特集 2014年10月18日

平成元年開催の横浜博覧会で動いていたゴンドラが道路脇に?

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平成元年に横浜博覧会が行われた際に出ていたロープウェイとリニアモーターカーは今でいうどの位置を走っていたのですか?

横浜博で使われていたロープウェイのゴンドラが座間に放置されていたけどなぜ?

はまれぽ.comの読者の方々から、横浜博覧会で運行していたロープウェイにまつわる疑問が複数届いた。

調べてみたところロープウェイはそごうから会場(現在のけいゆう病院)まで運行していたようだ。ゴンドラは閉幕後希望者に引き取られたものもあった。座間には現存しないようだ。調査の様子をレポートします。

(はまれぽ.com 干場 安曇)

(デイリーポータルZへ記事を提供してくれているはまれぽ.comから、過去のヒット記事をご紹介しております!)
はまれぽ.comは横浜のキニナル情報が見つかるwebマガジンです。毎日更新の新着記事ではユーザーさんから投稿されたキニナル疑問を解決。はまれぽが体を張って徹底調査します。

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当初、編集部の手元にやってきたのは「昔々、横浜そごうからロープウェイが出てた」という情報と、座間にそのキャビン(搬器)があるという情報。
投稿に寄せられた画像
投稿に寄せられた画像
なんのことだかわからないまま検索してみると、どうやら横浜博覧会の際の交通手段のひとつだったらしいと判明。察しの良い読者のみなさまならすぐおわかりだったことだろう。

実は過去記事ですでに、「桜木町駅から会場の間は『動く歩道』、横浜駅東口の横浜そごうからは『ゴンドラリフト』、そして、会場と山下公園の間には、山下臨港線を利用して横浜開港当時を思わせるようなディーゼルカーの鉄道が運行していた」
と紹介している。

答えは最初から、分かっていたのである。

ちなみに、投稿にあった「ロープウェイ」は「索道(さくどう)」という空中のロープにぶら下がった搬器で輸送をする交通機関に属されるが、博覧会当時の乗り物は「索道」のなかでも「1本のロープで搬器を支える『ゴンドラ』」に該当するので、「ゴンドラ」と記載させていただく。

改めて、横浜博覧会のゴンドラとは

横浜開港から130年、横浜市制100年という節目の年だった1989(平成元)年に、横浜博覧会は開催された。略称は「YES’89」(Yokohama Exotic Showcase)、テーマは「宇宙と子供たち」。

現在のみなとみらい21地区に作られた会場には期間中(3月25日~10月1日)、約1333万人が訪れた。

その会場へのアクセスの1つが「そごうからのゴンドラ」。
ゴンドラと乗り場の様子(「横浜博覧会公式写真集」横浜博覧会協会編より)
ゴンドラと乗り場の様子(「横浜博覧会公式写真集」横浜博覧会協会編より)
ゴンドラの駅舎が特設された、そごう2階のペデストリアンデッキの現在
ゴンドラの駅舎が特設された、そごう2階のペデストリアンデッキの現在
会場入り口は「ゴンドラゲート」「高島町ゲート」「海のゲート」「桜木町ゲート」の4つで、投稿にあったゴンドラは文字通り、そごう2階からゴンドラゲートの間、約770mを結んでいた。
公式ガイドブックの地図に一部加筆したもの
公式ガイドブックの地図に一部加筆したもの
ちなみに、もう一つのキニナル投稿にある「リニアモーターカー(HSST)」は会場内を移動するための乗り物。
リニアモーターカー(HSST) 公式ガイドブックより
リニアモーターカー(HSST) 公式ガイドブックより
正式な旅客輸送機関として走行したのは世界初であり、会場内の美術館駅(現在の横浜美術館付近)とシーサイドパーク駅(現在の臨港パーク付近)間515mを約2分で走った。
料金は大人600円、子ども300円だった。
ゴンドラとリニアモーターカーの位置をGoogleマップに重ねるとこの辺り<クリックして拡大>
ゴンドラとリニアモーターカーの位置をGoogleマップに重ねるとこの辺り<クリックして拡大>
ゴンドラは旧国鉄ヤードや海の上を通り、現在のけいゆう病院付近までを最高時速18km、42台のキャビン(搬器)12秒間隔で乗客を運んだ。
ゴンドラゲート付近(「横浜博覧会公式写真集」横浜博覧会協会編より)
ゴンドラゲート付近(「横浜博覧会公式写真集」横浜博覧会協会編より)
クリーム地に黒のデザインはカモメをイメージ(「横浜博覧会公式写真集」横浜博覧会協会編より)
クリーム地に黒のデザインはカモメをイメージ(「横浜博覧会公式写真集」横浜博覧会協会編より)
公式ガイドブックより。世界トップ水準のスイス・フォンロール社製だった
公式ガイドブックより。世界トップ水準のスイス・フォンロール社製だった
ゴンドラの所要時間は約2分30秒、料金は大人500円、子ども300円。利用実績は延べ305万1702人(1日平均1万5977人)となり、乗車待ちの行列ができることもあったという。
だが横浜博の閉幕と共にその役目は終わり、姿を消すこととなる。

1989(平成元)年9月30日付けの朝日新聞は、閉幕後のパビリオンなどの解体や観覧車の存続決定を伝える記事の中で、ゴンドラについても「橋脚が立つ高島ヤード地区の開発に伴い閉幕翌日から解体工事が始められる」ことを記している。

ではなぜ、そのゴンドラが座間市に?
この疑問の解決なくして調査完了とするわけにはいかない。とにかく現地で確認してみたい。
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というわけで座間へ

小田急小田原線「座間駅」。横浜駅から約1時間
小田急小田原線「座間駅」。横浜駅から約1時間
投稿によると、キャビンが置かれているのは「レストランふたばがあった所のすぐ近くの道路の脇」。

「レストランふたばがあった所」と言われても土地勘がないのでピンと来ないが、幸いこのレストランの閉店は古い話ではないらしく、インターネット上にまだ店の住所が残っていた。
座間駅から歩くことおよそ20分。
「レストランふたばがあった所」と思われる場所に到着
「レストランふたばがあった所」と思われる場所に到着
レストランらしき建物はなく、南国コテージ風の新築の建物と、更地と、工事車両。だが住所上、ここにかつて「レストランふたば」があったのは間違いない。キャビンはこのすぐ近くにあるはず。

しばらくウロウロしてみたがそれらしきものは見当たらず、通りかかる人や近くの店に尋ねてみたが、一様に「知らない」という答えしか返ってこない。
もう一度写真を見てみる。背景に映っているものが何かヒントにならないか?
もう一度写真を見てみる。背景に映っているものが何かヒントにならないか?
横に映る物置っぽいもの・・・けっこう歩きまわったけど該当しそうなものはなかった。

だが、あきらめかけたその時、「レストランふたばがあった所」に隣接する「立野台コミュニティセンター」で、重要な手がかりを得ることができた。
立野台コミュニティセンター、略称コミセン
立野台コミュニティセンター、略称コミセン
女性職員の千葉さんによると、「コミセンのすぐ横がレストランふたばの裏門だった。ゴンドラはそこに置かれていて、ゴミ入れとして利用されていた。なんでこんなところにあるのかなあとずっと気になっていた」とのこと。

・・・ゴミ入れ?
もう一度写真を見てみる。確かにゴミ入れになっている
もう一度写真を見てみる。確かにゴミ入れになっている
ただ千葉さんも、そこにゴンドラが置かれていた経緯まではわからないそうだ。
さらに、
「お店が閉店したのは2年前くらいかな。その後すぐ解体工事がはじまって、その時ゴンドラもどっかに撤去されちゃったんです」

なんということ。ここにキャビンはないのか。ここまできて・・・。
在りし日のレストランふたば。キャビンはこの裏手にあった(画像提供:遠藤良典)
在りし日のレストランふたば。キャビンはこの裏手にあった(画像提供:遠藤良典)
せめて、キャビンが置かれていた理由と、撤去された後どこに行ったのかだけでも知りたい。今わかるのは、「鍵を握るのが元レストランふたばのオーナー」ということだけ。
直接聞いてみるしかない。

話せば長くなるので経緯は省略するが、どうにかオーナーと連絡がつき、電話で真相をうかがうことができた。

横浜博の夢の跡

レストランふたばを経営していた遠藤良典さんによると、あのキャビンは「友人が抽選で当てた」ものだったのだという。

横浜博閉幕で廃棄処分の対象となったゴンドラのキャビン。だが、記念に欲しいという希望者は抽選に当たればもらえたらしい。運搬費用などは自腹なのでトラックに積んで運んだそうだ。
そういえば住友館のオブジェを引き取った会社の例もあった(過去記事)
そういえば住友館のオブジェを引き取った会社の例もあった(過去記事
だが、遠藤さんの友人はもらったものの置き場所に困り、遠藤さんが譲り受けたそうだ。

「当初は温室にでもしようと思ってたんだけど、ドアも外れてるし、レストランの裏側に置いてゴミステーションにしたんです。問い合わせをいただくこともありましたよ。現存するのは3台しかなくて、そごうのステッカーまでちゃんとついてるのはこれだけだと言われたこともあります」
キャビン5号も、まさかこんなセカンドライフを送るとは思っていなかったろう(提供:遠藤良典)
キャビン5号も、まさかこんなセカンドライフを送るとは思っていなかったろう(提供:遠藤良典)
では、キャビンは今どこに?
「レストラン解体の時に廃棄業者に引き取ってもらったんだよね」

廃棄?

「生ゴミを入れてたもんだから、もうどうしようもなくてね、捨てちゃった」

キャビンを引き取った廃棄業者にも電話でその後のことを聞いてみた。

「そのまま廃棄ですよ。生ゴミを入れてたから、もうどうしようもなくて」

取材を終えて

それは本当にどうしようもなかったのだろう。横浜博閉幕から20年以上を経て、1台のキャビンはその数奇な運命を終えたのだった。
1980年代終わりの約半年間、確かに横浜そごうにはゴンドラがあり、未来への希望や楽しい思い出を乗せていた。今は思い出の中である。

―終わり―
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