地球儀工場ってどんなところだ
草加駅からバスで15分ほどのところに、国産地球儀のトップメーカー『渡辺教具』さんはあった。
事前に地図を見ると、小さな工場と住宅が混じり合うように建て込んでいる地域だったので、もしかしたら迷うかな?と思っていたのだが、全く心配なかった。
絶対ここ。だって軒先に巨大地球儀があるから。
まずは事務所にお邪魔すると、渡辺教具製の地球儀サンプルがあちこちに並べられている。
この会社の第一印象としては、丸い、だ。
丸いものがいっぱい並んでいる度合いでいうと、ボーリング場とタメを張るぐらい。
モノクロのおしゃれな地球儀とか、いろいろ丸い。
そして、地球儀をまじまじと見るのなんて子供のころ以来のような気がする。
そういえば小学校入学時に親戚から大きめの地球儀を買ってもらったはずだが、中学生になる時分にはいつの間にか部屋から消えていたように思う。あまり地理に興味の無い子だったのだ。
どこにいったんだろう、あの地球儀。
そして取材に同行してくれた編集藤原くんは「以前にプープーテレビで使う用に小さい地球儀を買ったのがマイファースト地球儀です」と、ここまでの道すがらに話してくれた。
不安だ。地理に強いライター西村さんあたりににお願いして同行してもらえば良かった。
まずは地球儀の基本から
…という旨を最初に告白すると、渡辺教具製作所社長の渡辺周さんは「じゃあまず基本から」とにこやかに地球儀を持ってきて説明をしてくれた。
若くてイケメンで地球儀メーカーの社長、と要素の多い渡辺さん。
渡辺 まず、地球儀や地図は大まかに分けて2種類あります。「行政型」と「地勢型」です。
行政型というのは、行政区分…地球儀の場合だと国を色分けして表示しているタイプですね。
なるほど、たしか小学生の時に買ってもらったやつはこんな感じでカラフルに色分けされてた気がする。
渡辺 そうですね。小学生用の地球儀は行政型が多いと思います。対して中学・高校で使う地球儀は地勢型が多いですね。砂漠とか山脈といった地形的な情報で色分けされています。
左が地勢型、右が行政型。確かに目に入ってくる情報がぜんぜん違う。
渡辺 行政型で見ると、中国ってすごい広大な土地だなーって思うじゃないですか。でも地勢型で見ると、その半分以上が山と砂漠なんですよ。
弊社の地球儀は地勢型が売れますね。
あー、なるほど。タイプによって分かる情報が全然違う。
渡辺 ちなみに、いまは「世界的な地理を学ぶ時は、地図ではなくできるだけ地球儀を使うように」と文科省の指導要綱に入っているんですよ。
うちの地勢型は等高線も精細でいいんですよー、と渡辺社長。
渡辺 たとえばニューヨークに飛行機で行く時って、昔はアンカレッジ経由だったんですよね。
そういえばありました、アンカレッジ便。最近は全く聞かなくなったけど。
渡辺 あのルートをメルカトル図法の地図で見ると「なんでこんな遠回りしてるの?」って思いますよね。
アンカレッジはアラスカの都市。これは「直で行けや」と思う。
メルカトル図法って久しぶりに聞いたけど、確かにこの地図で見る限りおかしなルートではある。
渡辺 ところが地球儀で見ると、ニューヨークと成田をズドンと直線でつないだど真ん中にアンカレッジがあるんですよ。
昔は飛行機の航続距離が短かったので、中間地点のアンカレッジで燃料補給してたんだな、と分かります。
地球儀で見ると、わりといい位置にあるアンカレッジ。
渡辺 このように正しい距離感と位置関係を把握できるので、地球儀を使うように、と文科省は言ってるわけです。
地球儀って売れてるの?
取材前、藤原くんと僕という狭いサンプルを元に「最近は地球儀なんて売れてないんじゃないか」とか失礼なことを話していたのだ。
でも、文科省が「学校の教材で地球儀を使え」と言ってるわけだし、意外と売れてるのかも。
渡辺 うーん…実はちゃんとしたデータがないので私の個人的な感覚ですが、弊社だけで年間3~4万個ぐらい売れてるのかな。
失礼ながら「へー、意外と売れてる!」って感じ。
渡辺 国内生産をしている地球儀メーカーはうちを入れて3社あるんですが、他にも台湾産・アメリカ産の地球儀が入ってきていますね。
渡辺教具製作所の特色としては、国境線が変わったり国名が変わったりというのに対して最新のデータを使っていること。最新のものだと分かるように、地球儀に製造年を入れてます。これは世界でもうちの地球儀だけです。
太平洋上に製造年の表記入り。
渡辺 もともと曾祖父が昭和12年に創業したんですが、その頃は主に官公庁に精細な地球儀を納めるメーカーだったんです。さすがにそれだけでは仕事にならないので、学校教材や文房具店などに卸すようになりました。
今は博物館やホテルなどに特注サイズのものを納めたりもしてますよ。
なるほど、情報がアップデートされるたびに、そういうところから買い替え需要があるのかもしれない。思ったより儲かるのかも、地球儀メーカー。
渡辺 そういえば最近、外務大臣の執務室がテレビのニュースで映ったんですが、うちの地球儀を置いていただいてましたね。
おお!外務大臣って、たぶん日本で一番ちゃんとした地球儀を持ってないといけない人のような気がする。
さすが業界トップメーカーの地球儀である。
地球儀作りの現場、機械編
さて、一通り地球儀の基本を伺ったところで、実際に地球儀を作っている現場を見せていただこう。
渡辺 地球儀の作り方としては手貼りと機械があるんですが…まずは機械生産の方を見てもらいましょう。
南半球と北半球が大量に積み上げられた地球儀工場。
渡辺 弊社の売り上げ的は90%以上がこの機械生産品です。ちなみに国内メーカーで機械生産をやっているのはうちだけです。
そう聞くと、ベルトコンベアで地球儀が次々にゴゥン…ゴゥン…と流れていくイメージだが、それよりはかなり小規模。
これが機械生産地球儀のベース。この花びら状のボール紙が後に南半球とか北半球の下地になる。
まずは、地球儀のベースにローラーで糊づけを行う。
そしたら印刷された地球儀半球分の地図と一緒に金属の臼みたいな雌型にいれて、加熱しつつ上から雄型でググッとプレス。
メリメリメリッッという音と共に、平面が北半球になる瞬間。
かぶりたくなる地球。たぶんここで働いてる人のほとんどはかぶったことあると思う。
かなりの圧力でプレスしているので、紙とは言え樹脂のように非常に硬く頑丈になっている。あと、表面が圧でツルツルなめらかになってきれいだ。
続いては、不要なフチの部分を別の機械でカット。
さきほどのプレス機を小さくしたような機械で浮き上がらないように固定したあと、ぐりんと回転させて電ノコで赤道周辺を切り取るのだ。
プレスとカットを経たばかりの、まだホカホカに熱い地球。さっきよりさらにかぶりやすそう。
そしてカットされた不要な赤道。
ここまで来たら、あとは北半球と南半球を合体させるだけ。
内部に接合パーツ(プラのリング)をセット
工場内の別部署に運ばれてきた北半球と南半球は、中に接合用のプラリングをハメて糊づけ。これで機械生産地球儀の完成である。
渡辺 接合時、うちではインドネシアで合わせるようにしています。
接合はインドネシアが基準。
渡辺 インドネシアは島が多いので、組み合わせる目安になる線も多いんです。
そうか、海を見てたんでは北半球と南半球がズレていても気がつかない。対して島がズレていたら分かりやすいのだ。
北半球・南半球の接合はインドネシアが基準。今後の人生で役に立つ機会はあまりなさそうだが、憶えておこう。
完成した地球がゴロゴロ。なんか軽く天地創造神になった気分。
渡辺 いま見ていただいたのが26㎝球というサイズなんですが、機械生産だとこれがだいたい1日で500個ぐらい作れます。
地球儀作りの現場、手貼り編
一方、手貼り地球儀の現場というのはどんな感じなのだろうか。
こちらも案内してもらった。
球体に貼り付けるためシートを切っていく職人、斎藤さん。
作業しているのは、地球儀の手貼り職人歴17年というベテランの斎藤さん。
手順としては、まず18分割された地図シート(カッティングシート)をハサミで切り出したら、赤道線とベースになるプラのボールの中心線を合わせて貼る。
で、シートがズレ無いよう、かつ気泡が入らないようにスキージー(ゴムべら)で押し付けつつ、南極・北極方向にそれぞれ貼り伸ばしていく。
…という作業を18回繰り返して、地図にまったくズレがなく、気泡やゴミが入らずに貼れれば出来上がり、である。
スキージーで押さえつつ貼る作業。何度も貼り直したりを繰り返してズレを直していく。
説明を書いていても、自分で全くできる気がしない超つらい作業である。
スマホの液晶保護フィルムを貼るだけでも面倒なのに、しかも貼る場所は球面だし、でかいし、細かい地図や地名の文字が隣同士でピタッと合わないといけないのだ。
斎藤 単なる球面ならいいんですが、ベースの球はどれも微妙に歪んでいたり、見えないレベルの凹凸があるんです。それを手の感覚だけで貼っていくのはかなり集中が要ります。
渡辺 うちは、基本的に1人の職人さんには午前か午後どちらかしか作業しません。集中力がもたないんですよ。
写真に写っているサイズだと、斎藤さんクラスのベテランで1時間に1個、午前中に3個作るのが限界だそうだ。
斎藤さんに話を聞いている部屋の上にも完成した地球が。ここでもまた創造神気分だ。
斎藤 そもそも、3次元の球体に2次元のシートを貼るためには、真ん中を伸ばしてやらなきゃいけない。それを18枚貼っていって、最後の1枚が最初の1枚に合うように考えつつやるんです。途中でズレても、あと2.3枚貼る内に誤差を吸収する、とか。
考えただけで胃がピリッとしそうな作業だが、そんな中でも特に貼るのが大変な場所ってあるのだろうか。
斎藤 ヨーロッパの辺りは地名がいっぱい入るので、文字がズレたり被ったり、という事が無いように特に気を遣いますね。
端っこの南極大陸の外周線もズレ無くピタッと合ってる。これが技術ってやつだ!
渡辺 20年ぐらい前までは機械が無くて、全部手貼りだったんです。
ただ、誰にでもできる仕事ではないので、入社面接にきた人にまずいきなり「貼ってみて」と手貼りをやってもらっていたんです。それで適正をみたんですね。向いてない人がどれだけ一生懸命やっても、センスがないと絶対に上達しないんです。
厳しい。厳しすぎる。
最古の地球儀にはアメリカがない
ただでさえ見どころの多い渡辺教具製作所の社内だが、その見どころ成分をさらにギュッと凝縮した場所がある。
工場2Fに設けられた、地球儀や鉱物など地学的なものを取りそろえた展示スペース『ミニ博物館』だ。
さほど大きい部屋ではないが、一つ一つ見ているともう時間がいくらあっても足りないぐらいに見応えがある。
変わりダネの地球儀が山ほどある。こんなにバラエティある世界だったか。
例えばこれなんか面白いですよ、と渡辺社長がまず見せてくれたのが『現存する最古の地球儀のレプリカ』だ。
ポルトガル王に仕えた探検家で地理学者のマルティン・ベハイムが作ったもので、制作年は1492年。なんと500年以上昔のものだ。
アメリカ大陸、まだ無い。
1492年、という数字でピンと来た人はいるかもしれない。この地球儀ができたのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見した年である。
つまり、この地球儀にはまだ南北アメリカ大陸が入ってないのだ。アフリカの西はスコーンと大きく大西洋が広がってるだけ。ある意味、斬新なビジュアルである。
ジパング(Cipangu)と書いてあるから、これが日本。シンプルなカタチだ。
一方、マルコ・ポーロが東方見聞録を書いたのが13世紀末なので、日本はちゃんと(と言っていいのかよく分からない形状だが)載っている。
周りにびっしり書き込まれているのはポルトガル語だろうか。いったい何が書いてあるのか、読んでみたいものである。「黄金いっぱいですげーピカピカしてんだぜ」みたいなのだろうか。
変な生きものもいっぱい。赤道付近には人魚もいるよ。
渡辺 よく見てもらうと、海のいたるところに怪獣みたいな絵がいっぱい描いてあります。昔は航海が本当に大変で怖いことだと思われていたんですね。
海が怖い、というのを表現するために怪獣を描く。アホの子供のお絵描きみたいで、なんとなくかわいい。
300年前の地球儀ともなると、だいぶちゃんとしてきた。でも細部がちょっと雑。
こちらは、1700年代にオランダ人のファルク父子が制作して、平戸藩主の松浦静山が入手した地球儀と天球儀のレプリカ。
さすがにこの時代の地球儀はアメリカも入ってるし(けっこういい加減な形だけど)、日本も「あ、日本っぽいな」という雰囲気になってきた(ただし、北海道がまだ入ってない)。
渡辺 対して天球儀は、この時点でもう現在のものとほぼ変わりません。星図の知識は、航海中に自分の位置を知るために絶対に必要なものなので、昔から知識がきちんとしていたんでしょうね。
『傘式地球儀』という名前から、どう使うかはだいたい想像がつく。
これもかなりの珍品な、江戸時代に作られたという『傘式地球儀』。
沼尻墨僊(ぬまじりぼくせん)という江戸時代後期の地理学者が作ったものらしい。
この状態ではもちろん地形を読み取ることができないので、パッと開いてみる。
ほら、地球儀に。
墨僊は「持ち歩きに便利なように」という名目でこういう開閉ギミックを考えたようだ。
携帯用地球儀がどういう時に必要だったのかは分からないが、個人的にこういう「作った人のドヤ顔が見える製品」はとても好きだ。
(実際、墨僊はこの地球儀を全国諸侯に送っており、現在も山口県や神戸市の博物館に現物があるとWikipediaにあった。自慢したかったんだと思う)
なぜか社内にあったGHQの立体地図
渡辺 地球儀じゃないんですが、なぜかこういうものもありまして…
と社長が出してくれたのは、プラスチック製の地図。しかも等高線に沿って地形が立体になっている地図だ。
東京周辺の立体地図。GHQ作成。
渡辺 どうやら朝鮮戦争の頃に作られたもので、アメリカ軍が占領地を把握する用に作ったものらしいです。それがなぜか、社内を大掃除しているときにうちの会長(渡辺美和子氏 当時社長)が段ボールに入っているのを発見しまして…全部で35枚あります。
こちらは大阪周辺の地図。南部の大台ヶ原から高野山にかけての起伏がすごい。
渡辺 軍事評論家の方によると「朝鮮戦争の際に、日本防衛と朝鮮半島戦略を練るために使われたのではないか」とのことですが、それがなぜ社内にあったのか…?
立体地図で見る富士山、飛び抜けて高くてかっこいい。
社長いわく、入手ルートは謎だが、曾祖父(創業社長)が地球儀の参考にどこからか手に入れたのではないか、とのこと。
創業社長の地球儀にかける情熱(とマニアごころ)が見えるような展示であった。
さて、この記事、どこかで見た記憶があるなーと思った方。デイリーポータルの古くからの読者の方であろう。
ごめんなさい。実は渡辺教具製作所さん、実は2009年にライター梅田カズヒコさんが
記事にしていたのだ。完全にチェック漏れである。
とはいえ、もうあちらも社長が代替わりされているし、聞けた話も違うからいいだろう…ということで改めて本稿を新バージョンとして掲載させていただいた。ほんと、ごめん。
取材終わりに小さい地球儀を買いました。取材行く度になんか買ってるな俺。