木の実を生らす
これまで食べ比べはあったかもしれないが、食べられくらべはなかったと思う。これをやりたい。
自力で多種多様な木の実を生らすことはできないので、近所のスーパーで買ってきた。これらを人間に食べさせてみるのだ。どのようなことがおきるだろうか。
明らかに木の実ではないのも混ざっているが
ミックスナッツ
はじめに用意したのはアーモンドなどのミックスナッツだ。これを枝に生らしてみる。人間が来るのを待つ。
たぶん自然界ではこんな風になってはいないと思うが
「食べ物はどこかな~」
しばらくすると、飢えた人間がやってきた。食べ物を探しているようだ。ちょうどいい。ミックスナッツを見えるようにしてみる。
すぐに食べられた。
食べられた。枝から木の実を取られるというのは、いささか恥ずかしい部分がある。落ちた木の実だったら「あげた」という気持ちになるのだが、枝から取られると「取られた」という感覚がある。
非力だ。
これが木の実を食べられる木の気持ちか。
小さめナッツ
続いてクコの実やかぼちゃの種を枝に生らしてみよう。
クコの実、松の実、かぼちゃの種
かぼちゃの種が枝に生るというのは聞いたことがないかもしれないが、こうした矛盾も含めてどう感じるかが今回のテーマでもある。
さて、人間は我々植物と違い光合成によってエネルギーを生産することができない。体外からエネルギーを摂取する必要があるという。
よって、また彼はすぐにやってきた。
葉緑体を持たぬもののさがか
そしてすぐに食べた。
かぼちゃの種にたいしてまったく違和感を持たずに食べる人間。じゃっかんの可愛らしさを感じる。
桜の木も満開になるというものだ。
加工されたナッツ
スーパーにはこんなナッツも売られていた
カシューナッツが甘く加工されたチーズに包まれたものを枝に生らしてみよう。
やや不条理の世界に足を踏み入れ始めている。世界が何もかもがわかりやすく整理されていると考えるのはどうだろうかという、木からの問題提起である。
また人間がやってきた。
食べた。
すぐに食べた。私からの問題提起的なメッセージを受け取った様子はなかった。人間は疑うことを知らないのか。知性は、ないのか。
人間は「想像以上にチーズの匂いがする」と言っていた。
食べさせてくれるのかと思ったら
チーズの匂いがすごいから嗅いでみろということだった。
私の勘違いで騙された犬のようになってしまったが、嗅いでみたらたしかにチーズの匂いがすごかった。
ジャムサンド
最後にジャムサンドというビスケットのお菓子を生らしてみよう。
明らかに木の実ではない
明確に木の実ではないのだが、はたして人間はその違和感に気がつくのであろうか。
もはや興味は人間の知性を試す実験にうつっている。これはさすがに気づくのではないか?
食べている。
木にジャムサンドが生るわけないのだが、そんなことはまるで意に介さないように他ひとくち食べてしまった。やはり人間には食欲だけがあって、葉緑素とともに知性は失われたのだろうか。
そして彼は言った。
「これ、りんごジャムだ」
その発想は、なかった。りんごはまさしく木の実(というか果実)である。矛盾はなかったのだ。
分析的判断をすれば、そもそも木に実っているものはその語義からしてジャムサンドだろうが木の実なのかもしれない。
自らを驕るあまり、人間の知性を見せつけられた形である。
春の日に、木の実を食べられる
ぼんやり食べられてしまえばただの木の実だが、意識的にやっていけばたのしいものだ。このように「人間にはわりと知性がある」などと発見があったりする。しかし、葉緑素もない彼らに知性があってどうするのだろう。ふしぎだ。