盆栽ってなんだろう?
盆栽と言えばサザエさんの波平や、ドラえもんに出て来るかみなりおやじと言った「お年寄りがやるもの」といったイメージが強い。
そして何をやっているのかわからないが、ハサミでチョキチョキと草を切っているイメージがある。
「盆栽=お年寄り」とイメージ。
「そもそも盆栽って何?」って聞かれて答えられる人がどのくらいいるだろう。僕は植木鉢の花と何が違うのかまったくわからない。パフェとサンデーの違いくらいわからない。いや、アシカとアザラシの違いくらいわからない。
話はそれるが僕には趣味がない。だから老後が不安なのだ。定年退職をしてからやることがなくなって、某掲示板のまとめ記事を読むことだけが生きがいになりそうで怖い。
ここで今のうちに趣味を盆栽にシフトチェンジできれば、健康的な老後を過ごせるかもしれない。脱まとめサイト!
春花園に行ってみた
江戸川区にある春花園。荘厳な感じの入り口だ。普段こないような場所なので緊張してきた。
春花園の庭にはずらりと盆栽が並んでいる。東京にいる感じがしない京都のような古都にいる気分になってくる。
左右にずらっと盆栽が並ぶ。
日本人よりも外国人のお客さんがたくさんいた。
庭にはずらりと盆栽が並んでいる。春花園には外国人のお客さんや弟子が多いらしくて、この日も奥の作業上で盆栽の手入れをしていた。僕なんかよりよっぽどワビサビが何かわかっているんだろうな…
盆栽がずらっと並んでいるのはすごいが、このまま記事を書くと、
「あーなんか盆栽って良いよね」
「わかんないけど盆栽ってすごい!」
「パワーを感じました」
「盆栽を見るだけでお肌がツルツルになりました」
「春花園に行ったら宝くじが当たりました」
というように、何も根拠がない昔の雑誌の後ろの方に書いてあったようなコメントしかできない。それではここに来た意味がないので、体験をする前に盆栽について教えてもらうことにした。
盆栽の楽しみ方を知ろう
春花園にいた神 康文さんに案内してもらった。
ここからは、「そもそも盆栽って何なのか?」「盆栽ってどうやって見れば良いのか?」を教えてもらいながら庭を案内してもらった。
盆栽の楽しみ方 その1
そもそも盆栽は「鉢の上に一つの景色を作る」ということを意識して育てる。そこに一本の木が自然に生えている様を表現する。ようは鉢の上が一つの世界になっているわけだ。カッコイイ!鉢は小宇宙だ!俺の世界だ!!
一つの世界と考えると急にかっこよく見えてくる。
たしかに見る角度を変えると、鉢の中に小さな木とは思えない。
べつの世界がそこにあると考えると、苔まで美しく見えてくる。そこに誰かが住んでいるんじゃないかと妄想が止まらない。地球じゃない惑星みたいだ。
盆栽というのが「自然に生えている木を鉢の上で表現している」ということがなんとなくわかった。
一つの世界を作る…自分の手で世界を…早くやりたくなってきた。早く世界作りたい。新世界の神になりたい。もしくは海賊王になりたい。
盆栽の楽しみ方 その2
「根っこ」、「幹」、「枝のつきかた」を見るのが盆栽の基本となる。人間で言うところの足と胴体と腕にあたる部分に注目する。
根っこの貼り方で歳月が感じられる。長い年月をかけたものは、根が土を覆っていて生命力を感じる。
下から盆栽を見上げると幹に迫力を感じる。大木みたいだ。
枝のつきかたで美しさがまったく変わる。重なっていたり、ムダな木があったりすると一気に美しくなくなるらしい。
こちらがどれをとっても最高といえる盆栽の一つ。
盆栽を鑑賞するときは下から見上げることも大事だ。自分が小さくなったつもりで見上げると、鉢の上の木が大木のように見えてくる。
あーやばい。意味がわかってきてだんだん楽しくなってきた。「すごいって言ってもただの木だろ…」って初めは思っていたけど全然違う。奥が深い。
盆栽の楽しみ方 その3
盆栽に使用している木は300年だとまだ若い方で、1000年経っている木を使用した盆栽もたくさんある。1000年前とか想像もつかない。平安時代とか鎌倉時代くらいか。
1000年前の話しとかタイムマシーンの話しを聞いているみたいで実感がわかないなぁ…
盆栽を見る時はその盆栽がどんな環境で育ってきたかを想像することが大切。見た目がカッコイイだけでなく、そのもの自体の過去がどういう環境にあったのかを考えるとたのしめる。
白い部分は幹が枯れていてジャリと呼ぶ。雷があたったり、動物にひっかかったり、落石で枯れたのか?などを色々と想像が働く。
幹を見ても歴史を感じられる。たしかに年月を感じるなぁ。なぜかわからないけれどおばあちゃんを思い出した。
鉢からこぼれるこの形は懸崖(けんがい)と呼び、崖際に生える木の厳しさを表している。ナナメの崖に生えて、風に煽られているみたいだ。
見た目がカッコイイだけでなく、そのものの過去やどういう環境にあったのかを考えるとたしかに楽しい。想像は無限だ。
種がこぼれてから、幹が育ち、枝が長年の風で曲がって動きがでてきて、根が大きくなって来て…と、一つひとつの動きを考えて、その木が育った環境を考えるといいと神さんに教えてもらった。奥深すぎる…
盆栽の見方が少しわかってから、じっくりと見てみるとおもしろい。たしかに鉢の上にはひとつの世界がある。ロマンが溢れてる。
盆栽体験をしてみよう
普段は「芸術なんてどれが良いかわからない!ゴッホよりもラッセンが好き!」とか言っている僕だが、盆栽は少しだけど楽しみ方がわかってきた。
なんとなくわかってきたところで、いよいよ体験してみる。
教えてくれるのは春花園の館長である小林國雄さん。盆栽をやっている人は静かで怖いイメージがあったけど、小林さんはあっけらかんとした感じで親しみやすい人だった。
小林さんの活動は幅広く海外でも活動を行っている。数々の受賞歴もあり、庭にある盆栽の中で小林さんが手がけているものでは、なんと1億円するものもある。
1億…!表の盆栽すべて合わせたら人生4回はやり直せるくらいの金額するのかもしれない。
こちらが1億円の作品。もはや後光が差している…!
盆栽をやる上で大事なのは「個性」、「調和」、「品位」、それから「らしさ」だ。
それらは正面からみたときの根の張り方、幹の立ち上がり、枝順で決まる。つまり木の良さを引き出すには、そういった部位を意識して形をつくっていくということだ。
今日はこちらの松を使って体験をする。15年ものでまだ若者らしい。人間に変えると高校生くらいか。そう考えるとたしかにまだ子どもだな。
どうやって枝に動きをつけるのかというと、針金で枝や幹を固定して、枝の流れを変えてしまうのである。こうすることによって、枝を自分の思っている方向に動かすことができる。
針金は3年くらい巻いておいて固定しておくらしい。つまり今の段階で3年後の木の未来の形を想像して曲げておかないといけない。なんて期間の長い作業なんだ…僕が20代を終えて30歳になってしまう…!
まずは針金でグルグル巻にする。少ない針金で行えると木に負担も少なくて良い。
ただ針金で巻くだけだと思うかもしれないが、意外に難しい。木を傷つけてしまいそうで加減がわからない。あと針金は適当にやっていいわけでなく、針金がクロスすると完全に固定されてしまい枝が伸びなくなってしまうから、考えて巻かないといけない。
針金で完全にガチガチに固定するのでなく、あくまでも流れを変えるために固定する。
気づいたら取材ってことを忘れて真剣に取り組んでいた。間抜けに見えるけど真剣になると口が開くんだよなぁ…
園内の従業員の人が自由に入ってきてかわるがわる教えてくれる。がっちりした教室というよりも、親戚の家に来て教わりにきている感じで楽しい。
針金での固定が終わったらいよいよ形を整えていく。この形を変える作業には工夫がいくつかある。さっき説明したように盆栽は「木がどういった環境で育ってきたのか」ということが大事だ。
木の人生を想像して枝を曲げていく。
風に吹かれ続けている枝はどう曲がるのかを考える。もしかしたら雪の重みで枝は途中で沈んだ形になるのかもしれない。葉は太陽にむかって伸びていくので枝先は上に伸ばす…などその木の育つ環境を想像して曲げていく。鉢の上にある木の人生を自分が作って表現していく。
創作と想像と生命の融合とか楽しすぎる。楽しさの大洪水でおもらししそう。
教えてもらいながら作業をしてようやく完成。全部で1時間くらいかかったけど、自分なりに木の一生を想像して作った。
初めの状態だとただただ生えているだけのぼやっとした感じだったが、枝は風に吹かれて曲がるのをイメージするなど作業したので、僕の木の世界がでてきたように感じる。
体験したあとの盆栽は2000円で持ち帰ることができる。当然僕は持ち帰ることにした。他の参加している方も全員持ち帰っていた。
なんか愛情が湧くというか、すごく可愛らしく見える。自分の子どものように愛おしい。隣の爽やかなお兄さんに聞いても同じように「可愛くて持ち帰りたくなりますよね」と言っていた。「そう言っているお兄さんも可愛いよ」と変な感情が芽生えそうになったが蓋をすることにした。盆栽の作業をしている間に母性がでてきたのかもしれない。
体験してから改めて庭の作品を見ると凄さがわかる。レベルと年月が違うのがよくわかる。
ただ盆栽はこれで当然終わりでなく、古い葉っぱをきったり毎日水やりをしたり世話をしていくことが大事だ。
盆栽には「水やり3年」という格言があり、それくらいやらないと、木の状態を見て適切な水やりができないということだ。
奥が深いぜ!盆栽!俺達の戦いはこれからだ!!
盆栽の世界に一歩足を踏み入れてみてよかった。新しい世界が開けた。家に盆栽があるって良い。
ただこの話を友達にしたときに「盆栽…?楽しいの?老後にやるものじゃないの?疲れてない?大丈夫?」と心配された。悔しいから今度、盆栽博物館に連れて行って盆栽の良さを延々と語ってやりたいと思う。
悔しいから盆栽と良い写真撮ろうと思ったら、逆に何やらかすかわからない系の怖い人みたいな写真になってしまった。狂気を感じる。