死ぬまでに一度は見ておきたい新宿中央公園の絶景
季節は梅雨のど真ん中だが、この日は見事なくらいに晴れた。絶景スポットは青空の似合う場所が多い。今日はまさに絶景日和である。
コーディネイターのミスター林から指定された待ち合わせ場所は新宿西口。高層ビルが立ち並ぶエリアだ。
新宿西口で待ち合わせ
私は大学時代に新宿西口のクラブでアルバイトをしていた。平坦に発音するクラブじゃなくて、ホステスさんが接客する方のクラブだ。そこのホールでお酒を運んだりお客さんからお酒を奢ってもらったりしてお給料をいただいていた。ホステスさんが右手でLの字を作って上に上げたら「グラスをください」という意味で、そのL字を小刻みに振ったら「ウーロン茶ください」という意味だ。あのお店以外では全く役に立たない知識である。アルバイトを辞めて20年以上経つのに未だに忘れられない。多分、死ぬまで覚えているのだと思う。
そういう訳で、私にとって新宿は良く知った場所である。「死ぬまでに一度は訪れたい」場所ではない。
そんな新宿西口に絶景スポットが?
首を傾げる私を連れて、ミスター林が向かったのは新宿中央公園であった。
新宿ナイアガラの滝
これが絶景なのか?
新宿中央公園に着くと、まず新宿ナイアガラの滝が目に入った。ある程度の高さから落ちて来る水は涼しげで、確かに都会のオアシス的な風景ではある。しかし、お世辞にも「死ぬまでに一度は見ておきたい絶景」とは言えない。
これが、絶景?
納得のいかない私を尻目に、ミスター林がナイヤガラの滝に近づいていく。水際のギリギリまで身を乗り出してiPhoneで滝の様子を覗く。
彼は何をやっているのだ?
iPhoneで滝を撮影するミスター林
画面を私に見せるミスター林
マスクの視界だと良く見えない
こうすれば見える
ミスター林のiPhoneには、驚くべき光景が映し出されていた。
死ぬまでに一度は見ておきたい絶景(新宿のナイヤガラ)
まるでベネズエラのエンジェルフォールのような滝が、ミスター林のiPhoneの中におさまっている。
これはどういうことなのか?
ミスター林がナイヤガラに魔法をかけた訳ではない。アプリの力だ。iPhoneのDynamicLightというアプリによって、新宿のナイヤガラの滝がドラマティクに見えているのだ。
滝全体の風景も、
普段のナイヤガラの滝
ドラマティックな新宿のナイヤガラ
このようにドラマティックな風景に一変する。
オッケー。
ここでようやくミスター林の意図を理解した。
「アプリによって目の前の風景をドラマティックに変換して絶景を楽しむ散歩」
ということなのだろう。 今までにない、リアルとバーチャルの行き来が楽しめそうである。
ドラマティック変換で日常が輝く
趣旨が分かったところで、お腹が空いた。 フランクフルトを食べることにしよう。
フランクフルト 200円
ウインナーには目がないミスター林が、フランクフルトにiPhoneを向けた。
ウインナーには目がないミスター林が、フランクフルトにiPhoneを向けた。
まさか、フランクフルトをドラマティック変換しようというのか?
ドラマティック変換されたフランクフルト
「このドラマティック変換はいかがなものでしょう?」
と、正直な気持ちをミスター林に伝えた。ドラマティック変換されたフランクフルトは、なんだかおどろおどろしい。とても手に取って食べる気になれない。 ミスター林もその意見には同感だったようで、アプリの中から別のエフェクトを選択して摘要した。
ドラマティック!
なんということだろう。
あんなにおどろおどろしかったフランクフルトが、一瞬にしてドラマティックに蘇った。ミスター林はドラマティックなフランクフルトに食欲を抑えることが出来なくなり、一気に口の中に運んだ。
そんなドラマティック・フランクフルトを食べるミスター林をドラマティックに変換すると、
常に風の音に耳を傾ける男、ドラマティック・林
ドラマティック前
発展するドバイで働くビジネスマン
人に慣れた猫にカメラを向ける
猫を見つけてカメラを向けるという日常的な光景にドラマティック変換をかけると、
運命の出会い
濃厚な空間の中で猫と私が対峙する様子がクッキリと浮かび上がってくる。変換前の写真にはない緊張感。私と猫との間で交わされる魂の会話。
現実の猫
もちろんこれはアプリを通しての世界なので、猫にとってドラマティックなことは何一つとして起きていない。
ひどく冷めた視線
これ以上近づいたら噛みつく、もしくは引っ掻くぞ。 そんな猫の気迫を感じてそっと離れた。
新宿中央公園がメルヘンの森に
猫に冷たくされたところで、今回の目的に戻ろう。
死ぬまでに一度は見たいそこら辺の絶景を求めて、新宿中央公園の森の中に入っていく。
ドラマティック林の力を借りて
これから絶景に向かいます
まずは手始めに、ミスター林が森の入口にドラマティック変換をかけた。
ドラマティック変換前
ドラマティック変換後
風景全体のコントラストが強くなり、光りと陰影が絶妙なバランスで共存している。区立の新宿中央公園が国立公園のような趣を醸し出した。
と言ったら、言い過ぎだろうか?
いや、その場でiPhoneの画面を見るとそれくらいの気持ちになるから不思議だ。
ここから私とドラマティック林の2人は、中世ヨーロッパのメルヘンの森に迷い込むこととなる。
中世ヨーロッパの円形広場
メルヘンの森に木漏れ日が差し込む
小高い丘の上には古代ギリシャ様式の宮殿がそびえる
悠久の歴史を刻んできた石造りの階段
ドラマ林によって次々と繰り出されて来るメルヘンの世界。 ここが新宿中央公園であることを忘れ、私たちは年甲斐もなくはしゃいだ。ドラマ林は石造りの階段にドラマティック変換をかけながら、
「この階段を登ると天使に会えるかもしれませんね」
と言って恥ずかしそうに笑ったが、私も全く同意見だった。この森には天使が住んでいる。そして、この階段を上った岡の上では、天使たちが魔法の粉を振りまきながら楽しそうに談笑しているのだ。
岡の上の現実
しかし、実際に岡の上にいたのは学生さんが2人。課題のレポート作りに勤しんでいた。
さらに、岡の上での禁止事項を伝える看板も立っている。
書き換えられた痕跡のある看板
都合3回ほど語尾が書き換えられているのが分かる。「禁止し」の後に歴代どのような語尾が並んでいたのだろうか?
などと考えているうちに、私たちは現実社会に引き戻された。
それはまるで、狐に化かされて山の中で一晩の宴を楽しんだ旅人のようでもあった。私たちが化かされていたのは、狐ではなくアプリ。アプリの力がなくなると、そこに広がるのは今まで通りの現実だ。ご馳走だと思って口にしていたものが、実は泥団子だったかのような絶望。
「こんなの違う!」
ドラマ林が看板のある風景にドラマティック変換をかけた。
禁止事項がメルヘンチックに
ドラマ林の変換によって、新宿区からの禁止事項が天使からのお願いに変わった。
どちらが虚像なのか
アプリを通してドラマティックな風景を楽しんでいる。
そのことは、ド・林も私も承知済みだった。目の前に広がる風景が現実で、アプリを通した世界が虚像。もちろん分かっている。
しかし、どうだろう? 本当にそれが正解なのか?
現実だと思って見ている世界は、ほとんどが恣意的な思い込みなのではないか? ドラマティック変換をかけた風景が現実で、今まで現実だと思っていた世界が虚像。そういうことがあってもいい。
ドラマティックな新宿西口のビル群
こちら側の世界には
ドラマティックはもう1人の私が
ドラマティックな生活を送っている
私とド・林はすっかりドラマティック変換の世界に入り込んでいた。
多分、暑さのせいだったのだと思う。
新宿中央公園をアプリでドラマティックに変換しながら歩いた。それは、想像以上にドラマティックでエキサイティングな散歩であった。
この機能をグーグルグラスに搭載したらどうだろう。ドラマティックモードをオンにしてグーグルグラスから世界を覗くと、そこには劇的になった日常が広がっている。楽しそうなので、是非検討していただければと思います。
ちょっと疲れるかもしれないけど。
上から見るとかなりの傾斜なのに
下に降りるとそうでもない。というこの建物はアプリを通さなくてもドラマティックだった。