屋台の車体重量は約100kg
彼の名は牧野博幸さん(35歳)。この屋台を始めたのは2年前で、雨の日以外は原則として毎日営業するという。屋台の保管場所は住んでいるアパートの脇だ。
仕込みを終えて11時に出発
「いつも8時ぐらいに起きています。仕込みはキャベツ、人参、もやしなどの具材を小さく切ったりして1時間ぐらいですかね」
街を疾走する牧野さん
勢いで「疾走」と書いたが、じつはかなりのゆっくり運転だ。何しろ、屋台の車体重量は約100kg。そのため、営業場所への移動はもっともゆるやかな上り坂を通るコースを選ぶ。
途中で業務スーパーによって買い物。
米の乾麺を使っています
もやしと卵も買い込む
ホームセンターで材料を調達して、総費用9万円
さて、今日の営業場所である「Amp cafe」の前に着いた。昨年5月に向かいの公園前で営業していた時、オーナーから声をかけられたのがきっかけで店の前のスペースを貸してもらえることになったそうだ。
ここ以外でも、曜日によっていくつかの縁のあった場所で営業している。
11:30にオープン
店の屋号は「Adwee Lalawee」。しかし、なぜパッタイなのか。
「旅行が好きなんですが、以前、タイのチャン島に行った際、宿のお母さんが作ってくれたパッタイがめちゃめちゃ美味しかったんですよ」
メニューはパッタイ380円とシンハー400円のみ
牧野さんはそれまで、レストラン、映画館、テレアポ、酒屋など、様々なアルバイトをしてきたが、どれも「何となく飽きて」辞めてしまう。
結婚を機に、「この先どうしようか」「子どもができても世界中を旅行できるような仕事はないだろうか」と考えていると、奥さんから「移動販売なんかいいんじゃない?」というアドバイスが。
前かごに固定したバッテリーがないと後ろにひっくり返る
「そこで思い出したのが、チャン島の宿で食べたパッタイだったんです。すぐに再訪して、作り方を教えてもらって。『Adwee Lalawee』という屋号は、宿の使用人のミャンマー人の子供たちの名前から取りました」
家ではまったく料理をしないという料理人
「三輪自転車はアルバイトをしていた酒屋が昔使っていたものをもらいました。屋台部分は手作りですね」
ホームセンターで材料を調達して作ること2カ月。総費用9万円の力作だ。そんな話を聞いている間にパッタイができあがった。
おお、美味しそうではないか!
引き車の場合は、数種類の営業許可しか下りない
中華鍋に油を引いて卵、鶏肉、人参を炒める。水を加え、スイートチリソース、オイスターソース、酢、シーズニングソースで味付けして、そこへ水で1時間ほど戻した乾麺を投入。最後にキャベツ、もやし、ニラを入れれば完成だ。
トッピングは、砂糖、酢、唐辛子、ナンプラー、ピーナッツ
大盛りは+100円、干しエビは+20円
美味い!
これが本当に美味しいのだ。チャン島の海風が頬を撫でる。パッタイ自体が美味しいのか。あるいは、宿のお母さんのレシピが特別なのか。
そこへ、お客さん第一号が登場。
たまたま通りかかったそうです
「『デイリーポータルZ』というサイトの記事に写真を載せてもいいですか?」と聞くと、「あっ、デイリー読んでますよ」とおっしゃるので、干しエビをプレゼントした。
公園で食べたくなりますよね
「タイって自炊する文化がないから、こういう屋台がたくさん出ているんですよ」と牧野さん。
なお、その場で調理するテイクアウト用の移動販売に関しては保健所の規定があり、車ではなくこうした引き車の場合は、焼きそば、ラーメン、おでんなど数種類の営業許可しか下りないそうだ。
調理が終わると再びきれいに片づける
ちなみに、パッタイを入れる容器には牧野さん直筆の絵が描いてある。
「これは『スラムダンク』の模写ですね。営業中は、けっこう暇なんで」
絵柄はひとつひとつ違う
意外にも客数は1日平均で十数人で、大体20食分ぐらい持ってきて売り切れたらおしまいだという。
「共働きだから何とかなるけど、これだけでは食っていけないですよ。『こういうのやりたいんですよ』と、けっこう声をかけられますが、夏の暑さも冬の寒さも大変だし、あんまりオススメできませんね」
マンガに混じって坂口恭平『幻年時代』、『絢爛たる影絵』高橋治などの渋い本も
上のデザイン事務所で働くお二人
近所に住む常連ご夫婦
酒屋バイト時代の同僚
よく見ていると、皆さん、単に買うだけではなく、牧野さんとの会話を楽しんでいる。
「やっぱり、屋台だとお客さんとの距離が近いのがいいですね。こういう人とのつながりや情みたいなものはタイを思い出します」
厨房の一角には大好きだという談志の写真
かくして本日分のパッタイは完売した。11時半から夕方6時ぐらいまで営業して、パッタイ17食(うち大盛り3食、干しエビ1)、シンハー2本。売り上げは7580円だった。
「原価が100円ちょっとなので、利益としては5000円ぐらい。まあ大体こんなもんです」
「娘がいつもありがとうございます」
屋台で営業していると「ゆくゆくは店を出すの?」と聞かれることも多いそうだが、そのつもりはないという。人との出会い、出店場所との縁、そうしたものを楽しみながら毎日営業している様子は、まるで旅人のようだなと思った。
最後にいい話を聞いた。
「公園で営業している時、たまに買ってくれる中学生ぐらいの女の子がいて。彼女は卵と小麦のアレルギーなんですが、パッタイは米の麺だし、卵は抜いてあげてました。そうしたら、ある時女性が挨拶に来て『娘がいつもありがとうございます』って。あれは嬉しかったですね」