カップラーメンうまい
たぶんみんなが知っていることを、いろんなアプローチで書いた。結論は同じだが、そこに至るまでの道は違う。共感はあっただろうか?きょうの昼はカップラーメンにしようと思っただろうか。
もしそうであれば価値があったのかもしれないと思う反面、このタイトルで読む人いるかね、と分からなくなっているのでぜひ一緒に分からなくなって欲しい。
編集部だけで書いているのは月初の17周年企画でお金を使いすぎてしまったからという理由も、ある。
すごく楽しかったことがあるとする。
この興奮を文章にして誰かに伝えたい、そう思うのは当然だろう。僕もそういう文章が読みたい。
でも、それがみんな知ってることだったらどうする?
それは伝える価値がないのだろうか。しかし興奮した瞬間があったのは事実なのだ。『みんな知ってる』という世間体の前に自分の興奮をなかったことにしてしまうのはもったいない。
だから今回はあえてみんな知ってる興奮を書こうと思う。その感激とは
「カップラーメンうまい」
である。(ここの文・林雄司)
カップ麺はなんといっても二日酔い明けである。
二日酔いの朝、頭と胃のもやもやが消えて、そこに現れる純粋な空腹にカップ麺の合成的なうまみをぶつけるのだ。
家に帰ったあともまたレモンサワーを飲んで寝た。
翌朝、胃はもやのなかだった。しかしやがてもやが晴れてつるんとした空腹が現れた。カップ麺タイムである。
しかもだ。今回はただの二日酔い明けではない。外で食べるのだ。
この日の東京は気温17度。急に秋の空気になってキンモクセイがいっせいに香り始めた。この季節こそ、二十四節気で言うところのカップ麺を外で食べるとうまい季節だ。
もちろん二十四節気云々はうそである。
思ったよりもスープは薄い。しかしそのぶん、油揚げの味がすごい。濃い。味の塊である。この塊に顔をうずめたい。
うずめてチューチュー吸いたい。
無心で食べていたことに気づく。外にいるのに景色を見ていなかった。
スープと油揚げ、この関係はまるでカレーとごはんだ。ちょうどよくフィナーレを迎えるようにペース配分を考えていた。
薄いと思ったスープも飲み続けるとだんだん味がしっかりしてきた。これは最後、ひとつの味になるシナリオだろうか。大陸移動説か。
手足の指先に血が巡ってくる。肌寒いところで食べるからこそ身体があたたまるのを実感できる。サウナと水風呂の関係だ。味のメリハリ温度のメリハリ。
カップ麺はうまい。
この感激を伝えることができたら、これにまさる喜びはありません。
カップラーメンにはわかりやすいカップラーメンと難しいカップラーメンがある。
わかりやすい、というのは「カップ―ヌードル」や「チキンラーメン」のようなおなじみのブランドのもの、それに「しょう油ラーメン」くらいシンプルな名前で売られているプライベートブランドのも分かりやすい。
ああ、カップラーメンだなあという感想だ。
一方、難しいカップラーメンとは何か。こういうやつである。
いろいろ書いてあるが、いわゆる名店の味を再現した種類のカップラーメンだ。こういった商品はコンビニに多く並んでいるように思う。
ラーメンの世界にうとい者としてはこれくらいでもちょっとひるむ。値段も一般的なものに比べて少し高いことが多いようだ(こちらは税込258円)。今まで買ったことがなかった。
でも、うまいんだろうなあと思うのだ。うまいんだろうなあ、名店の味。
それで、今日は買った。
なにしろ、どうだろう「金色不如帰」の読めなさがせまりくる。
こちらはミュシュラン一つ星として掲載されているという「SOBA HOUSE 金色不如帰」とのコラボ商品だそうだ。
すっかり心奪われ調べたところ、このお店は貝だしラーメンの有名店であり、またこういった貝だしラーメンを出すお店のことを「貝(シェル)系」と呼ぶと知った。
シェル系!
コンビニでカップ麺買ったくらいでこんなに手軽に異文化にふれられるのかよ……。ありがてえことだ。
拝んで湯を入れた。
熱湯4分。3分じゃないカップラーメンがあると「3分じゃないのか」といつまでも思う癖が抜けない。
蓋を開けるとかおるのは「クリーミーなボンゴレ」みたいなにおいだった。
クリーミーなボンゴレを多分食べたことがないのにそう感じさせるのがすごい。黒トリュフの風味付けがしてあると蓋に書いてあった。黒トリュフを知らないので分からないが、そう書いてあるんだからそうなんだろう。
知るのは自分の無知ばかりである。
スープをすすると苦かった。えっ、苦いのか! 魚介の肝のような複雑な味だ。そうだ、これは名店のカップ麺なんである。子どもの味じゃないのだ。
カップ麺はうまい。
あと、未知の奥行きがあまりにも広い。
君はラクサを知っているか。シンガポールの麺料理で、ココナッツミルクの入ったスープが特徴である。
僕はこのラクサが大好きなのだ。
ラクサとの出会いは、学生時代に旅行したシンガポールの大衆食堂……ではなくて、数年前に行った横浜のカップヌードルミュージアムである。
日清がやっているカップヌードルのテーマパーク的な施設で、その中に世界の麺料理が食べられるフードコートがある。そこで食べたのだ。
他にはタイのトムヤムクンやカザフスタンのラグマンなどがあり、出てくるのはインスタントではなくちゃんとした麺だし、味もけっこう本格的。そこで僕が魅了されたのが、シンガポールのラクサだった、というわけだ。
ところで、商品の方のカップヌードルにも「シンガポール風ラクサ」がある。いつからかコンビニで見かけるようになり、これは食べておかねば、と思っていたのだ。しかし思いのほか食べる機会が訪れず、いまに至っている。
せっかくラーメンの記事、この機会に食べようと決めた。カップヌードルミュージアムで出会ったラクサを、カップヌードルで食べる。
日清食品の事業ポートフォリオの中で循環する、僕の思い出。
あれ、おかしい。ちょっと前までそのへんのコンビニにたくさん売られていた気がしたのだが。
このあたりでちょっと嫌な予感がしてきた。頭によぎるのは、ペットボトルのコーヒー、BOSSデカフェのことだ。
僕はコーヒーが好きだがを飲むとおなかが痛くなってしまう体質で、カフェインレスのこの商品は重宝していた。しかし、ほどなくして店頭から消え、メーカーのホームページからも記載が消えた。
人気のない商品は、販売終了になる。とくにラクサは「エキゾチックなアジアの麺」という立ち位置が、すでに定番となったトムヤムクンヌードルとかぶっている。これはまさか、そんな……。
ない。ない…が、棚が確保されている!ついに尻尾をつかんだ気分である。店員さんに聞いてみる。
「これは近々入荷しますか?」
「台風の影響で入荷が止まってるみたいで、わかりません…」
この日は10月17日。猛威を振るった台風19号の翌週である。まだ影響が残っているのかもしれない。
念のため、メーカーに確認してみると、台風の影響で生産が止まっているというわけではないらしい(スーパーの現状は生産ではなく流通経路の問題なのだろう)。そして恐れていた販売終了、これも現状そうなってはいないとのこと。ただシンガポール風ラクサの取扱店が減っており、見つけにくくなっているらしい。
しかし、確証は得た。僕が見つけられていないだけで、どこかにはあるのだ!販売終了ではなかったのだ!良かった……。
回答に安堵と勇気を得て、捜索を再開する。
そして…………
……結局、結構探したけどシンガポール風ラクサは見つけることができなかった。
しかし、結局目的を遂げられずに終わったこの旅を経て、ひとつ気づいたことがある。食べることだけが幸せではないということだ。
自分の目の前にはなくとも、胃には収まらなくとも、「どこかで推しのカップ麺が売られている」というその事実だけを楽しむ。そういうカップ麺との付き合い方もあるのではないだろうか。
所有欲と愛を混同してはならないのだ。
手に入れることだけが喜びではない。アイドルファンがアイドルと付き合って結婚することだけを目的としているのではないのと同じだ。
そのことを僕に教えてくれたのは、シンガポール風ラクサ。
僕もどこかにあるはずの商品を心の中で想うことで、シンガポール風ラクサへのエールへと代えたい。
カップラーメンは食べたい時に買いに行くことにしている。備蓄しておけば災害対策にもなるし急に食べたくなった時にも便利だろう。
しかし違うのだ。
想像してみてほしい、家にはじめて彼女が来た日、彼女が作ってくれたパスタを二人で食べ、テレビでつまらない映画を見て、今日は楽しかったねなんて言って彼女は帰っていく。
一人になったあなたはなにをするか。カップラーメンを買いに行くだろう。
パスタは美味しかったけど緊張でおなかペコペコである。夜風と遊びながら近所のコンビニまでカップラーメンを求めて歩く。
そして一人、部屋に帰ってカウントダウンTVを見ながら買ってきたカップラーメンにお湯を入れる。これは思い出にお湯を注いで戻しているのだ。湯気の向こうに彼女が見えただろうか。
そういうことである(どういうことか)。
つまり買いに行くところからがカップラーメンなのだ。とくべつな気分で近所のスーパーに買いに行った。
先日の台風の影響で、カップラーメンはほとんど残っていなかった。
そんななか、鴨だしそばだけは潤沢にあった。
鴨だしそばにはもう一種類あったのだが、こちらも残っていた。なぜだ。
確かに鴨だしそばは「ハレ」の食事である。非常時に食べるのは申し訳ない、と遠慮したのだろうか。こういう考察を呼び起こすのもまたカップラーメンである。
家に帰ってお湯が沸くまでパッケージを眺める。麺とスープとでカロリーが分けて書かれていた。
つまりスープを飲み干さない場合、40kcalくらいセーブできるわけだ。
人は10分ほど笑うと20~40kcal消費するといわれている。笑いながらスープを飲み干す人生を送りたいものである。
おっとお湯が沸いたようだ。
カップラーメンは細かいところにこだわって作るとその分美味しく食べられると信じている。お湯を線まできっちり入れ、きっちり3分待つ。
お湯を入れてすぐにものすごくいい匂いがしてきたので、蓋の間から漏れる湯気をかいで待った。
2分45秒で蓋を開け、残りの15秒で特製スープを入れて混ぜる。
つい夢中になってしまった。
そば好きの人はよく「そばは香りを楽しむ」なんていうけれど、カップ麺は状況を楽しむものなのかもしれない。
いま家には僕一人である。外は秋らしい細かい雨が静かに降り続いている。だしの香りにひかれたか、猫が起きてきた。
そして
鴨だしそばは予想どおりの美味しさだった。これはできれば災害の時ではなく、何かいいことがあったときに食べたい味である。
また買いに行くのが楽しみだ。
朝7時ごろ起きる。前日はお酒を飲まずに早い時間に寝た。睡眠時間は十分だ。いつもとちょっと違う。
すべては朝、丁寧にラーメンを食べるためだ。
昼に食べるラーメン、夜に食べるラーメン。どちらもジャンクな感じがする。だが朝食べるラーメン、これは優雅な感じがしないだろうか。ダシの効いたコクのあるラーメンを朝から頂いたらどうなっちゃうんだろう。
顔を洗って適当に着替え、コンビニに向かう。なぜ買っておかずに今買うのか。前日の夜食べたいラーメンと朝の今食べたいラーメンはきっと違うはずだからだ。
店には色々並んでいて悩んだものの、一風堂のカップ麺にする。
今日は雨が上がった直後のせいか外の空気が美味しい。少し冷たい空気も体をシャンとさせる。そうだ、公園でこれを食べよう。ゆっくりと公園に移動する。
ベンチがぬれていたが、気にしないでおこう。そんなことよりラーメンが気がかりだ。
スープを一口飲むと、なんとなくぬるい。麺も柔らかくなりすぎている。
こんなラーメンどうなんだ……と思わせておいて、これがおいしい。人肌より少し熱いスープは味を濃く感じさせる一方、その尖った味を柔らかい麺がマイルドにしてくれるのだ。
明らかにお店のラーメンとは違う角度からその魅力を発している。やさしい味といったらいいだろうか。お粥のようなラーメンである。
カップ麺をゆっくり食べるとうまい。今日も一日がんばろうという気になる。
たぶんみんなが知っていることを、いろんなアプローチで書いた。結論は同じだが、そこに至るまでの道は違う。共感はあっただろうか?きょうの昼はカップラーメンにしようと思っただろうか。
もしそうであれば価値があったのかもしれないと思う反面、このタイトルで読む人いるかね、と分からなくなっているのでぜひ一緒に分からなくなって欲しい。
編集部だけで書いているのは月初の17周年企画でお金を使いすぎてしまったからという理由も、ある。
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