太麺と細麺があるうどん
おけらうどんを提供するお店は、高田うどん店という。おけらうどんという名前は通称だ。
JR川崎駅から徒歩で15分、国道15号新川橋交差点の近くに高田うどん店はあった。駅から歩くと、この季節でも少し汗ばむくらいの距離である。
高田うどん店
営業時間は朝の6時から15時半まで。割りと変則的な時間設定である。
僕が訪れたのは朝の8時。外から店内を覗くとお客さんの姿は見えない。うまく忙しい時間帯を避けられたのかもしれない。
店に入ると少し見上げるくらいの場所にメニューがある。
おけらうどんのメニュー
うどん屋さんなのに、カレーライスから始まっているのが気にかかる。カレー推しなのだろうか。しかし、僕が求めているのはおけらうどんだ。
間を取ってカレーうどんを頼むことにした。
と、この時は気づかなかったのだが、今こうして写真を見ていて分かった。うどんを真ん中にもって来ているのだ。うどんを真ん中にして、右に8つ、左に8つ。シンメトリーにメニューが書かれているのだ。と、思う。
カレーうどん(360円)
ここのうどん屋さんは麺の太さを選べるという特徴がある。太いうどんか細いうどんか。細いうどんというものを今までに食べたことがなかったので、僕は細い麺を注文した。
麺の太さはこれくらいだ。
細い麺
冷や麦のようにも見えるが、これはうどんだ。これがおけらうどんである。
箸で麺をつかみ持ち上げてみた。
持ち上げてみると
麺にまとわりついたカレーの重みで、麺が途中で切れてしまう。
そう、ここのうどんは柔らかめなのだ。讃岐うどんのようなこしは全くない。それは太い麺でも同じだった。
こちらは太い麺の天ぷらうどん(330円)
ここ1週間、ずっと風邪をこじらせているので、これくらいの柔らかさが丁度いい。財布にも体にも優しい。それがおけらうどんに抱いた印象だ。
こしの強いうどんが好きな人にはあまりオススメ出来ないが、風邪を引いていたり柔らかめの麺が好きな人には是非食べていただきたい。
手際良く調理するおやじさん
そして、ここでうどんを食べる前には、競馬場もしくは競輪場でギャンブルをしてからの方がいい。おけらうどんを食べている、という雰囲気を盛り上げるために。
だから僕も、前日の夜に川崎競馬場で馬券を買っていた。
僕の夢を乗せて馬たちが走る
おけら気分を盛り上げろ
今までに競馬場で馬券を買ったことがない訳ではない。でもそれは、競馬に詳しい人に連れられて、競馬新聞の読み方、馬券の買い方、観戦時のマナーなど様々なアドバイスを受けながらの競馬観戦であった。
この日は競馬に詳しい人がいない。馬券の買い方が分からない。どうしたらいいのか?
それが大丈夫なのだ。親切に初心者専用窓口というものがあった。
初心者っぽくない人がいるけど
初心者専用窓口のおばちゃんに教わりながら、僕は馬3連複という馬券を500円分買った。1位から3位に入りそうな馬を3頭選べばいいという。馬3連単だと順位まで当てないといけないとうので、それは難しいだろうと素人目にも分かった。
馬3連複を500円分
馬の強さや状態など全く分からないので、名前で選んだ結果、2-3-11という馬券になった。
おばちゃんから馬券を受け取ると、何だか当たりそうな予感がしてくる。世の中にはビギナーズラックという言葉があるときく。しかし、これが当たってしまってはおけらうどんをおけらうどんとして楽しむことが出来ない。どうしたらいいのか、という葛藤。
レースまであと3分、どんどん当たる予感が強くなっていき、僕は困った。当たったら、おけらうどんを取材する企画が台無しになってしまう。でも、きっと当たる。そうなったら林さんに連絡をして企画の変更を告げよう。
「当たる馬の見分けかた教えます」
これでいこう。
ガシャンっ、と音を立ててゲートが開いた。
2番と
3番と
11番来い!
1500メートルのレースはあっという間に終わった。
当たる訳がない
結果が、4-3-6、というダブルプレーのような数字の並びであった。3番だけあっていた。
なんで当たると思ったのか、さっきまでの気持ちが自分でも不思議だ。林さんに連絡をする必要もない。予定通り、明日の朝、おけらうどんを食べよう。
レースが終わり一気に引ける人の波について、駅までの道を歩いた。
僕のように競馬に負けて歩く駅までの道、それをおけら街道と呼ぶ。
競馬に負けて歩く駅までの道が
おけら街道
おけら街道は、中山競馬場から西船橋駅までの道が発祥なのだという。今では競馬場があるところには必ずと言っていいほどおけら街道が存在する。
川崎競馬場のおけら街道は、途中に風俗店が立ち並ぶ堀之内という地域を抜ける。
競馬に負けて、風俗店街を抜けて家路につく。これも、おけらうどんを食べようと思わなかったら出来なかった経験である。
猫が僕をみていた
ふたたび高田うどん店
そのような夜を経てからの早朝高田うどん店である。
広い調理場
ここでうどんを茹でる
風邪をこじらせている僕にカレーうどんはヘビーだった。半分くらい食べたところで、ピタっと箸が止まってしまう。
少し休んで店内の写真を撮っていたら、おやじさんから
「そんなの役に立たないよ!」
と叱られた。
カメラを引っ込めたが、
「かあちゃんが今日、病院に行ってんだよ。もしかしたら入院かもしれん。そしたら、もう店はできないから」
と言ってきた。
突然話しかけてきたおやじさん。
この日、おやじさんの奥さんが病院で検査を受けてるという。いつもは厨房に2人で立っているのだ。
「俺も85だ、もう、厳しいよ」
おやじさんが僕に言う。
こういう時、どういう言葉を返したらいいのか。学校や家では教わってこなかったから返答に困っていると、そこから、おやじさんの半生を振り返る話が始まった。
振り返れば波乱万丈、高田うどん店の50年
おやじさんがこの場所に高田うどん店を開いたのは、今からちょうど50年前。おやじさんが35才の時だった。当時は、競馬と競輪が大いに盛り上がっていて、レース開催日には2万人から3万人の人たちが川崎にやって来ていたという。
「だから、ここは関所だったんだ。競馬競輪をやりに行く前にまずここに寄って、終わって負けたらまたここに寄って。あの頃は飯を食う暇もないくらい忙しかった」
うどん店が大盛況だったその頃、高田うどん店は製麺業も営んでいた。うどんとそばだけでなく、ラーメンや焼きそばなど、あらゆる麺をここで作りスーパーマーケットなどに卸していたとのこと。その頃のノウハウが今のうどんの太麺と細麺にも生きているのだろう。
「もしかあちゃんが入院になったら、本当はここも辞めたいよ。でも、年金だけじゃ無理だろ」
というおやじさんに返す言葉も教科書には載っていなかった。
とりあえず僕は、カウンターのうしろに設置されていたベンチに腰掛けて、じっくりとおやじさんの話を聞く体勢になった。
ベンチに座って
じっくりとおやじさんの話を聞く
50年間店を守ってきて、85才になってもなお働かないとやっていけない。
それでも安い価格でうどんを提供し続けるているのは何故だろう?
「消費税3%の頃からずっとこの値段でやってるからな」
消費税3%といったら、竹下内閣の頃じゃないか。来年には10%に上がろうとしているのに、20年以上も同じ値段でやっているのだ。そこにはきっとおやじさんの哲学があるのだろう。
「計算が面倒くさいんだよ。お釣りが分からなくなっちゃうから、ずっと同じ値段」
計算が面倒くさい。
「競馬で負けたお客さんの喜ぶ顔が見たいから」というような台詞が聞けると思っていたら、現実は「計算が面倒くさいから」が答えである。
カレーうどんはどうなった
僕はベンチでおやじさんの話を聞きながら、まだ残っているカレーうどんのことを気にしている。
風邪を引いているし朝も早いし、カレーうどんという選択は明らかに間違えていたのだ。
おやじさんがカウンターに残ったカレーうどんを見た。
「もう、これいらないんだろ? カレーうどんを細麺にしたら不味いからな。下げちゃうよ」
そう言って笑いながら、カレーうどんを下げた。
カレーうどんに細麺はダメ
帰りがけ、おやじさんに「がんばってください」と声をかけようと思ったが、僕の倍くらい生きてる人にむかってそんなことを言うのはおこがましいと感じ、「また来ます」と言った。
でも、多分、ここにもう一度来ることはないと思う。川崎駅は僕の生活圏から大きく外れているし、競馬をやりに来ることもないと思うから。ただ、奥さんの病気がたいしたことがないといいな、と心の中で思っていたのは本当だ。