釣り雑誌の取材で
釣りの写真を中心に活躍するカメラマン、津留崎健さん。「釣り師なら一度は撮られたいカメラマン」として釣り人の間では有名な人らしい。僕は釣りをやらないので知らなかったのだが、最近も「絶景日本の釣り」という写真集を出していて、その写真がナショナルジオグラフィックに掲載されたりもしている。
釣りをやらない僕がなぜ釣り雑誌の取材に行くことになったのか。僕も不思議なのだが、知り合いの編集者からムービー撮影を頼まれたのだ。釣りの知識ゼロ、という無防備な状態でカメラを持って取材に同行することになった。
取材内容は「響灘、玄界灘の釣り」。福岡空港で津留崎さんと合流し、小倉、唐津、串浦、壱岐を拠点として、遊漁船の上で4日間を過ごした。
これからお伝えする内容は、撮影の合間、主に船の上で聞いたお話です。
君こそスターだ! 第28代グランドチャンピオン
津留崎さんが出演したのは「君こそスターだ!」というオーディション番組だ。1973年から1980年にかけて放送された人気番組で、この番組から高田みずえ、石川ひとみなどのスターが輩出されている。「あまちゃん」で母の春子が出演した番組の名前は「君こそスターだよ!」。津留崎さんが出演した「君こそスターだ!」のパロディだ。そして、その番組の最後のグランドチャンピオンに輝いたのが津留崎さんである。
その時の映像が津留崎さんのiPhoneに入っていたので、画面キャプチャーをいただいた。
見事、第28代グランドチャンピオンに輝き、スターの座を約束された津留崎さんであったが、残念ながらそこで番組は終了。デビューの約束もないことになってしまった。
しかし、上の写真の津留崎さんと今の津留崎さんでは随分と印象が違う。
今の津留崎さん
当時の津留崎さん
可愛らしい顔立ちでスラッとしていた19才の津留崎さんは、35年という月日を経て立派なオジサンへと変貌を遂げたのだ。
音楽との出会い
津留崎さんの出身は福岡県久留米市。幼少期は人見知りがひどく、引っ込み思案な性格だったという。中学校に上がってから、そんな自分を変えたいと考えた津留崎さん。妹さんが習っていたピアノに興味を持ち始める。
「ピアノの音色が心に響いたんだよねぇ」
と津留崎さんは久留米訛りで当時を振り返った。僕の父も久留米出身だったので、久留米訛りには馴染みがある。
船の上で当時の話を語ってくれた津留崎さん
それから妹と同じ音楽教室に通い始め、勘のいい津留崎さんはすぐにピアノが弾けるようになった。
「昼休みに音楽室でLet it beを弾いてたら女子が集まって来て。音楽ってモテるなって思ってさ」
引っ込み思案だった津留崎少年は、思春期に音楽と出会い自分を変えることができたのだ。
釣りの撮影になると真剣そのもの
「それから高校に上がってバンドを組んだんだよね、スコッチっていうバンド」
そのスコッチで津留崎さんはキーボード兼ボーカルとして久留米市で人気を集めていったらしい。
「俺たちのライブで千数百人のキャパがある久留米市民会館がほぼ満員になるくらいだから。当時のチェッカーズも出てくれて、色々俺たちの手伝いをしてくれてさ」
当時久留米市ではチェッカーズよりもスコッチの方が人気だったのだという。しかし、ライブを見に来ていたスカウトはスコッチではなくチェッカーズの方に可能性を見いだした。
「ある時テレビを見てたらチェッカーズが出てきてさ。それで俺たちにはスター性がないんだと思い知って」
テレビで活躍するチェッカーズを尻目に、津留崎さんは久留米でバンド活動を続ける。自分の力を全国で試してみたい。そんな野望を心に秘めながら。
朝の6時からカップラーメンを食べるバイタリティーの持ち主
グランドチャンピオンへの道
18才の津留崎青年は、ある一つの目標を心に定めた。
オーディション番組に挑戦してみよう。
そして、久留米大橋の下で毎日2時間、歌の練習を始めた。
「毎日休まず1年間、橋の下での練習を真面目に続けたのさ」
船首から海を撮影する津留崎さん
練習を続けながら、自分の歌を吹き込んだカセットテープを「君こそスターだ!」に送った。書類とテープの審査が通り、地元で2回のオーディションを経て、「君こそスターだ!」の出場権をゲットした。
「君スタ(津留崎さんはそう略す)は1年近くかけてグランドチャンピオンを決める方式で、最後の決勝大会に至るまで3回、テレビで歌ったんだよね。予選、準決勝と段階があって。そのどれも俺は91点を出したのさ。80点以上が合格点だったから、かなり高得点だったのよ」
予選と準決勝で津留崎青年が歌ったのは、かぐや姫の歌が多かったという。
「全部の曲名は覚えてないけど、南こうせつが好きだったからかぐや姫を歌ってたと思うよ」
魚が釣れるまでの間、仮眠を取る津留崎さん
1年近くに渡るテレビ出演を経て、冒頭に紹介した決勝大会に出場した津留崎青年。
「決勝大会で歌った歌は、『お前が大きくなった時』だったな。緊張して足をつったまま歌ったのを覚えてるよ」
決勝大会でもかぐや姫の歌を歌い、9人の決勝進出者の中でトップの成績を取り、グランドチャンピオンとなった。
今の津留崎さんと当時の津留崎青年のアフロヘアとかぐや姫。その全ての要素が僕の中でうまく繋がらないが、全部事実なのだ。
「チャンピオン大会は調布のグリーンホールでやったんだけど、グランドチャンピオンになって、まずグリーンホールの公衆電話から親に電話をかけたのを覚えてるね」
電話口の親の声を聞き、1年間練習を続けた努力が実ったことを実感したという。
「君スタで『努力は実る』ということを自ら証明できて、その後の人生の励みになったね。君スタ自体は番組が終わってデビューはできなかったけど、そのことだけでも相当な財産になったって、今になって思うよ」
真鯛を撮影する津留崎さん
歌をあきらめ、カメラの道へ
デビューを約束されたのに番組都合でその話がなくなってしまう。津留崎青年はどんな気持ちだったのか。
「そういう大人の世界というか大人の事情みたいなのを始めて知って、俺はやっぱり傷ついたのよ。田舎者だったから…」
その頃、大学を休学していた津留崎青年は、休学期間を利用して九州の山々を巡る旅に出た。
「カメラと釣竿を持ってさ、山の中でおばあちゃんやおじいちゃんの写真を撮ったり、自然の写真を撮ったり。まぁ、要は自分探しだね」
船首から釣り人を狙う
写真と釣りは子供の頃からやっていたのだろうか?
「釣りは小学校の頃からやってたんだよね。引っ込み思案でも釣りだったら1人の世界になれるでしょ。写真は入った大学が芸術学部の写真学科だったのよ。君スタを受けたりしていた頃は真剣に学んでなかったんだけど、旅に出て写真の面白さを知って、真面目に勉強しようと復学したのよ」
久しぶりに陸に上がり昼食を待つ
そうは言っても、一旦はアマチュア歌手の頂点に立ったわけで、そんなにスパッと気持ちの切り替えができたのだろうか?
「いやぁ、言って見れば表舞台から黒子に転じた訳でしょ。正直言って35才くらいまで歌への未練というか、そういう気持ちはあったよね」
デビューの話がなくなった時、番組担当プロデューサーから、
「演歌だったらデビューできるけど、どう?」
と誘いがあったのだという。当時アフロヘアの津留崎青年がそんなオファーを受ける訳もなく、デビューの道は完全に閉ざされた訳だ。
35才くらいまで未練が少しあったということは、演歌でもデビューしてたら良かったな、と思ったことはあるのだろうか?
「それはなかったかな。今、カラオケで演歌を歌うのは好きだけどね」
そう言って津留崎さんは豪快に笑った。
僕は遊漁船が残す航跡を見ている。
航跡を残して船は進む
モーターから生まれる航跡はすぐに引き波に変わり海の向こうへと消えていく。人生はまるで航跡のように。僕の頭に演歌のようなフレーズが浮かぶ。僕も演歌が似合う年齢になったのだ。
この日の撮影を終えて港で
旅館ですぐに眠ってしまった津留崎さん。連日4時起き。釣りの撮影はハードなのだ
35年経っても、やっぱり歌がうまい
取材旅行の途中、僕はどうしても津留崎さんの歌が聞きたくなった。とは言え、船の上でアカペラで歌っていただく訳にもいかない。すると、夕食後にカラオケスナックに行く機会が巡ってきた。
津留崎さんにお願いして、一曲歌っていただいた。
津留崎さんが選んだ曲は、松山千春の「恋」だった。
カラオケで歌を披露してくれた
津留崎さん
本当にうまい。声量、ビブラート、表現力、どれを取っても素人の域を超えている。うますぎてちょっと引くわー、ってくらいうまい。君こそスターだ!最後のグランドチャンピオンは伊達じゃなかった。
どうしても聞きたかったこと
最後の晩に
取材最終日の夜、僕と津留崎さんは畳の上に横になりながらたわい無い話をしていた。
会話が途切れた時、最初からずっと気になっていたことがあったので津留崎さんに聞いてみた。
その髪型はパーマですか? 天然ですか?
「いやぁ、天然パーマなんだよ。長さによってはおばちゃんパーマみたいになっちゃうんだよなぁ」
そうですか、天然ですか。僕も天然なんですよ。
と、お互いの毛質についての悩みを打ち明けながら、僕たちはいつしか眠りに落ちていた。
君スタのグランドチャンピオンから歌手への道はなくなったけれど、35年経った今、津留崎さんは釣りの写真家として大活躍をしている。もし、あの番組があそこで終わってなくて、歌手としてデビューしていたらどうだったのだろう? それは誰にも分からない。
「同じことを辛抱強く継続していれば、必ずチャンスは回ってくるのよ」
54才になった津留崎さんは、釣りの写真家として僕にそう言った。
ですよね。僕も自分の仕事をがんばります。