを見るときに色んな視点で見たことがある、というのはいい経験になるだろうなぁと思った。

やはり凄いぞ芸術家

イカちゃんと呼ばれる芸術家のお姉さん。それにしても全員笑いすぎだ。
イカちゃんと呼ばれる芸術家のお姉さん。それにしても全員笑いすぎだ。
と、そういうのをよそに一緒に参加していた芸術家のお姉さん(井階麻美さん)が異彩を放っていた。
?
分からない、分からないけど、面白い。奇をてらった感じでも無く、ウケを狙うわけでも無く凄く楽しそうに書いていた。
ん?んん?うん…。
ん?んん?うん…。
考えて描いているというより自然と出て来ているという様に見えた。この発想というか、着想の元となるものはなんなんだろう。
妖精・・・?
妖精・・・?
教育や訓練で身につけたものなのか、生まれながらに備わっていたものなのかが凄く興味深い。訓練で身につくものならばその訓練やってみたいと思うほどだ。
楽しそうってのが凄く伝わってくる。
楽しそうってのが凄く伝わってくる。
大人はこうは描けないよね。
大人はこうは描けないよね。
芸術家って、絵が上手い人とかじゃなくて特別な感性を持っているんだなぁと思い知った。

と、いうところで一つ目の再生美術館は終了。面白かった。
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卓の無い卓上キャンプファイヤー

次に参加するのはラグフォヤー、卓上キャンプファイヤーというものらしい。何だそれ。と思いつつ、林間学校っぽいというのとウインナーが食べられると聞き参加した。
卓すら、無い…!?
卓すら、無い…!?
卓上キャンプファイヤーって一体どうやってやるんだろう。七輪か。と思いつつ会場へ行ってみると、卓すらなかった。どうするんだ…?
今回教えてくれる陶芸家の松田さん(写真右)と美術家のベロニカさん(写真左)
今回教えてくれる陶芸家の松田さん(写真右)と美術家のベロニカさん(写真左)
軽く自己紹介をして始まったラグフォヤー。なんと、キャンプファイヤーをする土台から作るらしい。

子供の必死さ真剣さ

みんな、真剣。
みんな、真剣。
なにをどうして、どうなるかが全く見えないラグフォヤー。よく分からないけれど竹を組み上げて何かを作るらしい。
やぐらみたいなの出来てきた。
やぐらみたいなの出来てきた。
指示通りに竹を組み上げていく。慣れない作業だが「ここしっかりしなきゃ崩れちゃったりするからね!」などと言われ、みんな必死だ。
なんかテーブルみたいにはなったぞ。
なんかテーブルみたいにはなったぞ。
「そんな重要な作業だったら、僕出来ないよ…」みたいになってた子もいたけれど、大丈夫
大丈夫!って言ったら「大丈夫なのかぁ~」ってなってた。素直。
出来たテーブルに陶器を敷いて
出来たテーブルに陶器を敷いて
アルミホイルを敷いて砂を撒く。
アルミホイルを敷いて砂を撒く。
土台が出来たらば、炭を乗せるために断熱材の役割をするものを敷く。これで炭を置いて卓上キャンプファイヤーという事ですな。
燃えてきた燃えてきた。
燃えてきた燃えてきた。
ひねくれた僕はこれなら地面でやっても同じなのでは。と思っていたが、子供たちは違う。目の色が違う。キラッキラだ、キラッキラ。

テーブル出来たスゲー、その上で燃えてるスゲー!となった上で、なんならやり方覚えて今度やったろう!技術盗むぞ!位の意気だ。

これを平和と呼ばずなんと呼ぶ

ドイツの歌を歌いますー。
ドイツの歌を歌いますー。
さて、火が起こるまでにベロニカさん(ベロちゃん)にドイツの歌を教えてもらう。まずはベロちゃんが歌うのをみんなで聞いてみよう。

グゥーダーヤーコブ♪グゥーダーヤーコブ♪

!?

あれっ、これ、グーチョキパーで何作ろう。の歌じゃん。
ベロちゃんはずっとこの座り方で可愛い。
ベロちゃんはずっとこの座り方で可愛い。
話を聞くと、グーチョキパーの歌はドイツでは
ねぼすけお兄さんの歌(意訳)なんだそうだ。

なんでそんな事になってるの?って聞いたら、「アハハー、わからない!ハハッ」みたいな事を言っていた。

そんなドイツ版グーチョキパーの歌を歌ったり、ドイツの話を聞いたりしていたら。
火だっ、火がおこったぞ!!
火だっ、火がおこったぞ!!

きっと見えているものが違う

火がおこったので、じゃあそれでは焼いてみましょうかー。とみんなに串に刺さったウインナーが配られる。
子供の行動の速さよ。
子供の行動の速さよ。
それを受け取った子供の動きが速い。さっきまで少し消極的だった子も我先にと進んで焼いていた。

凄いな、ウインナー、凄いな、火。
そして焼いた後の嬉しそうさったらないよ。
そして焼いた後の嬉しそうさったらないよ。
はっきり言って僕の目からは非常階段に変なのある。って感じに見えるのだけれどきっと子供の目からは凄いもの、素敵なものに見えているんだろう。
ダブル食いは秘奥義らしい。
ダブル食いは秘奥義らしい。
同じ事をしても年齢や経験で見え方や楽しさが違う。子供の頃のこういう経験は本当にかけがえのないものなんだろうなと思った。
ウインナー=幸せといっても過言ではない。
ウインナー=幸せといっても過言ではない。
と、言いつつ、大人の僕自身も凄く楽しくて、でもそれは子供の頃のような自分がやる楽しみではなくて何かを教えたり、喜んでいるのを見たりする事が楽しかった。
ドイツではウインナーは大体パンに挟んで食べるらしいぜ。
ドイツではウインナーは大体パンに挟んで食べるらしいぜ。
参加させていただいた側なのだけれど、子供たちを楽しませるっていうのもいいもんだなぁと感じた。

そして、自分が何かを教えたり、与える事が出来るという事は、誰かから色んな事を教えてもらったり、与えてもらっていたからだということに気づく。
最後はグーチョキパーの歌ドイツバージョンの輪唱をしておしまい!
最後はグーチョキパーの歌ドイツバージョンの輪唱をしておしまい!
親や、周りの人たちのお陰で得たことを周りの子供たちに還元していく。そしてその子供たちがまた大きくなって誰かに伝えていったりするんだろうか。

人と人って、こういう風なつながり方もあるのかと、予想以上に壮大な感じになりましたが、このまま書いてたら、宇宙は一つだ!とか言い出しそうなのでおしまい。
結論としては楽しかった。という事です。

ということで、楽しそうだなと行ったアート林間学校で、子供って凄いな、面白いな。という事を知った。

なったことのないおじいちゃんよりも昔は自分もそうだった子供のことについての方が分からないことが多いし、想像がつかない事が多いような気がする。

本当に子供って不思議で面白い。
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