誤作動を起こす脳
解散後、友人が改めて感想をくれた。
「長く見てると、どれか一体が動き出すんじゃないかって不安になった」
背筋がひやりとした。感じていた異質さはやはり画面越しにも伝わっていたのだ。
離れたところにいる人とビデオチャットを通してリアルタイムで酒を飲む。ハイテク技術の賜物だ。
しかし私はすでに人と同じ空間を共有する楽しさを知ってしまっている。画面越しの交流が楽しいのはもちろんだが、人間でぎゅうぎゅうになった空間の中で居場所を確保したり、美味しい料理の最後の一口を取り合ったりしたい。
もう限界だ、と口では言っても、外出自粛要請を無視して外に飛び出す度胸はない。
せめて人と一緒に飲んでいる感を得たい。自分の等身大パネルとテーブルを囲もう。
そうと決まれば工作だ。まずはパネルの顔である写真を撮影しよう。
飲みは4人くらいがちょうどいい人数だし、3人分欲しいな。
人を囲み、囲まれる楽しい飲みの席を思い出しながら、お酒を手に取っているところをセルフタイマーで撮影した。
どうせ作るなら飲み会らしさがあるものがいい。
写真を切り抜いた後、分割印刷できるようにデータを作成する。
前屈みや、座ったポーズをとっている写真であるため、実物ぴったりサイズを再現することが難しい。
頭部を基準とし、女性の顔のサイズ平均、およそ22cm×14cmを目安に調整した。
このデータをA3用紙に印刷すれば最低限人間としてありうる大きさになるはずだ。
お酒を取っているポーズのほかに、2ポーズ撮影した。
我が家にはコピー機がないのでコンビニへと向かった。
入店してすぐには大してお客さんもいなかったのに、印刷が始まったタイミングで背後にコピー機待ちのお客さんが並んだ。
そのあいだイヤな汗をかきながら液晶画面の”印刷時間7分”という表示をじっと見ていることになった。
永遠に思えた7分を終え、そろった印刷物を確認すると、何枚か違うサイズで出ていた。どこか設定ミスをしていたのかもしれない。さらに機械側の不調か、色味がおかしなものもある。
刷り直しを考えたがこの日はコピー機利用のお客さんが多く、そのままでよいことにした。自分の写真を印刷することに人を長時間待たせるのには大変な精神力が必要なのだ。
テープでつなぎ合わせた段ボールに印刷した自分を貼っていく。
ここに到るまで抱いていた「自分の写真を大きく印刷するのは恥ずかしい」という気持ちは、貼り合わせて人の形にしたあたりからどこかへ行ってしまった。
この時点での感覚は「自分の写真」という気持ちより「自分の姿をした誰か」という表現が近い。自分の姿をしているけれど、自分ではない気はするので恥ずかしさはない。
段ボールに貼ったら、今度は余分な部分をカット。黙々淡々と作業が進んでいく。
余計なことを考えることもなく、この企画のなかで一番集中した時間だった。
段ボールから切り抜いてしまえばもうほとんど完成したようなものだ。
部屋の角に立てかけたその姿に達成感も湧いてくる。
ただ、夜中の2時を過ぎていたのがいけなかったのかもしれない。
ここまで終わらせたところで、ふと背後に人の気配を感じたのだ。
一人暮らしの我が家に誰かがいるなんてありえないのに…
恐る恐る振り返ると、そこにいたのは今まさに作っているパネルだった。
人間でもおばけでもないことに胸を撫で下ろすも、でもこのあと部屋の電気全部つけたし、朝まできょろきょろしていた。
ドキッとはするが、自分だし平面だ。そう自分を納得させて寝た。
こわい!!
やっぱりパネルを作ってから常に部屋の中に人がいるような緊張感があった。
自分の姿だから怖いのか?これが友人や好きな芸能人であったなら違うのか?
理由はわからないが恐怖の対象として意識するともう一緒に飲み会どころではない。
そこで、見せたいものがあるからと友人達にオンライン飲み会に集まってもらった。
その場にパネルも相席させる算段だ。人の目があれば恐怖も和らぐだろう。
パネルじゃないから皆ちゃんと動いて話して笑ってる!すばらしい!
オンライン飲み会じゃ物足りないと文句を言ってたはずなのに、意思疎通がとれることに感動してしまう。私の部屋の隅でじっとしてないのも高得点である。
人とつながる喜びを大体噛み締めたところでいよいよお披露目だ。
一旦カメラを切らせてもらい、その裏でテーブル周りにパネル達を集める。
ついでにパネル用の写真を撮影した時と同じ服も用意した。
そうして「準備ができました」とパソコンに向かって呼び掛けた時、
友人につながりのない知り合いを紹介する時のような気持ちで、少しドギマギしていた。
しょうもない演出にも笑ってくれる!最高!
「すごい!」「ほしい!」とポジティブな言葉を受けて、恐怖の対象ではなかったのだとほっとする。
アルコールも回り始め、パネル達との和解もできそうな気がしてきた。
もうこわくない!!!
暗めの照明のほうが他人のように見えるかもしれないという友人の助言を受けて、ダウンライトを落としてフロアライトを灯す。
うっすらとした明るさは確かに他人と一緒にいるような錯覚を強くした。
缶を傾けながら、そういえばこの人達と飲むのは初めてだったな、と考えていた。
顔はお互いよく知ってはいたけれど、こんなふうに過ごすことはなかった。
楽しく話をしていても一緒に笑ったりしない。時々私に寄りかかってくることはあるけれどただそれだけで、コミュニケーションをとるのが難しい。
ただ、パネル達は各々リラックスして楽しんでいるように見える。それなのに私はパソコンの画面が遠いことを気にしていた。
気を遣っているようで、遣われているような。この飲み会は、合コンや新入生歓迎会のような、あまり交流したことのない人達との交流会に似ていた。
「人と飲んでいる気になる」という意味では、この実験は成功である。
解散後、友人が改めて感想をくれた。
「長く見てると、どれか一体が動き出すんじゃないかって不安になった」
背筋がひやりとした。感じていた異質さはやはり画面越しにも伝わっていたのだ。
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