残暑厳しい近江舞子へ
朝、滋賀県北西の近江舞子に降り立った。夏場は海水浴客で賑わうが、シーズンオフの今は閑散としていた。駅周辺はホントに何もない。
今回のイベントは「子どもと川とまちのフォーラム」というNPOが主催している。たらい舟という言葉だけで反射的に申し込みをしてしまったが、じつは子ども向けの催しだったことを後から知った。
幸い、主催者の人と私との間に共通の知人がいたので何とか参加OKだったが、「千と千尋の格好でたらい舟漕いでいいですか?」と、見ず知らずの人間から突然メールが来た時の心情たるや。お察しします。
琵琶湖の基礎知識
子どもたちとその保護者の人たちで、30人以上はいた。大盛況だ。
駅から参加者の人たちと20分ほど歩いて、海水浴場……ならぬ湖水浴場の近くの民宿に集まった。まずは琵琶湖についてクイズ方式で学ぶ。
琵琶湖は世界でも有数の古代湖で、最深部は103mにも及ぶめちゃくちゃでかい湖。
今回、たらい舟を漕ぐのは「近江舞子内湖」。内湖とは、もともと琵琶湖の一部だったが、土砂の堆積などによって琵琶湖本体とは切り離された小さな湖のこと。いわゆるラグーン(潟湖)で、北海道のサロマ湖のようなものだ。
昔は大小40個以上、総面積30キロ平方メートルほどの内湖があったらしいが、干拓が進んだ現在はわずかに23個余り、総面積4キロ平方メートル弱ほどの内湖しか残っていないそう。
琵琶湖の水を飲んでいるのは、近畿圏のなかで滋賀県民が一番少ない
琵琶湖について教えてくれるのは、滋賀県立大の先生。
琵琶湖は流入する一級河川が119本もあるのに、流出河川は1本しかない。唯一の流出河川は瀬田川→宇治川→淀川……と名前を変えて京阪神の街へと流れ、京都・大阪・兵庫の重要な水源としてその役割を果たしている。
ちなみに琵琶湖の水は滋賀、京都の南部、大阪の南端、兵庫の神戸あたりまで飲料水として利用されているが、その利用人数は……滋賀が一番少ない。
「えっ……」と絶句する参加した子どもたち。「兵庫ってどこ?」と、聞き慣れない名前に首を傾げる子がチラホラ。
参加したみんなはまだ知らないかもしれないが、兵庫には滋賀県の総人口よりも人口の多い神戸市という街があってだな……。
兵庫の伊丹市で育ち、神戸・大阪で遊び、現在京都に住む私は生まれてから今まで大量の琵琶湖の恩恵に預かりまくっている私は、なんだか滋賀のみなさまに申し訳なくなってしまった。いつもありがとうございます。
琵琶湖で泳ぐことを「湖水浴」とは言わない
この日は10月だったのに最高気温31度、ピーカン照りの暑さで絶好の水浴び日和。砂浜の松林ではセミまで鳴いていた。
琵琶湖に関する講座の後は、1時間ほどの昼休み。琵琶湖の北部にはこんなにキレイなビーチが広がっている。
子どもはガンガンに泳ぎ、保護者は日陰でのんびり。滋賀出身の知人は琵琶湖で泳ぐことを「海水浴」と言っているが、なるほどこれは海だ。
加藤登紀子さんが歌って有名になった「琵琶湖周航歌」という歌でも「我は海の子」という歌詞がある。滋賀や京都の人のなかで琵琶湖を「うみ」と認識している人は割と多いのかもしれない。
全力。
ボランティアスタッフの学生さんは常に子どもたちのお兄さん役。人の良さがにじみ出るTシャツがすごい。いっそ知らない間に白ペンで「金力」にしようかと思った。
いざゆかん、たらい舟
もうなんか出オチ感がすごいな。
午後からはいよいよメインイベント、たらい舟を漕ぐワークショップ。本番に備えて私も衣装を着替えた。こちらが非常に安っぽい『千と千尋の~』の衣装である。ギリギリに思い立っても届くAmazonはすごい。
海岸から歩いてほど近くの内湖まで移動してきた。ちびっ子たちの目線が痛い。
なんだよその顔。
「案外ウケねーな」と心の中で独りごちたが、湯屋の下っ端ポジションなので、ちゃんと正座して説明を聞く。
たらい舟の他に、エンジン付きのボートで内湖をぐるりと回るのと、水草のヒシを取って食べるというプログラムもセットになっていた。3チームに分けて時間ごとにたらい舟、ボート、ヒシの実試食をローテーションする。
ボートに乗ってヒシを採集する
まずはボートに乗ってヒシを採取。この池に浮いている水草のほとんどがヒシだった。
今年は残暑が長かった影響か、ヒシが大量発生してしまっていたそうだ。本来ならばこの時期には葉っぱは全て水の中に沈んでキレイな湖面らしい。
食べ物を採取できるのは嬉しいけれど、そこらじゅうでエンジンのプロペラに水草がからみついて、何度も途中で止まる。
ヒシに覆われた湖面をジャブジャブ進むたびに、水の上を走るクモや、よくわからない虫がボートの振動から逃げるように散っていった。
ヒシの実は栗みたいな味がして、ちょっとクセがある
乾燥させたものヒシは、忍者が足止め用の武器として使っていたそうだ。なるほどそれで「まきびし」。
採れたてのヒシはざっと洗い、茹でる。茹でても四方のトゲは硬く、ちくちくしていた。
園芸用の鋏でバチバチと刺や皮を剥いていく。茶色い皮の中からは白い種子の部分があらわれる。意外と可食部は少ない。
剥いては親指の先ほどの可食部を口に放り込んでみる。どことなく栗のような味がする。食感はホクホクしているところとシャキシャキしているところがあった。ちょうど栗とくわいの中間くらいのような感じだ。少し青臭いクセが気になる実もあったが、ヒシ自体の風味かと言われればそんなものかも。
持ち帰ったヒシを混ぜて炊き込みごはんにしたら、非常に素朴でおいしかった。常に手に入らないのが悔やまれるくらい。あぁ、また食べたい。
たらい舟は全然漕げないし、回りつづける
たらい舟は楕円形で、前方に引っ掛けられた棹を動かして進んだり方向転換をする。
楽しすぎて前段が長くなってしまったが、いよいよメインのたらい舟だ。
たらいの前方に縄で引っ掛けられた棹で操舵する。棹はバターナイフのような形をしていて、漕ぐときは横向きに、面が広い部分で水を後方にかき、かき終わった棹を縦にして水の抵抗をなくしながら戻す。ちょうど、クロールの手のような動きに似ている。
わかっちゃいるけどこれが難しい。あれよあれよという間に行きたい方向じゃない方に流されていく。
たらい舟とは、洗濯桶をルーツに改良を重ねて定着した、岩礁の多い入り組んだ海でアワビやサザエを獲るための舟で、新潟県・佐渡市の小木海岸のものが有名だ。今回乗せてもらったのは、佐渡島のたらい舟を模してつくられている。
どうして推進性のない円形なんだろうか……と悪戦苦闘しながらたずねたところ、なんでも「たらい舟は進んじゃダメな舟」だそう。舟なのに進んじゃダメとはいかに……。
やすやすと遭難しそうだったので、棹を引っ張って連れ戻してもらった。私ではいつまでたってもハクを助けにいけそうにない。
というのも、たらい舟は海女さんが海中のサザエやアワビを獲るために乗るもので、舟から箱メガネを覗き、岩礁の隙間にいる獲物を探すのだという。
だからこそ一定の場所に留まりつづける形である必要があるのだ。通常の舟のようにスイスイ進まないし、円形なぶんバランスが分散されるから身を乗り出して傾いてもそうそう舟はひっくり返らない。
進まないために考案されたものだったとは、目からウロコである。そんなたらい舟を海女さんたちはピタっと一定の場所に止め続けたり、バックしたり回転したりと自在に操るのだそうだ。ドライビングテクニックが達者な男性はモテるというが、たらい舟操舵のテクがうまい女性もきっとモテるはず。
小学生の兄妹と、ガイドのおじさんと一緒に漕ぎはじめた。風と漕ぎクセでいきなり葦の群生に座礁。がんばれ小学生、イライラしてけんかしちゃだめだゾ。
たらい舟は、使う前からも手間がかかる。
まずたらい舟はすぐに使えるわけじゃなく、使用する数日前から水に漬けておかないといけないらしい。乾燥した木が水を吸い膨張して、木と木との隙間がピッタリ埋まってはじめて浸水しなくなる。
使用後は。池から釣り上げて倉庫に運び、しっかり乾燥させて保管する。そんなこんなで手間がかかるから、なかなか常日頃からたらい舟が体験できるわけではないようだ。
ちなみに写真には写っていないが、池の向こうに鹿の胴体が浮いていた。ヒシに足が絡まって溺れたのだろうか。容赦ないレベルの自然がめちゃくちゃ近い。
岸辺では、廃業した貸しボートの残骸が打ち捨てられていた。いまはこうしたイベントがない限り内湖には入れない。危なっかしく揺れるたらい舟で合コンとかしたら、話題になって人が来そうと思ったけど、上記の手間や人手不足もあってそう簡単にはいかないようだ。
いろいろ事情はあれども、海でも川辺でも、大きな水に触れるのはすごく楽しいものですねー。
衝撃的だったのが、この格好が全然子どもたちにウケなかったことだ。本当に全然ピンときていなかった。
「千と千尋やん、ジブリの!」と説明しても「知らん。見たことない」とにべもなく返された。帰って調べたら『千と千尋~』は2001年公開、もう15年も前の映画なのだ。
あれだけヒットしてたから、知らない人はいないと思っていたが、時代は移り変わっているということをマザマザと見せつけられた。これがアラサーの現実……。
解散後、片づけのために釣り上げられるたらい舟。
解散後の内湖は静まり返っていて、まるでこの世の果てのようだった。近江舞子の西には、スキー場もある比良山脈が広がっている。冬に来たらものすごく奇麗らしいので、また足を運ぼうと思う。