ベタベタ紀行、開始
まず、外出時に一番触れる機会の多い、地面。お気に入りのクツでベタベタしたものを踏んだときの、あの不快感。それを避けよう。さて、太陽光で温められているが、意外にサラサラしている。むしろ、汗ばんでいる自分の手がベタベタだ。さ、次へ。
見た目に惑わされる
この光沢。期待大。
とあるビルの高級感溢れる壁。見た目のつるつるぺたぺた感とは裏腹に、サラリと撫でることができた。しかし、少し指に引っかかる感じがある。
例えるなら、クラス1の美女が言い寄ってきているのに、幼馴染のちょっと垢抜けない子と付き合った時、たまに「美女にしとけばなあ」と思うくらいの頻度で、引っかかる。
美女も幼馴染もいた事が無いし、壁はベタベタしていない。
自然物ならベタベタしてるはずだ
苔。
苔=日陰=湿気=ベタベタである。
少年よ、大志を抱け。ある人が言った。
苔よ、ベタベタであれ。ぼくは思った。
ん?意外とサラサラだ…
乾燥している樹皮だ。苔の存在感は無い。しかし、樹皮はウロコのようになっているので、ゴワゴワした手触りだ。例えるなら、祖父母の家でお風呂に入った後に渡される、数十前から使われているバスタオルを天日に干したもののような、そんなゴワゴワ感がある。
理想と現実の狭間で
お、出たなマンホール。
これはベタベタしてるはずだ。だって、下水道のフタだもん!
この質感。その下に広がる無限の汚さ。大きな期待に胸を膨らませ、触ってみる。
サラサラ~
今までで一番サラサラしている。思わず「はっ?」と声が出た。このサラサラ感を例えるなら、絹のような柔肌を持つ美少女が、お風呂上りにサラサラパウダー付きの制汗シートでその肌を優しく拭いたところに、ぼくがゆっくりと指を這わした時のような、そんなサラサラ感だ。ここまでサラサラだといっそすがすがしい。そして、ぼくの妄想もたいがいだ。そんな経験は無いし、これからもきっと無い。
絶望、そして怒り
さて、今のところ、「これはベタベタしているハズだ」という、21年生きてきた経験から来る勘を完膚なきまでに叩きのめされている。肝が小さいクセにプライドの高いぼくは、ベタベタが見つけられない不安と焦りで押しつぶされそうになっている。
サラサラしているモノが憎い。
世の中にはサラサラしているものが溢れ過ぎている。資本主義の発展と共に大量生産、大量消費時代が到来したことは周知の事実だが、サラサラ至上主義の時代が到来したのだ。ぼくは断固反対していく。サラサラ主義者のせいで、ぼくは美少女の柔肌に指を這わせることもできないし、美女と幼馴染を天秤にかけることもできない。
出会い
そう思うようになった頃に、やってきたのだ。
ベタベタとのファーストコンタクトが。
ところで、公衆電話ってレアですよね。
どうせサラサラしているんだろうな、クソが。
そう思いながら受話器を手に取った瞬間、電流走る。
ベタベタしている・・・!
ベタベタしているぞ!
図らずも顔がほころぶ。
歓喜、そして気づき
嬉しい!ベタベタしてる!
ぼくは、ベタついた受話器を握り締め、撫で回し、頬ずりをした。
何故こんなにも、愛しい程にベタベタしているのか?
…
それはきっと、たくさんの人々が使い、ロクに掃除もされず、垢や汚れや湿気でこうなったのだ。気持ち悪い!なんてものを触っていたのだろう。見知らぬ人の耳に頬ずりしていたようなものだ。
結論
今日は、皆さんにベタベタを避けて欲しくて、この記事を書き始めた。
しかし、ベタベタの希少性に惑わされ、一瞬だがベタベタを愛してしまった。
皆さんに向けて、声を大にして言いたい。
ベタベタしたものって、汚い。それは当たり前。
しかし、気がついたことがある。掃除してくれている人や、ゴミを拾ってくれる人。
彼らや皆さんのサラサラ主義が、綺麗な町を作っているのだ。
それを、忘れてはいけないし、綺麗な町は、気持ちがいいのだから。