勝手に解釈・石めぐり
石側がなんにも言わないのをいいことに、適当に解釈してきた今回の石めぐり。それぞれいわれや縁起もあるだろうが、まあそういうことは置いておいて、好きなように感じ取ってもいいだろう。
今回は宮崎というくくりで見てみたが、他にもすごい石はたくさんあるはずだ。見る人それぞれ、勝手に何かに見立てたりセリフをつけたりすると、石を見るのもまた楽しくなると思う。
なんだかわからないけどすごいことになっている石というのがあるだろう。
ただならぬ雰囲気をかもし出している石。自然が作り上げたものもあるし、人間が手を加えたものもある。一体どうしたんだという石たち。
日本全国に散らばるすごい石。中でも宮崎県にはどうかしてる石が点在していると聞いた。
石が僕を呼んでる。勝手にそう思い込んで、石を見に行ってきました。
※2005年8月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
宮崎石めぐり、まず最初に紹介するのは、日南市にある鵜戸神宮。山幸彦や海幸彦ともゆかりのある、古いいわれの神社だ。
立派な門もすごいが、海のそばにあるというロケーションもすごい。取材したのは波の高い日だったこともあってかなりの迫力。
そういうわけで普通の観光スポットとしても見ごたえのある鵜戸神宮なのだが、今回のテーマはすごい石。実はこの神社には、「お乳岩」というありがたい石があるというのだ。
「宮崎すごい石めぐり」と題した今回のレポートのしょっぱながお乳岩。自分が思うすごさというのはそういうことだったのか。
ともあれ写真にもある通り、参道にある売り場からしてお乳のことで攻めてくる。辞書によると思春期とは普通、12歳から17歳くらいまでのことを言うのだそうだが、個人的には年齢だけにとらわれたくない。
本殿の奥に進みお乳岩が近づくにつれ、周辺情報もヒートアップ。そしてそのお乳岩の実体なのだが、
かなり薄暗かったこともあって画質が悪いのは申し訳ないのだが、実際目の当たりにした私としても、頭で描いていたのとは違うたたずまいに戸惑いを覚える感じだった。
よくわからない。というより、わかりやすくポップな感じなのを想像していた私も悪かったんだと思う。
勝手な思い入れから発する釈然としない思いを抱えたまま鵜戸神宮をあとにする。しかし、そんな気持ちも宮崎の地はしっかり受け止めてくれる。県内の清武町というところにも、やはり乳岩と言われる石があるというのだ。
乳岩に向かっていく途中で見かけた案内板の絵も、こちらの気持ちをわかってくれている感じだ。太い毛筆風の書体で乳岩、イラストの抽象度もほどよい。
案内板に導かれてとは言うものの、細い道を森の中へどんどん進んでいくのは少し不安でもあった。しばし進むとそれらしき場所を発見。
やはりありがたいいわれのあるものとして、ちゃんと祀ってある。なんとか辿りつけたようだ。さて、乳岩はどれだ…。
うん、これは乳岩だ。頭の中に描いていた形状ともほぼ一致する。いろいろと思うところも浮かんでくるが、とりあえず納得だ。これでいいんだと思う。
木立の中のひんやりとした空気とセミの声。続いては男性編の石を見に行きます。
続いて紹介するのは小林市にある陰陽石(いんよういし)。名前からしていわくありげな感じのする石だが、お乳岩と違ってはっきりとその全貌がわからない名づけ方である。
清武町の乳岩がひっそりと山奥にあったのに対し、はっきりとした歓迎ムード。大きく案内看板も出ているのだが、どうしてこういうときに示される手の絵は妙にリアルなのだろう。
無駄とも言える描き込み具合が気になりつつ、案内に従って歩を進める。
石を見て何を思うかは自由だ。陰気に沈むもよし、陽気にはしゃぐもよし。見る者それぞれの心に浮かぶものに正直であればいい。
案内板によると、高さ17.5m、茎頭回り(そう書いてある)18.8mとのこと。かなり巨大であるということがおわかりいただけると思うが、何かと比べたりすることなく、単なる事実としてとらえていただきたい。
火山活動による溶岩とされるこの石だが、竜が美女に見惚れて降りてきて、そのまま化石になったという伝説もあるらしい。伝説なので真偽はともかく、石になるにしてももう少し考えたらどうなのか、とは思う。
なんでこんな形に。何を考えてるんだ。
やはりここでも聞こえてくるのはセミの声。2005年、ぼくの夏休みはこんな感じです。
石を前にしてさまざまな思いが胸に去来する中、さらに気になる看板が目に入った。
大きく書かれた陰陽石というのはいい。それはもうわかった。その下、少し塗料がはげて読みづらい部分もあるのだが、「女石 たて割れ」と書いてある。
なんだこれ。声に出して読んじゃいけない。そんな気がする。
そう言われてもなあ。リアクションに困る。それでも看板の指し示す方にふらふらと行ってみると、それなのかなというのが見えてきた。
うーん。岩が斜めになっているあたり、よく見ると言いたいことがわからないでもない。まあそういうことなんでしょう。
石を見ている私の背後にあったのは、地蔵さまや埴輪が置かれているお堂のような建物。ハードな石を見つめてさまざまなものが渦巻く私だったが、その穏やかなたたずまいに少しほっとする。
そう思っていると目に入ってきたのは、お堂の上のところに張ってあった「自業自得とは」のはり紙。
そうなのか、自業自得って自分だけの問題じゃないんだ。石ばかり見ている自分に喝を入れられたような気持ちになる。でも石を見るというのは別に悪じゃないよね。
こういう警句を読んで怒られたような気持ちになるのはやめにしたい。石めぐりはさらに続きます。
ここまでは自然が作り出した石を紹介してきたが、人間が加工した石もすごさでは負けてない。ここから先は人の手が加わったすごい石を紹介していきたい。
そういうわけで、続いては高鍋町の高鍋大師にあるすごい石だ。
大師ということでカテゴリーとしてはお寺になるのだろうが、どうにもただものではない感じがのっけから漂う。石像がにょきにょき立ってる。
なんだかわからない爆発的な迫力のある石像。お寺にあるような像に対してこれまで抱いていたイメージは軽く吹き飛ばされ、元気にならなきゃまずいぞと思わされる気がしてくる。
この高鍋大師、地元の岩岡保吉という方が古墳の盗掘に心を痛め、そこに葬られた人たちを慰霊するために開山したとのこと。
石像を見ただけでもその並々ならぬエネルギーは感じられるが、さらにすごいのはかなりの高齢まで創作を続けていたこと。「元気ですかー!」の石像には、75歳の作と掘り込まれている。
岩岡さんは89歳で亡くなったそうだが、中には86歳の作と刻まれた像もあるからすごい。
とにかく石像たちの迫力に圧倒されるがままなのだが、目をそらさずにそれぞれの様子をくわしく見てみよう。
子供を抱いている不動明王像だろうか。ただでさえおっかない感じがするという不動明王である上に、相当でっかいのでこれでもかと迫力が増す。それぞれの表情をよく見ると、
す、すごい…。なんでも言うこと聞きます、と言いたくなる容貌。それでいて目として埋め込まれているものはガラスの器や電球らしきものなので、その辺は割と身近な工作風なんだなとも思う。
写真では高さが伝わりにくいのが残念なのだが、いずれも6~7メートルくらいはあろうかという作品。どう解釈していいのかわからない表情にも翻弄されっぱなしだ。
はじめは恐れおののく感じばかりだったこの高鍋大師、しばらく鑑賞するうちに「こういうのもありかもな」という気持ちになってきた。人間の適応能力ってすごい。
なんだかわかんないけど、元気が出てきた感じがする。こういう時はどうして元気が出てきたのかということは考えないほうがいいと思う。深く考えずに、出てきた元気にかまけてしまえばいい。
残す石めぐりもあと1か所、続いてのところも大きさでは負けてない。
最後の石めぐりとして紹介するのは、日南市にあるテーマパーク「サンメッセ日南」だ。
のっけから妙な迫力で押してくるこのテーマパーク。ただならぬ気配をすでに感じるが、このサンメッセ日南には世界の七不思議としても数えられるイースター島のモアイが復元されているのだ。
施設の人に道を聞き、言われた方に歩いていってみる。
全体的に南国ムード満点の中、あんまり違和感もない感じでモアイたちは立っていた。
遠い島のどうかしてる像・モアイを完全復元。しっかりイースター島側からの許可も取って建立されているらしい。
実は本家イースター島のモアイたち、部族抗争や地震などのために、長い間倒れたままになっているものもかなりの数にのぼっていたとのこと。そんな状況を聞いて日本の建設関連の会社や専門家が協力してクレーンで引き上げたのをきっかけに、友好の印としてここに復元像が建てられたわけだ。
迫力とともになごむ感じも漂わせているモアイ像。たぶんいい奴。学校に通っていた頃は、クラスに一人はこんな感じの生徒がいたような気もする。おなかを抱えたポーズもかわいらしい。
今回の石めぐりを通じて思うのは、石を見ていると自分の中に得も言われぬ思いが自然と湧き上がってくるということだ。
得も言われぬ思いなどと書き出してしまったが、湧いてきたのはこんな間抜けな会話だった。確かにモアイにはあまり饒舌な感じは似合わない。
宮崎の青い海と空になじむモアイ。イースター島に行くのはかなり大変だが、そこまでしなくても宮崎でかなりのモアイ度達成だ。
私のほかに訪れていた観光客のみなさんも、モアイと記念写真を撮ったりぺちんぺちんと愛しく叩いたりしている。のんびりムード漂うモアイの魅力にみんな楽しそうだった。
石側がなんにも言わないのをいいことに、適当に解釈してきた今回の石めぐり。それぞれいわれや縁起もあるだろうが、まあそういうことは置いておいて、好きなように感じ取ってもいいだろう。
今回は宮崎というくくりで見てみたが、他にもすごい石はたくさんあるはずだ。見る人それぞれ、勝手に何かに見立てたりセリフをつけたりすると、石を見るのもまた楽しくなると思う。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |