神奈川県の江の島の宿泊施設については、前からとてもキニナっており、いつか全宿取材したいものだなあと思っていた。
今回は第1弾として、歴史が深すぎていつからあるか分からない旅館「岩本楼」へと行ってまいりました。
岩本楼すごい1
この日も良く晴れてカップルも多い江の島
弁天様も嫉妬し疲れるほどカップルカップルカップルな江の島の、青銅鳥居を入ってちょっと坂を上がったところにあるのが岩本楼。
素朴な中に気品漂う門構え
お庭と正面玄関
門を入ると三方に建物がそびえており、こんなに大きな旅館だったのかと驚く。館内は思いのほか新しいが、ロビーの隅には仏像や古い写真などが飾られていて、歴史のにおいが感じられた。
広いロビーの一部
この日取材にご対応いただいたのは、取締役社長の岩本文彦(いわもと・ふみひこ)さん。当主としては50代目と言われているそう。「血族での繋がりではなく、この旅館の当主としてですが」とのことだが、それでも50代って……。
さっそく歴史についての話題に入りたいところだが、まずは館内の見どころをご紹介。
キニナルお部屋
お茶セットでーす
広々とした和室には日光がさんさんと降り注ぎ、ほっとできる空間。サンルームの窓の向こうには一面に海が広がっている。
うーむ絶景
「こんな旅館で、徹夜で原稿書きたいよね」と編集部・山岸。何言ってんの
お部屋にもお風呂と洗面所がついている
建物は改築などで変化しているだろうが、窓からの景色は昔から変わらない部分もあるはずで、長い歴史を想いながらいつまでも外を眺めていられそうだった。お部屋はシンプルだが趣があり、由緒正しき旅館の品格を感じられた。
娯楽室では
中国の職人に発注したという大きな螺鈿(らでん)天井を見られる
そんなゴージャスな娯楽室で、卓球なんてとてもできない。岩本楼では、至るところに何気なくすごいものが飾ってあったりして、探検できる美術館のようで楽しい。
しかも
1階には岩本楼の歴史や文化にまつわる資料館まである。資料館には江戸時代に作成された江の島内の地図や絵、昔の建物の一部、天皇が使用したと言われている道具などが展示されている。
古い看板
壁には古い建物の一部が埋め込まれているという、この工夫
歴史が深すぎてどこからが始まりか明確なことが分からないほどの岩本楼には、かつて蔵があり、貴重な歴史的資料や宝物がたくさん保管されていた。
しかし、それまでの当主はそういったものに価値を置いておらず、そのため保存状態が悪かったという。ここにあるものは現当主の岩本さんが蔵から引っ張り出してなんとか修復し、展示しているものばかりなんだとか。
お菓子の缶に入っていたという江の島の古い写真
「建物全体も保存したかったのですが、そのためには建物を建物で覆わなくてはならず、いろいろな事情から難しかったため、資料館を作り建物の一部を保管しました」と岩本さん。
昔からのものを受け継ぎ、しかも後世にも残すのは本当に大変だ。岩本さんは専門家の力を借りながら、できる限り一番良い方法で岩本楼を残そうと尽力されている。
岩本楼すごい2
あまりの歴史深さと貴重なものの多さに、どう原稿を書き進めたらいいかもう丸2日悩んでいる岩本楼。見どころはまだまだあります。
食事もそのひとつ
海と山の幸をまんべんなく楽しめる岩本楼の食事、目にも鮮やか。
「旅館の食事って冷たくて味が薄くてすごい色しているだけで好きじゃない」と思ってる方も、ここの食事には驚くのではないだろうか。温度も塩加減もしっかりと調節されていて、見た目だけではなく味も楽しむことができた。ボリュームもあり、これは大満足。
今まで旅館のご飯を見くびってました、ごめんなさい
普段食事はお部屋でいただけるそうで、暮れていく海を眺めながら美味しい食事をいただけるなんて、うーんイチコロ。
それから大浴場は誰もが認める名物。
まずは弁天洞窟風呂から。脱衣所は清潔で広い
浴室はこう
これはわくわくだあ。江の島名所の岩屋をイメージしたというお風呂は、子どもでもわんぱくでなくても冒険心が沸き立つ。こちらは昭和の終わりに先代が作られたそうで、元々は女人禁制だった江の島内の「岩本院」と呼ばれるところで働いていた稚児を折檻する土嚢(どのう)だったんだとか……。
その後は自然の冷蔵庫として使用されていたが、電気が通り使われなくなったため、お風呂にした。
ここに閉じ込められたら
泣くなあ
奥には鳥居が
奥まで進んだら、ふと富士山の麓までいっちゃってたりして! な神秘的な弁天洞窟風呂でした。スチームサウナの効果もあるんじゃないかな。
次は2001(平成13)年に国の有形文化財に登録されたというローマ風呂。
脱衣所のステンドグラス
こちらのローマ風呂にはイタリア製の最高級のステンドグラスが使われており、しかも今ではもう製造されていない天然の染料を使用したガラスだという。30cm角で約15万円するそう。せ、背筋が伸びます。
1930(昭和5)年に作られたお風呂
わあ
わああ
実際に入浴させてもらったが、すごく遠い所に来ているような感覚になった。歴史と美術的な美しさのある浴室内を見回しながらたっぷりなお湯につかるのは心地よかった。
岩本楼がお風呂にこだわりだしたのは1916(大正5)年。当時の当主が豪華な大理石のお風呂と、人造の滝を設えた大浴場を作ったのが始まり。昔、江の島は水を引くのも難しい立地だったというし、大きなお風呂を作るのは相当労力も費用もかかったんじゃないだろうか。すごいなあ岩本楼。
昭和初期の江の島
と、だだだっと岩本楼の魅力を駆け抜けてきたが、みなさん、お出かけされたくなっただろうか。岩本楼の宿泊費は1泊2食付きで1万4000円から。浴場は基本的に宿泊者のみが利用できる。
横浜からもほど近いし、贅沢な時間を過ごしに来るにはぴったり。うーんイチコロ。
岩本楼の歴史すごい
では次に歴史。岩本さんのお話と合わせて藤沢市の文書館へ行って調査してきた。
文書館
岩本楼はかつて鎌倉時代から岩本坊と呼ばれるお寺だった。江の島には岩本坊のほかに、室町時代初期の1452年~1456年の間(推定)に上の坊・下の坊の3つの坊ができ、その中でも岩本坊は一番大きな寺だったそう。
鎌倉時代、勝運の神・八臂弁財天(はっぴべんざいてん)をまつる江島神社の信仰が強く、島は神聖な場所とされ、源頼朝をはじめとする将軍家、天皇や大名しか入ることが許されなかった。
そのため、島が一般人にも開放され始めた江戸時代以前は、島内の資料が残っていない。鎌倉時代に岩本院と名前を改めたのではないか、と資料から推測するが、詳しいことは不明。
1862(文久2)年には歌舞伎狂言作者、河竹黙阿弥(かわたけ・もくあみ)の『白浪五人男』の舞台として岩本楼が描かれており、登場する弁天小僧は岩本院の稚児がモデルと言われている。
天皇が履いたと言われている鎌倉彫の下駄など
江戸時代にも江島神社は武家や庶民から信仰されており、島は多くの参拝客でにぎわっていた。
現在も多くの参拝客でにぎわう江島神社
江の島では寺の僧が神社の神主も務めており、仏教色が強かった。明治時代、政府の神仏分離の政策により、島内の仏教的建築物や仏像、経典は破棄され、僧侶は全て神主になった。
岩本院は岩本楼に名前を改め、それまで宿坊だったことを生かし、1874(明治7)年3月に旅館として開業した。
明治から大正時代の岩本楼正面玄関(提供:藤沢市文書館)
客室の外観(提供:藤沢市文書館)
建物はたびたび改築され、現在の建物は1989(平成元)年に作られたものだそう。
写真を見ていると現在の建物に共通する部分もあり、歴史の長さを感じられた。
かつて天皇や大名、頼朝も眺めたであろう景色を贅沢に堪能できる旅館、岩本楼。今度はおばあちゃんを連れてきたいと思った。
取材を終えて
と思ったら山崎のおばあちゃんとおじいちゃんは新婚旅行で岩本楼に泊まったらしい。あと、はまれぽ編集部・山岸の提案で岩本楼さんのお風呂に入らせてもらったが、自分から言い出したのにいざ入ったらすごい照れてた。恥かしがってもあなたの下着が水着みたいな柄だってことばれてますよー。
参考文献
『江の島岩本楼今昔物語』
『神奈川県百科事典』
『弁天小僧と岩本楼』
岩本楼
住所/
藤沢市江の島2-2-7
電話/0466-26-4121(8:00~22:00)
URL/
http://www.iwamotoro.co.jp/