ミッション1:路上ライブでCDを買う
まず新宿駅南口にやってきた。ここにはミュージシャンが路上に並んでいて、演奏したり歌を歌ったりしている。
ただ聴くだけのお客さんがほとんどだろうが、それだと関与している感じが低い。そこでミッションとして、誰かのCDを買うことにした。
お金を払うなら一番応援したい人がいい。推しメンを決めよう。
たくさんいるので、中から選ぶことはできそう
応援したい人を決めよう
応援したい人を決めよう 新宿駅南口には6,7組のミュージシャンがだいたい5m間隔で場所を確保していた。「組」と行ってもバンドでやっている人たちと、1人でやってる人たちが半々くらいいる。
ひと通り見て回ったが、応援するなら1人で頑張っている人だろう。と考えながら物色していると、にぎやかに歌っているバンドの横で、じっと順番を待っている女性歌手がいた。30歳過ぎくらいの小柄の女性だ。
今演奏しているバンドがかなり派手なので、すぐ横で1人でこれから歌い始めようとする様子は心細げでもある。ものすごくストレッチなどして順番を待っている。なんとなく応援したい気分になったので、彼女の歌を聴いてみることに決めた。
バンドの横ですごいストレッチしていた。がんばれ!
まだ歌ってない人の近づくのもおかしい。まずは彼女とは歩道の端と端になるように、距離にして3,4mくらいの位置にポジションをとった。彼女が歌い始めるのを待つ。
歌い始めると同時に消防車が来る
隣のバンドの演奏が終了し、彼女の歌が始まった。アコースティックギターを爪弾いて歌い始める。
姿を見ただけで想像していた彼女の歌はしっとりと落ち着いた感じなのか思っていたが、いざ聴いてみると前向きな歌詞にパンチの効いた歌声だった。
見かけによらないなあ……と思っていたら、サイレンを鳴らした真っ赤な車がやってきて、彼女が歌うすぐ後ろで停止した。
イカれたメンバーを紹介するぜ! 消防車!
一瞬だけ気にした様子だが、彼女は勢いを落とすことなくそのまま歌い続けた。僕は「がんばれ! 消防車なんかに負けるな!」と心のなかでエールを贈った。
晴れてオーディエンス
このまま遠くで見つめてるだけではいけない。近づいていくことにした。これで僕も観客だ。路上ライブの客なんて、新宿の風景でしかないと思っていたが、晴れて僕も向こう側に行くことができたのだ!
ちなみに、観客は僕を含めて4人。思いの外立ち止まる人もいるんだな……と思ったが、一人は消防車の写真を撮っている人だった。
たしかに消防車は僕も気になり続けた
そしてCDを買う
3曲歌い終えると、彼女は近いうちにやるライブのフライヤーを観客たちに配った。そこで「今日はどうして来たんですか?」「なんとなく……」というような軽い会話もした。(あまり会話になってない気もする。)
しかし会話は通過点であってゴールではない。僕は意を決して「CDってありますか?」と尋ねた。
今日歌った歌はCDに1曲しか入っていないらしいが、僕がそのCDを買う旨を伝えると、彼女は「ありがとうございます!」とぱっと華やいだ笑みを見せた。そしてタワーレコードのポリ袋をガサガサいわせながらCDを出した。
あっさりと購入し、これでミッションは達成だ。思ったより普通のやりとりをしていることに気づく。あたりまえか。
今まで路上ライブを「自分には関係ないもの」として過剰に処理しすぎていたのかもしれない。気にかかったらもうちょっと素直に立ち止まってみるのもいいかもしれない。
自分で買ったんだろう。ちょっと切ない感じだった
ミッション2:路上でやってる占い
続いて、路上で行われている占いに行ってみることに挑戦したい。
新宿駅周辺の道端で占いをしている占い師はよく見たことがある。ただ、お客がいるのを見たことがない。多くの人が、あれを新宿の「背景」として捉えているのではないだろうか。
さて、小田急百貨店のあたり、にいつも路上でやっている占いが出没していたはずだ。すると記憶にあった通りの場所で、占い師が小さな机とイスを出して座っていた。
いつもはもっとたくさん占い師がいたような印象だったが、この日はおばあちゃんとおじいちゃんの二人が、5mくらい間隔をあけて客を待っていた。
選択が迫られる……!
どっちにすればいいのか
ばあちゃんとじいちゃん……。どちらにするべきか。難問である。どちらも名前を名乗っているわけではないので検索しても情報が出てこない。
少しでも情報を得たい。よく見るとおばあちゃんの行灯には「占い」、おじいちゃんの行灯には「開運」と書かれている。ここに彼らの方針の違いを見ることができる。
シミュレーションしてみよう。
開運じいちゃんの方に行った場合、占いばあちゃんはそのことを占えている可能性はある。
しかし、占いばあちゃんの方に行った場合、開運じいちゃんは自らの開運ができていない(客が一人減る)ので、看板に偽りありになってしまうではないか。
これは開運じいちゃんは信用出来ないということではないだろうか。僕は占いばあちゃんの方に見てもらうことにした。
開運じいちゃんはあてにならないのでは?
占いの暴力による受難
「お願いします」と声をかけると、小さな折りたたみ椅子を差し出された。座ろうとすると「そこは通行人に蹴飛ばされるから、こっち」と言われ、おばあちゃんと膝をつき交わすような形になった。
おばあちゃんは、遠くから見るとおばあちゃんだったが、近くで見てもおばあちゃんだった。唇には淡いピンクの口紅が引いてある。
背中にたくさんの通行人を感じながら、準備を整える。おばあちゃんは手相、姓名、生年月日を使って占ってくれるらしい。
おばあちゃんは僕を見るなり「あなた、ガンコでしょ」と言った。まだ、名前も生年月日も伝えていないのに、いきなりの占いスタートだ。僕は面食らってしまった。こんなの占いの暴力ではないのか。
いきなり言われた……
当然、僕にだってガンコな面もあれば、まったくこだわらない面もある。この件については判断保留としておこう。いよいよ本格的な占いが始まる。
まずは手相占い
まずは手相占いだ。左手の手相を見せた。1分か2分くらいの間に、すごい勢いでいろいろなことを言われた。
「感性が豊かなんだけど、その分気苦労が多いの。頭がいいけど、周りの人を尊敬できないでしょ。頭でっかちで、ストレスが貯まる。そして飽きっぽくて、めんどくさがりね」
一つ一つのフレーズに思い当たる節はなくはないが、一気に言われると、当たってるんだか当たってないんだかよくわからない。意識は軽く遠のき、僕はただひたすら「はい……はい……」と繰り返すしか無かった。
指の関節のシワについても、なにか言われたが覚えていない
仕事のことを占ってもらう
ひと通り手相を見てもらった後に、ようやく「聞きたいことある?」と本題に入ることができた。僕が聞きたいのは仕事のことだ。昨年会社をクビになってこのまま無職(!)みたいな生活をしているのは、明らかに良くない。不安すぎて毎日腰痛が絶えないので、この件に関しては本気で占ってもらいたい。
僕が生年月日を伝えると、おばあちゃんは何やらノートのようなものを取り出して表と照らしあわせているようだ。
「あなた学校の先生になりたいと思ってたでしょ」
驚いた。一度もそんなこと考えたこと無かったからだ。
なりたいと思ったこと、ない!
適当なこと言ってる疑惑
他にもいろいろ占ってもらったのだが、出だしの発言のせいで、全ていい加減なことを言っているような気がしてしまう。そのせいで内容が頭に入ってこなくて、いまいち覚えてない。通行人が「(占いを)やってる人初めて見た」と言っているのが聞こえたのは覚えている。
さっきまでの僕なら同じ事を言っていたかもしれない
仕事についての占いは、最終的に「何か資格とって、専門職として働くといいよ」とか「あとは試験を受けて、あのぉ……、公務員とか」などと言われた。親のアドバイスか。僕は一瞬真顔になってしまった。
その他にも、自分がコミュニケーションが苦手で喋れないことを相談してみると「あなたはね、焦りすぎなの!」と言われ、また真顔に。果たして焦ると無口になるのか。
説明を聞いてもどうして僕が喋れないのかはよくわからず、解決策も見えて来なかった。残念だ。
まわりの人のために行動すると、メガネが取れる
ひと通り占ってもらってもう終わりかなという空気が漂ったとき、最後におばあちゃんがアドバイスをくれた。「まあ、周りの人の意見を素直に聞きなさい。そしたらメガネも取れるから」とのこと。え、なんだって?
言葉の真意を聞くと、「メガネをかけている=視界がワクの中にある=自分の考えに固執する」ということらしい。つまり、「人の言うことを聞き自分の考えをしなやかに変化させることが出来れば、自然と視力は回復してメガネも必要なくなる」そうだ。
ガンコじゃなくなれば、視力も回復するらしい
はじめに「あなた、ガンコでしょ」と言われたのは僕がメガネをかけているからだったのだ……。それはもう占いじゃなくて「夜に口笛を吹くと蛇が来る」みたいな話じゃないのか。
もはや説教か
おばあちゃんのアドバイスをきちんと受け止めることはどうもできないので、僕のメガネが取れる日は遠いかもしれない。
僕は説教の代金3000円を支払いその場を立ち去った。 ぼんやりと、開運じいちゃんの方にお願いしたらなんと言われたんだろうかと思う。その選択が既に占いだったのかもしれない。
風景はあなたを見ている
最後の最後でがっくり来たが、なかなかおもしろい体験をすることができた。占いの最中に通行人が「ここで占いしてるひと初めて見た!」と言っていたことは忘れられない。
いつのまにか僕自身も風景の仲間入りしていたし、風景の側から行き交う人々を感じることができた。
「あなたが風景を見つめるとき、風景もまたあなたのことを見つめている」
今回はこのニーチェをパクった言葉で終わりたい。