「これ、全然シソじゃないじゃん!!」
左:バジル、右:青じそ
これが今回問題となる、二つの香草だ。
まず見た目が全然違う。
同じシソ科とか、理屈臭いことは抜きにして、どう見ても代わりが務まるとは思えない。
風呂釜とバスコダガマぐらいに違う。
初めて生のバジルを嗅いだ時の記憶は忘れない。
料理レシピの「代わりになる」を信じていたので、シソっぽいのだと思っていた。しかし実物のバジルからは地中海の港街のような洒落た香りがし、僕の幻想は打ち砕かれた。
以来、ピザに青じそを乗せたりすることは無く、今日まで生きてきたのだが、もしかして、意外と代わりになるんじゃないか。
今日はそんな過去の自分が築いた壁を乗り越えるべく、青じそをバジルの代わりに使ってみた。
バジルの葉の水をよく吸い取ります(青じそで代用)
メニューは「ジェノベーゼ・パスタ」
ジェノベーゼとは、いわゆるバジルソースのパスタである。
製法は簡単。バジルの葉と、粉チーズ・松の実・にんにくを混ぜて擦りつぶすだけだ。毎年収穫したバジルの葉で自作している手慣れたメニューである。
まずはバジルの葉をすりつぶす。(青じそで代用)
ここで早くも、スルーできないほどの青臭さが立ちのぼる。
バジルで作るときにはここで、ジェノバの町を想わせる爽やかな香りに包まれるのだが、さすがに違う。
これは、ガキの頃に野原で草を引きちぎったときの匂いだ。
これはヤバいか?と思いながらも次の工程へ進む。
松の実、チーズ、にんにく、オリーブオイルを加えて混ぜ、
完成!! バジルソース!!(青じそで代用)
いつも作るバジルペーストに比べて、何だか味噌のようにもっさりねっとりしている。なめてみると青臭いだけでなく苦い。明らかにバジルペーストから逸脱した濃緑色の何かができた。
平気だろうか。とりあえずこれでパスタを作ってみよう。
左:ジェノベーゼ(普通) 右:ジェノベーゼ(青じそ)
見ため的には意外と遜色無いが、味の方はどうだろうか。
ん……、シソ……
シソだ。明瞭にシソだ。
確かにおいしい。パスタとしてはおいしい。意外なほどに苦みも気にならず、味のバランスもいい。
でも香りの元は、まごうこと無きあのギザギザ葉っぱである。
同じ港町でも、ジェノバじゃなくて銚子、戻りガツオを満載して大漁旗を立てた船が似合う香りだ。
結論
パスタとしてはおいしい。でもシソ。
代替度 ★★★☆☆
ここで発想を転換しよう。
青じそをバジルの代わりに使うのではなく、バジルを青じその代わりに使う。
イタリアでカツオが食べたくなったらどうする
580円のカツオ刺身、二人前。
見なれたカツオの刺身である。
何の迷いも無く、青じその上に乗っている。
しかしここで僕は確かめたい。
もしも皆さんがイタリア支社に転勤になって、戻りガツオの刺身を食べたくなったとき、青じそが手に入る確率は極めて低い。
そんなとき、バジルで代用することは避けがたい選択肢だと思うのだ。
つまりこういうことだ。
現地に行ってから悩み、刺身を手にとっておろおろする前に、僕が確かめておきたい。バジルは青じその代わりになるのか。
ジェノバで食べたい、カツオ刺身定食。
ちなみにこのご飯も、ごまシソご飯に見せかけた、ごまバジルご飯である。
シソじゃなくて、細切りバジル乗せてます。
見た目では絶対に気付かれない、完璧な擬態ぶりだ。嗅いでみるとごはんからバジルの甘い香りが立ちのぼり、期待できる一品である。
さっそく食べてみよう
“Ritorni... è limitato se io vivo su un basilico!”
(戻りガツオはバジルで食うに限る!、を機械翻訳)
うまい。
戻りガツオがうまい。
脂がこってりと乗っていて、漬けたしょうゆにぎっとりと脂が浮かぶぐらいだ。酒でもご飯でも、何にでも合う。うまい。
ただ、これでバジルが無かったらもっとうまかったのに
、と思う。
しかし、カツオはまだマシな方である。
ハーブ多めのカルパッチョと思えば我慢できる範囲だ。
もう一つの、ごまバジルご飯における方向性の違いっぷりは、解散間際のユニコーンもびっくりのレベルだった。
ま、まずっ!! 雑草ごはんじゃん!!
炊きたてのご飯の上に、その辺の木の葉っぱを散らして食ってるかのような味である。ジェノベーゼのパスタを「青臭くてキライ」と言う人がいるが、その気持ちが理解できた。これはやばい。
結論
バジルは調理法を誤ると、
脳が「雑草を食べた」
と認識する。
(このあと気分悪くなって、
お腹壊した)
代替度 ★☆☆☆☆
さて、代替食材としてもう一つ気になるこれに行ってみよう。
キュウリはズッキーニの代わりになるのか。
そもそも種類が違う両者
ズッキーニ(無い時はきゅうりで代用)
上のような記述も何度か本で見かけたことがあるが、これこそ本当に違うだろう! と思う。
聞くに、ズッキーニはカボチャの仲間らしい。
なのに見た目が似てるだけできゅうりの代わりをさせるなんて、ワンタンメンの中に八ッ橋入れるみたいなもので、これもやったことが無いのだが、今日は思い切ってやってみたい。
ズッキーニだ、これはズッキーニだと念じながらきゅうりを手に取る。
獲れたてのズッキーニを厚身に切る。(きゅうりで代用)
オリーブオイルににんにくで香りをつけ、
ズッキーニを焼きます。(きゅうりで代用)
ズッキーニとベーコンのソテー、完成。(きゅうりで代用)
思ったよりもズッキーニ感がある。
きゅうりに焦げ目をつけたことなど無かったので意外だったが、焦げ目の着き具合がズッキーニに激似である。
味はどうだろう。
あつっ。
うまい、思ったよりもうまい!
そしてズッキーニに近い!!
食べた瞬間はほぼ確信的にズッキーニである。
そして噛んで行くうちに、「ズッキーニ……?」となり、最後にはきゅうり独自の酸味が出て「Notズッキーニ!、Butきゅうり!」となるが、途中までほぼズッキーニだ。
ズッキーニと認定して問題は無いだろう。
結論
ストレートと思わせて
バッターの手前で
変化する変化球のように、
最後まで
きゅうりと分からない。
代替度 ★★★★☆
さてということは、ズッキーニをきゅうりの代わりに用いても問題は無いだろうか。
ズッキーニの中のきゅうり性はどれだけか
僕が南仏に旅行に行き、無性にきゅうりを食べたくなったらどうしよう。答えは明白だ、ズッキーニを食べればいい。
(このパターン、くどいですね)
「僕はきゅうりじゃないぞ!!カボチャだぞ!」
そんなズッキーニのアイデンティティは無視である。日本人の手にかかればどちらも、細くて長い緑の野菜だ。
ズッキーニの叫びも空しく、一刀両断にする。
野菜スティック的に、縦長方向へ切断。
あきらめろ、もうお前はきゅうりなんだよ。ズッキーニに引導を渡し、巻きやすい太さへと細長くカットする。
ほどよく寿司飯も出来上がった。
最後の仕上げである。ズッキーニを海苔と寿司飯の中央に放り込んでぐるぐる巻きにした。
青じそも一緒にまぶして巻く。(バジルで代用)
南仏風・シソかっぱ巻き、完成。(ズッキーニとバジルで代用)
細切りバジル、再登場。
さっきの余ったバジルの細切りも活用して、本来、きゅうりとシソで作るかっぱ巻きを、ズッキーニとバジルで再現してみた。欧州の香りあふれる意欲的な一品である。
うまいだろうか。
おまえ……きゅうりじゃないケロ!!(カッパ気取りで)
わかってはいたんだけど、全然きゅうりではない。
ていうか、似てる似てない以前に、生のズッキーニが想定外にまずい。パリッとせず、もそっとして妙に粉っぽい。
未熟な果物をあせって食べた猿
、みたいな気持ちになる。
そして問題はバジルだ。
この中央に見え隠れする葉っぱ。
途中までは寿司飯の味に隠れて大人しくしているのだが、中盤から例の「俺は雑草だぞー!むふーー!!」という匂いと苦みを発揮し、全力で歯向かってくる。
恐るべき雑草魂。
悪かったバジル、もうシソの代わりにはしないから許してくれ。
結論
未熟な果物に雑草を添えて
巻いた何か。
河童も逃げ出す
代替度 ★☆☆☆☆
ノーチェンジでお願いいたします
端的に言って、全般的に代わりになっていなかった気がするが、それより、普段食べ慣れているはずのものも、組み合わせを変えると、腹を壊すほどまずくなることが分かって驚いた。特にバジルの雑草魂はすごい。
レシピというのはあるべくしてあるんだなあ、と社会の原理をまた一つ学ぶことができた気がします。