若きデルマ使い
活版印刷とは、鉛や樹脂製の「活字」を組み合わせた版(活版)を用いる印刷技法。日本では昭和中期まで印刷文化の中心に君臨していたが、いつしかオフセット印刷にとって代わられた。今や絶滅寸前ともいわれている。
そんな前時代の印刷技法を用い、オーダーメイドの名刺制作などを行っているのが島村鈴香さん。デザインから活版印刷機を用いた印刷まで、ひとりで請け負うという。
笑顔が素敵
こちらは島村さんのデザイン事務所兼印刷工場。もともと出版社の倉庫だったスペースの一角を借りている
そしてこちらが島村さんの相棒。全自動活版印刷機「デルマックス75」
数十年前に生産されたものだという「デルマックス75」。黒光りする重厚なボディは蒸気機関車を思わせる。ローラーやパーツは剥き出しになっていて、上からのぞくと給紙やプレスの様子が丸見え。一生懸命ガッシャンガッシャン動く姿は、なんだか健気でかわいらしい。
特に、吸盤みたいなもので紙を一枚ずつ持ち上げる姿がかわいい。ずっと見ていられる。
一枚ずつ紙を
ヒョイっと持ち上げる。その挙動に思わず萌える
印刷中は目が離せない
いかにも年季の入った見た目とは裏腹に、軽快でなめらかな動きだ。
「でも、機械のセッティングの仕方や微妙な調整の違いによってはうまく給紙されなかったり、印刷がずれちゃったりするので、稼働中は目が離せないんですよね」
そう語る島村さんは、しかしどこか嬉しそうだ。そんな手がかかる感じもまた魅力なのかもしれない。
デルマックスを見守る島村さん
活版印刷との出合い
しかし、そもそもなぜ活版印刷なのか? その出合いから聞いてみた。
「祖母の兄弟が活版印刷をやっていたので存在自体は昔から知っていたんですけど、本格的に興味を持ったのは5年くらい前。当時、ニューヨークでレタープレスがブームになっていて、若いデザイナーが活版印刷でカードを作ったりしていました。その作品がとてもカラフルでかわいくて、それまで認識していた活版印刷とはまるで違うイメージだったんです。ニューヨークのレタープレスって極端に凹みが強くて、その独特の質感にも惹かれましたね。それからネットで調べて、まずは手動の活版印刷機を購入しました」
こちらが5年前に購入した手動の活版印刷機
――活版印刷機って普通に売ってるものなんですか?
「専門の業者があるんですよ。日本でも若い人たちが活版印刷に興味を持ち始めて需要も増えているみたいです。でもやっぱり、修理とかメンテナンスをお願いできる方がなかなか見つからなくて、それは苦労しましたね。この機械も、買った時は細かい調整とかができていなかったので、修理業者さんを探して実際に使えるようになるまで1年くらいかかりました。動かし方も最初はよく分からなくて。なんせそれまでミシンレベルの機械しか扱ったことなかったので。昔からやっている職人の方に教えてもらいながら何とか覚えました」
専門用語だらけの説明書は難解すぎて理解できなかったそう
――ちなみにいくらくらいするんですか?
「機械、メンテナンス、運搬代など込みで20万円はいかないくらいですね」
――意外と安いですね
「動くには動くけど、パーツがいくつか足りていなかったりとか、完全な品ではなかったみたい。だから安かったんです」
それにしたって安い。個人的にもちょっとだけ購入を検討してみたくなる金額である。デルマックスを愛でながら呑む酒はうまそうだ。
「でも運ぶのたいへんですよ。重さが300kgくらいあるらしいので。普通の家だと床が抜けちゃうかも」
その重量たるや、全盛期の小錦くらい。つまりすごい重い
活版印刷職人としての目覚め
活版印刷にはオフセット印刷などにはない独特のかすれやにじみがあり、それが独特の味わいを醸し出す。やはりそんな風合いが一番の魅力なのだろうか?
「でも、滲みやかすれが出てしまうのは技術が未熟な証拠なんですよ。活版印刷特有のプレスによる凹みも、昔ながらの職人さんにしてみたら活字が潰れてしまうのでNGなんです。私もそういうのが面白いなと思って始めたんですけど、最近は綺麗に刷る技術を磨きたいとも思っています。それにはもっともっと訓練が必要。本当に職人の世界なんですよね」
滲みやかすれは偶然の産物。狙って出すのは難しいそうだ
樹脂版を使えば、文字だけでなく様々なデザインにも対応できる
樹脂版。これを紙にプレスして印刷する
――活字を使うものだけじゃないんですね
「私の場合は樹脂版を使うことのほうが多いですね。パソコンでデザインしたデータを渡せば、業者の方が1日で版を作ってくれます。だから基本的にどんなデザインでも対応可能です。もちろん活字を使うこともありますよ。その場合は活字屋さんからその都度、活字を購入してます」
――活字屋っていう商売があるんですか
「昔からやっていらっしゃる小さな活字屋さんが今も残っているんですよ。やっぱり活字にしか出せない絶対的な美しさや味わいってあるので、需要はなくならないんだと思います」
こちらが活字。一文字ずつ組み合わせて版を作る
ちなみに一度作った活字は、基本的に繰り返し使いまわす。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットに加え、書体や大きさの違う活字のストックが増えていくと、それだけで床が抜けるほどの重量になる。活版印刷とはとかく床が抜けがちなものなのかもしれない。
ちなみにインクの調合も自ら行う
左側の「インクつぼ」に流し込んだインクをローラーが捲き取る。この動きもかわいい
――これからも活版印刷の伝道師として頑張ってください
「いやいや、わたし別に伝道師とかじゃないですよ。文化を残したいとか、そういう目的があるわけじゃなくて、やりたいデザインを表現するひとつの手段として使っているだけなんです。もちろんオフセットの方が綺麗に出るデザインもありますし、うまく使い分けていけたらいいかなと思います。あとは、かっこいい活字で馬鹿みたいな文字とかを印刷するとか、そういうくだらないこともぜひやってみたいですね」
じゃあ次来る時までに、うんこって活字つくっといてください。
活版の火は消えない
島村さんに限らず、活版印刷機を使ったアートワークを行う若者は増えているという。古くは1000年以上前から存在していたといわれる伝統の印刷技法。その文化の火は今後も絶えることはなさそうだ。
床が丈夫な家にお住まいの方は、ぜひ購入を検討してみてください。
【取材協力】
SUNDAYSEASIDE
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