帰り道、父は「腹減った~!」とぐいぐいアクセルを踏んで家に向かった。さては日の入りに負けないよう急いでくれていたわけではなく、ふつうに運転が荒いだけだな、と思った。
あいつの名前はチューブマン
ザバーン!恋に目覚めたわたしの気分は例えるならば大海原に漕ぎ出したお船の大将。水平線の向こうに愛を叫ばんばかりである。
でも、そもそもチューブマンって誰だよ、とお思いの方も多かろう。彼を紹介します。
こちらが〜!
彼で〜〜〜す!(ひきつづき大海原から声を張り上げています)
…あ~、あいつか~という声が岸から聞こえてきますね。
かつてはアトランタオリンピックでオーディエンスを沸かし、日本でもイベント会場や道路沿いのお店などなど全国各地で集客を担うチューブマン。特筆すべくはやはり体全体を大きな波のようにぶわんぶわんとうねり揺らす独特のダンスだろう。老若男女に愛される明るく朗らかな表情にダンスがスパイスを効かせているのだ。
いつも全力で愉快な彼が家にいたらそれはもうたいそう楽しいだろうな。最初はそう思ってつくりはじめたのだった。まさかそれが恋に発展するとは!
チューブマンをつくる
動画をもとに想像するに、パワフルな送風機と軽くて薄い筒状のボディがあればいいのだな。家にあるものでどこまでできるか試してみよう。
チューブマンと言えば派手なカラーリング!真っ赤なポリ袋をアマゾンで注文した。
ところでわたしはアマゾンとかメルカリとかの、注文してからこまめに届く報告が好きだ。子どもの頃、レストランで注文したものが来るまでの間、まだかな〜と待つ声に「今頃漁師がお魚を釣ってるかも!」「走って届けに来てるところかも!」と親が返すのが定番だった。あくせく大急ぎで準備をする人々の想像をしてはくすくす笑って、通販のメッセージであってもその裏側に走りまわるキャラクターが浮かぶようになったのだ。
さて今回も「注文を受け付けました」「発送しました」「配達完了しました」とメッセージが順番に届いた。いいぞいいぞと勇んで帰宅し郵便受けを覗くが、なんと中は空っぽである。製作期間中に引っ越したために、うっかり前の住所に送ってしまったのだ。どうやって回収したらいいんだろう。
考えるのがめんどうになってもうひとつ注文し直した。また順番に「注文を受け付けました」「発送しました」「配達完了しました」とメッセージが届く。確かに郵便受けに赤いポリ袋が入っていたその次の日、前居の管理会社から荷物を回収したから着払いで送りますねと連絡があった。
こうして我が家には300円の赤いポリ袋と、2000円(送料込)の赤いポリ袋の豪華ラインナップが揃ったってわけだ。ハロウィンで使いたいひとがいたらおすそ分けするのでご連絡お待ちしています。
これを加工して人型にしていく。
本当にこれで合っているのだろうか。一抹の不安とチューブマンを抱えて外に出る。
オーライ、オーライ。ありったけの延長コードを繋ぎ、ベランダからずるりずるりと下ろしてもらう。脱獄王か、ルパン三世か。逃げも忍び込みもしていないのに、わるいことをしているワクワクがすごいぞ!
そして時が来た。いそいそとスイッチを入れる。
チューブマンのやる気のなさをどうにかしたい
オッ、ブリッジか?!と思いきや宿題にめげてふて寝するのび太じゃないか。思わずわたしもくったり力が抜けて笑ってしまった。これでは大波どころか凪である。
実はこのだらけたの姿こそがチューブマン最大のチャームポイントなのだが、このときわたしはまだその魅力に気がついていなかった。ともかくチューブマンのやる気を出させたいという一心で試行錯誤が始まる。
背中を切り開き、小さく細くスリム化をはかる。
途中同居人が、めちゃめちゃこちらを見ながら通り過ぎるお兄さんと目があったと言いだした。
「3ykさんもしかしたら中学生くらいに見られてるかもしれない」
「なんで?夏休みの自由研究がまだ終わってないってこと?」
「そうそう」
「見てるんなら手伝ってくれたらいいのに!!」
「……」
ずうずうしさはむしろ小学生並みである。
なんとかパンパンに空気が入ったのを確認して支えていた手を離す。
がんばれ〜!がんばれ〜!がんば…れ〜?
声援を送っても目の前のチューブマンは笑顔のまま、てんでやる気を出す気配がない。ちょっともうどうしようもできないなという無力感もじわじわ滲みつつ、なぜだろう、かわいくて仕方なくって笑ってしまう自分がいた。もしかしてやる気が出ないチューブマンもめちゃめちゃいいものなのではなかろうか。
先ほどこちらを怪しみながらマンションを出て行った家族連れが、道の向こうから戻ってきた。視線の先にはだらけきったチューブマン。彼らもうっすら笑いをかみ殺しながらマンションに入っていく。
気がつけば時計の針は14時を指しており、同居人が本日2回目の「…お昼ごはんどうする?」を繰り出してきた。いよいよこれまでか。
チューブマンはだらけているとかえってかわいい
たらふくカレーを食べて、製作に戻る。おなかがいっぱいになったらチューブマンも元気になったようだ。
これが見たかったんだ!と最初は盛り上がったものの、ヒュルリと心に隙間風が吹いた。確かに元気なチューブマンはいいものだ。かわいく、楽しく、わっはっはと大きく笑ってしまう魅力にあふれている。でもちょっとさみしいきもちがあるのだ。あのだらけた姿、普段誰にも見せない姿をもう一度わたしに見せてほしい。
しばし逡巡し、わたしは静かに風量を「強」から「弱」に切り替えた。
うわー!!あまりにかわいすぎる。
予測不能な動きと気の抜けた表情、そしてこんなにも脱力した姿を見せるほどにこちらを信頼しきっている、そのなつっこさにハートを鷲掴みにされてしまっているのだ。元気なチューブマンが大口開けるような楽しい笑いをもたらす一方で、こちらはもっと穏やかな、いつまでも見ていたいような微笑みという感じだ。
冒頭、わたしはこの気持ちを恋と呼んだ。呼んだが、はたしてこれは恋なのか?どちらかといえば手がかかる子ほどかわいいオカンのような気がしてきた。つまりは愛か?まあいいのだ、だらけたチューブマンを愛おしく思う気持ちに変わりはない。
ボーナスステージ、田んぼ
秋の連休、親があそびにきた。
チューブマンが動きだすのを見て弾かれたように抱きしめに行った母。愛の加速度がオリンピック級だ。
そしてこれはぜったい田んぼが似合う、さっき稲刈りしたばっかりだから今すぐ行こうと強く推され、そのまま知り合いの田んぼまで車を走らせることになった。
チューブマンを膝に抱え、父が運転する車に揺られながら外を眺める。日が沈むが先か、我々が田んぼにつくが先か。車はどんどん速度を上げ、薄く開けた窓から稲穂を刈り取ったあとの青く香ばしい匂いがザブザブ流れ込んでくる。
なんとか間に合った。チューブマンもおもわずガッツポーズだ。
そうして撮られたのがこちらの映像である。お客さん…本当に…よくお似合いですね…
チューブマンの赤くてすべすべのからだが夕日に透かされ、田んぼの緑と相まってなんともいえず美しい。美しいんだけど、でも笑いがこみ上げてきてしまう。
愛、それは言葉にならない
日が沈み空の端が藍色に滲むまで、随分と長いあいだ家族4人でチューブマンを眺めていた。
埴輪にちょっと似てるね、とかこの規則的な動きがさ、とか自然と人工物の対比がさ、とかいろいろ言葉を尽くしてみたものの、結局チューブマンを目の前にすると、みんなにこにこするしかなくなる。
これこそが愛というものなのだと、そういうことにしておこう。