ピッチパイプ演奏はブルーオーシャン
ざっと YouTube を検索してみたが、現時点でピッチパイプで演奏をしている人は誰もいなかった。果たしてそれが「誰も思いつかなかった価値のあること」なのか「価値がないから誰もやっていない」のかは分からない。しかし、少なくともブルーオーシャンということだ。
レッドオーシャンよりもブルーオーシャンの方がいい。青い方が泳いでいて気持ちがいい。
ピッチパイプという楽器をご存知だろうか。弦楽器やアカペラなどにおいて音合わせのために使われる笛のことである。音合わせに用いるものだから、笛といっても一音一音を鳴らすだけでなにかメロディを奏でたり曲を演奏するということはない。
楽器なのに?
かわいそうだとは思わないのか。
かわいそうなのだ。政治や邪悪もわからぬ私ではあるが、かわいそうなことには人一倍に敏感なのだ。
誰も吹かないならば私が吹く。ピッチパイプが自分のことを楽器であると自信を持てるように、そっと背中を支えてあげたいのだ。
今回は主にアカペラで用いられるタイプのピッチパイプを買ってみた。かわいそうとかなんとか言いながら初対面である。はじめまして。
アカペラと聞くと、なんとなく大学生とかおしゃれな若者のイメージがある。大学入学直後、大学デビューせんと意気揚々とアカペラサークルに入るも全くなじめず1ヶ月でやめてしまった知人のことを思い出す。知人ではなかった。私のことだった。
吹き口が円形についており、それぞれがドレミファソラシに一音ずつ対応している。鳴らしたい音の吹き口を吹けばいいという、とてもシンプルな楽器だ。
どれ、まずは適当に吹いてみよう。
明瞭な笛の音だ。そして思ったよりも音がでかい。こういう初めての楽器ってどのくらいの音が鳴るのか想像がつかないから家で試しにくいんだよな。河原に出てきてよかった。
続いてドレミファソラシ、と順番に吹いてみる。
あれ、なんかおかしいな。途中でいきなり低くなったぞ。1周でドレミファソラシが網羅できるようになっているはずなのだが、ファで急に1オクターブ低くなっている。
答えは明瞭であった。このピッチパイプ、ミから始まりミファソラシドレミ、とミで終わる1オクターブを網羅するようになっていたのだ。その証拠に、ミだけ高いミと低いミが2つあったのだ。
なんとなく直感とは反するが、よしよし、完全に理解したぞ。
一通りわかったところでピッチパイパーになるべく練習していこう。
課題曲は「チューリップ」とした。咲いた、咲いたでおなじみのあの曲だ。
昔親戚のおじさんが「どの花見ても チューリップ」と歌っていて、歌詞は違うが確かにそうだと幼心にひどく感銘を受けたことを覚えている。
ド、レ、ミ。ド、レ、ミ。ソ、ミ、レ、ド、レ、ミ、レ。
河原にぎこちないチューリップが響き渡る。トランペットやサックスをイメージして吹いているのだが、選曲のせいか気分はリコーダーを練習する小学生である。
雲がやや出ているものの暑すぎず寒すぎず、河原で何かをするにはちょうどいい天気である。楽器の練習以外にもジョギングやBBQなど様々なことができるだろう。
現に私の両隣では若者達が和気藹々と肉を焼いている。
だけど私はチューリップ。BGMとして受け入れてくれるといいな。
意外と吹けない。難しい。
まず第一に吹き口が円形なので、目当ての音までピッチパイプをくるくる回さないといけない。ドからレ、レからミのように近くの音ならまだしも、ドからソのように音が飛ぶ時にどうしてもスムーズに吹くことができないのだ。
さらに吹いている時にどの吹き口がどの音か確認しづらい。吹いている間、平たい面の部分がほとんど視界に入らないため、音の表記を確認できないのだ。
ピッチパイプ演奏の難しいところ
・離れた音をスムーズに吹けない
・どの吹き口がどの音に対応しているか確認しながら吹けない
目当ての吹き口をあらかじめ押さえておいたり、どの吹き口がどの音か指に記憶させないと望んだ音を出すことすらむずかしい。
一応、ゆっくり、とてもゆっくりであれば吹くことはできる。なめらかに吹くためには練習あるのみだ。
カリンバはなめらかに弾けていいよな、鍵盤が横にならんでんだもん
そして1時間弱くらいの練習の結果がこちらである。
どうだ......?
うーん、どうだろう。奏でられてないことはないが、まだややぎこちない。
この日はここまで。持ち帰って練習に励むこととした。
それから幾星霜。いくらか上達したので聞いてほしい。
どうだろう。少しばかりスムーズに奏でられるようになったとは思わないだろうか。思わなかった人は3回聞き直してそう思ってください。
どれだけ練習しても先に挙げた「離れた音が吹きづらい」「音を確かめられない」という2つの問題点を乗り越えられなかったのだが、ある日安定性が段違いに上がる技術革新が起きたのだ。
プラスチックストローの口とピッチパイプの吹き口のサイズがほぼピッタリだった時、私の脳内に「シンデレラフィット」という言葉が駆け抜けた。言葉の意味はあまり良くわかっていないが、この場合ピッチパイプがシンデレラだ。
これにより先の問題点は一気に解決した。吹き口が上に統一されているのでピッチパイプをくるくる回して吹く必要がないし、上から吹く形になるので常に音を確認できる。
さらにあらかじめ曲に必要な吹き口にのみストローをつけることで、異なる音を誤って鳴らしてしまうリスクも減らせる。
なんか不恰好だ。アカペラサークルに憧れる人も減るだろう。
だけど今回は関係ない。なぜならチューリップを奏でたいだけだから。
そうして完成したのが先の演奏である。
あのピッチパイプで曲が奏でられた貴重なシーン
果たしてピッチパイプは自分のことが楽器であると自信を持てただろうか。
確信が持てるその日まで、ピッチパイプに寄り添っていきたいと思う。別の曲に挑戦するとか。
調子に乗って別の曲にも挑戦したが、テンポも音の数も足りなかった。聞いてください、中島みゆきで「糸」です
ざっと YouTube を検索してみたが、現時点でピッチパイプで演奏をしている人は誰もいなかった。果たしてそれが「誰も思いつかなかった価値のあること」なのか「価値がないから誰もやっていない」のかは分からない。しかし、少なくともブルーオーシャンということだ。
レッドオーシャンよりもブルーオーシャンの方がいい。青い方が泳いでいて気持ちがいい。
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