あたかもVR体験をしているかのように
というわけでVR姿をいつ人に見られてもいいよう、リアクションの練習をしたい。
今回は外からVR体験をしているように見えればそれでよく、実際の機能はまったく必要としていないので、それっぽいものを自作した。
それっぽいものを作った。
100円ショップで売られていた小型のゴミ箱がおもな材料。
いまいち機械らしい重厚感には欠けるが、離れてみれば……まあヘッドマウントディスプレイかな、というものが出来上がった。
実物を見たことがないのでサイズ感が怪しいものの、一晩かけて作ったからそう簡単に諦めたくないという思いもある。
装着してしまえばVR体験者に見えてくるかもしれない。
こうやって頭にはめる。
これがおれのVR。
けっこういいのではないだろうか。
VRの体験レポートを見るたびに、塾で先んじて習った知識を学校で得意気にひけらかすクラスメイトを見るような気持ちになっていたが、見た目だけはぼくも同じ土俵に立ったと言える。
これがぼくのVR、いや、FR(フジワラリアリティ)である。その視界はこうなっている。
ゴミ箱の裏。
体験レポートでは「A社とくらべてB社の製品は臨場感が勝るけど解像度が低いな」などと言っている人もいたが、こちらは解像度は最高である(臨場感はない)。
あと視界が遮られている分、耳がよく聞こえるようになる気がする。
しかも無線である。
VR体験をしているように見えるノウハウ
しかし、これだけではまだVR体験しているように見えない。なぜだろう? そこにはノウハウがあった。
まず、口を開けてみるのだ。それだけで状況は一変する。
ぼんやりと口をひらく
電源が入った感じがする。きっと起動画面か何かが表示されているはずだ。VR体験中、ぜひ口は半開きにしたい。
さらに横を向いたり、拳を握ってみたりしてみよう。
何かはわからないが、すごい何かを見ているようだ
すっかり何らかの映像が映し出されているようだ(実際はゴミ箱の裏側だけが見える)。
映像がなくても、ちょっとした工作と表情と拳だけでかなりのVR感。実際見てるのはゴミ箱の裏だというのに。
この写真に何か適当な感想文をつけたらそれで十分なVR体験レポートになりそう。なりませんか?
ここまでやるとおおげさか。でもアリかもしれない。
あとはのめり込み過ぎて転んでしまう、というのもあるだろう。
映画が普及しはじめたころ、スクリーンに映し出された走る蒸気機関車を見て、驚いた観客が席を立って逃げ出そうとしたという。
はじめてのときはぼくもびっくりして転んじゃうくらいのリアクションはしたいものだ。
また、体験終了後に感動した表情が残っていると「いい体験したんだな」という風に見られるので、最後まで気を抜かずにいたい。
ディスプレイを外したときの表情も油断しないでおきたい
一通りのVRリアクションのコツは掴んだ。(わりとあっという間だった。)これでVR初体験時に恥をかく心配はなさそうだ。
この時点でこの記事はほとんど終わりなのだが、どうするべきか。
しつこくやっていればまだ発見があるかもしれない。あきらめずに、次はシチュエーションを想定しながらやってみよう。
小道具があれば、よりVRっぽく
棒立ちだと状況が伝わりづらい。そんなときはちょっとした小道具がひとつあるだけで世界は広がってくる。
たとえばブランコである。
これは深海で凶暴なサメに襲われているところ
隣に女の子がいるのでガン見したいけど恥ずかしくてどうしようか迷っているところ
ブランコに座るだけで、シチュエーションも増えてくる。
写真に1行説明を書くだけで、深海を探査したり、女の子とデートしたりも、自由自在である。
木の板とぬいぐるみがあればもっとすごいこともできる。
高層ビルからせり出した一枚の板の上を歩いて猫を助けに行くところ
こう体験しているように見えてほしい
なんかこういうことやってる人いたな、という気がするだろう。まるで実際に体験しているかのように見えている人、のように見える。VRのコペルニクス的転回である。
ちなみに写真には写っていないが、このときもちゃんと「わわわ~!」という顔をしている。映像が見えていない以上気を抜いたらそこで遊びは終わりになってしまうのだ。
コントローラでVRゲーム風に
プレイステーションVRのモーションコントローラを模した棒も持ってみると味わいがある。
PSVRっぽさが格段に上がる
あらためて確認すると「VRを体験している人のように見られたい」というのが今回の目的である。
その目的からすると、何も間違っていないのだが、何か違うような気がしてだんだん不安になってくる。外に出て撮影しようとしたのが仇となっているのだろうか。
VRでテトリスをやっているところ。凸を回転させている。
楽しそうな夢を見る人に見える
VRが何か分かってない感じが少し出てしまったかもしれない。
でも、こういうときこそ自分を信じたい。他人に認められるために右往左往するような人間は愚かである。
のめり込み過ぎて現実とVRが区別できなくなる
ふつうのゲーム用コントローラを持ってみてもいいのかもしれない。
これで主人公を操作するのである。
素直にコントローラを持っていてもそれらしい
操作される主人公とは自分のことである。いっそこのまま歩いてみたらどのように映るだろうか。
リアルな街並みを歩く
なんの変哲もない現実世界が、かえってリアルすぎるゲーム世界のように見えなくもない。
メビウスの輪のようにVRと現実が混ざり合ってゆく。
VR、それとも現実?
おまわりさん、お疲れ様です
バーチャルリアルゴールド
本物のVRがたのしみ
おもちゃを買ってもらえない子どものような雰囲気が出てしまったものの、おおむねVR体験の練習はできた。
撮影した写真を振り返って「もう経験者と同じかわりない」と言えるくらいの余裕はある。どんとこいVRである。
この記事はVRが普及した将来には明らかに恥ずかしいものになるだろうが、そのときは当時の記録としてやさしい目で見て欲しい。