「謹賀新年」、と書いてみよう
まずは現段階での筆文字実力測定を行ないたい。つまり、特に何もしていない素の状態で書く「謹賀新年」だ。
さすがに墨から用意するのは大変なので筆ペンを使ったが、それでも筆を扱うなど久しぶりのことだ。固くなりすぎず、かといって変に文字を崩す意識もせず、ここはありのままの実力を出していきたい。
そして書かれた謹賀新年。上手くもなく、味のある文字でもなく、至って普通の下手くそだ
とくに「謹」「賀」の辺り、自信のなさが光っていると思う
下手は下手なりに突き抜けた個性が、というわけでもなく、実に平凡な下手さを誇る文字である。 箸にも棒にもひっかからない、中途半端な謹賀新年といえよう。
ひとまずハガキに書いてみたが、謹んで新年のお喜びを申し上げる気概がまるで感じられない。ザ・無気力。
真面目に書いた結果がこれなのだから、もう諦めて素直に受け入れよう。ここがスタート地点だ。
ここから手っ取り早く一夜漬けでどうにか上手い字を書く人になる、というのが今回の試みである。
筆文字に王道はない
さて一夜漬けで何をやるかといえば単純な話で、ひたすら繰り返し書いて書いて書く。
実に簡単かつ安直な話だが、結局のところはこれが一番の近道であると思うのだ。飲み薬「モジウマクナール」があれば即飲むが、残念ながら我が家に猫型ロボットの気配はない。机の引き出しを覗き込むのは諦めて、地道な努力あるのみである。
筆ペンと、筆文字の教本を揃えておきました
時刻は深夜二時。朝までに上手くなれるかどうかの勝負である
丑三つ時チャレンジ
準備万端。あとは教本を手本として、淡々と訓練を重ねていこう。
筆文字向上に王道はない、というか、これこそが王道だと言い切りたい。
「なぞるだけ」という難関
いきなり「謹賀新年」に挑む前に、まずはひらがなから手慣らしといこう。
「あけましておめでとう」くらいは美しくさらさらと書き添えられるようになりたいではないか。
教本の中身は、書かれた文字をお手本通りになぞっていく仕様
まずはなぞるだけ、のはずなのだが
どうしよう。早くもはみ出している。なぜこんなところでフリーダムさを発揮してしまったのか。
型に嵌るのなんてまっぴらさ、とかそういう主張はぜひよそでやっていただきたい。 いくら字が下手とはいえ、ただなぞるだけの能力すら無いなんてあんまりだ。
なぞれていないし、書けてもいない(※真面目に取り組んでいます)
午前2時5分の焦燥。こんなはずでは…。
どうにか2ページを埋めた。ここまでで約20分が経過。
大丈夫か。こんなことで本当に美しい筆文字を習得できるのか。
じわじわと嫌な焦りがせり上がってくるのを感じる。じゃんけんに負けたからという理由で合唱会のピアノ伴奏を押し付けられた楽器未経験の小学生女子みたいな心境である。(実話)
夜明けはまだまだ遠い。
文字が下手=観察が下手、という説
ともあれひと通りのひらがな練習を終え、次はいよいよ漢字のページに突入だ。
さすがに常用漢字全てを網羅とはいかないが、使用頻度の高い漢字例がいくつか掲載されている。いわば筆文字の選抜選手たちだ。
出たな、謹賀新年!
ひらがな同様になぞってみる。「謹」ってこんな字だっけ?
筆らしい柔らかな形。こういう字がささっと書けるようになればさぞ楽しいだろう。
ここまで書いてみて気づいたことは、文字が下手ということはイコール上手な観察ができていない、ということだ。
就活戦線においてはコミュ力やらプレゼン力やらが求められるらしいが、筆文字で重要なのは観察力と再現力だと思う。手本をしっかり見て、そっくりそのまま紙の上にコピーできれば良い。理屈上は。
つまり自分はその辺のスキルが今ひとつなのだと思う。観察が足りていないのだ。
手本を見ながら一度書いてみよう。落ち着いて、よく見て…。(小学生レベルの助言だ)
謹賀新年・横にお手本がある時Ver.
ビフォーアフター。そりゃ最初よりは上達したけれど。
手本を参考に書いているので当然といえば当然だ。テストでいえば実力で30点のはずがカンニングして85点を取ったようなものである。(しかもまだ100点ですらない)
これで「綺麗な字が書けるようになったよ!」と言い切るのはさすがに図々しい。
せっかく練習したからひらがなも書こうかな
「今年」と「願」が書けなかった(手本がなかったから)。我ながら応用が利かない。
そこそこ整ってはきている。しかし慎重に手本と見比べながら一文字一文字、怨念でもこめているのかというゆっくりさで書き上げている文字だ。これではスピーディーな現代社会に適合できまい。もっと効率化を図りたい。
さらさらと何も見ずに(ここ重要)、書き上げられるようになるのが目標である。ゴールはまだ遙か彼方だ。
出来ないのではない、やらないのだ
「謹賀新年」と「あけましておめでとうございます」をひたすら書いて練習しようと思う。 そのためにぴったりなものを買ってあるのだ。
表紙:力強い格言
中身:全ページに「挑」という文字
ターゲット層がよく分からない、ファンキーなメモ帳である。店頭で見つけた時に、これだこれしかない、と思ったのだ。小さく書かれた「GANBARO-MEMO」の表記も見逃せない。
表紙の言葉はこの取り組みの肝の部分を実に的確に言い表している。そう、美しい文字が書けないのではない。やらないから悪いのだ。努力せよ、ということだろう。
そして各ページには「挑戦」「挑む」の「挑」が。頑張って挑めよ、と応援されているようで心強いではないか。うっかり「桃(もも)」に見えたりもするが心配いらない。私は全フルーツの中で桃が一番好きだ。ピーチを思い浮かべることで沸き起こる気概というのもあるかもしれない。
いよいよ訳のわからないことを言い出し始めた午前3時である。
とにかくこのメモ帳に文字を書く。手に覚えさせる。
ゲシュタルトなんか崩壊させておけ
ひとつの文字をじっと見つめ続けると「あれ、これってこんな字だっけ?」と思えてくることがある。かの有名なゲシュタルト崩壊である。
もしもふと目にした廃墟の壁がこんなだったら、と考えるとかなり怖い。
これだけ「あ」を書いていると当然その手の感覚に囚われるのだが、そのうち気にならなくなった。文字を書いているのではない、こういう図形を書いているのだ、と思えてきたのだ。
世のコピー機は「あ」という文字を前にして「これは【あ】という音を表す音節文字だな」という認識なんかいちいち持たないだろう。そういう図形として処理をしている。同じことである。
ゲシュタルト崩壊の向こう側に到達しだした午前3時43分
今ならコピー機の気持ちになりきれる気がするんだ
気の済むまでこの5文字を繰り返したところで、「あけまして」と書いてみよう。ここまでの総括と実力確認、学校でいうなら中間テストだ。さてどの程度書けるようになっているだろうか。
午前4時10分の「あけまして」
もちろん手本は頭の中にしかない状態での書である。どこか不自然さは残るが、確実に教本と近い文字を書けるようにはなっていると思う。GANBARO-MEMOを黙々とひらがなで埋める努力を続けた甲斐があった。
「努力は地層に似ている。積み重なっていればいるほど、その断面は美しい」
という名言もどきは、私がたった今考えた。地層じゃなくてミルクレープ、とか、メガマック、とかでも良い。(お腹が空いているのかもしれない)
暗闇の中で「あけまして」
その後もひたすら書き続ける。
とはいえ大切なのは余白を埋めることでも紙の枚数を増やすことでもない、一文字一文字を正確に書いてものにすることだ。気づけば2,3文字くらいは無意識に手を動かしていたりするがそういうのはよくない。無の境地に至るのが目的ではないのだ。
「と」は気を抜くと「e」になるので要注意
次第に朦朧としてきた午前4時55分、ようやく「あけましておめでとう」の10文字を書くまでに至った。
あけましておめでとう!
明けてないけどおめでとう!!
真っ暗だ。午前5時、夏であればもう外は明るい時間帯だが、なんといっても冬至間近の時期である。朝日の気配はまだない。
ひらがなの習得はこれで一区切りとし、日が昇るまでには肝心の「謹賀新年」をやっつけたいところだ。
漢字のバランスに苦戦
同じ要領で、手本をコピーする気持ちでひたすら書く
口、ってこんな崩し方をするのか。木ってこうなるのか。それにしても漢字は各部首のバランスを取るのが難しい。ちょっと油断するとすぐ崩れてしまう。一人暮らし大学生の食生活みたいだ。
この辺りで落書きとか書きはじめる。午前5時30分のドラちゃん。
「食べたいなぁ…ミルクレープ…」
疲れと共に段々と雑念が入ってきた。これが座禅であれば今頃バシバシ叩かれていると思う。筆文字で良かった。
このさ、「謹」のさ、しゃしゃってなってるところの形ってケーキの生クリームっぽくは…見えないね。うん、見えないや。
謹賀新年、の成果発表
脳内が甘いモノに侵食されだしたので、そろそろこの反芻作業も終わりとしよう。夜明けも間近に迫っていることだし。
持てる力の全てをつぎ込んだ「謹賀新年」
午前6時過ぎ。笑ってはいるが目が虚ろだ。
筆文字の美しさ、手本なしで書いた文字としてはまあまあではないか。
4時間前にくらべたら大きな進歩である。猿とアウストラロピテクスくらい違う。
謹んで、新年の、お喜びを
いよいよ、最終的な一枚を書き上げよう。さあ気合を入れて!背筋を伸ばして!
ここまでの積み重ねを信じて
いざ、白いハガキに筆を向けよう
そしてできあがったのがこちら。一文字一文字、頭の中の手本を忠実になぞって書いたつもりだ
開始時と比べれば、やはり結構な差がある。努力の成果だ。
「謹賀新年」と、「あけましておめでとう」。
これまで何度も目にしたこのフレーズだが、こんなにも真剣に向き合ったのは初めてのことかもしれない。コピー機になったつもりで、プリントゴッコになったつもりで、生み出した文字たちである。思い入れもひとしおだ。
練習前は「賀」が一番下手くそだと思っていたが、今では「賀」が最も綺麗に書けるようになった。苦手を克服した瞬間だ。
午前6時半。スタートから4時間半ほど書き続けたのか。
そして、外が白んできた。夜明けだ。
1月1日のその瞬間よりも、あけましておめでとう!という気持ちが強いと思う。新しい自分との出会いである。このまま初詣にでも出かけたい。書き初めにはでかでかと謹賀新年、と書きたい。(それ以外は書けない)
できなかったことができるようになると嬉しい。
そんな当たり前のことをしみじみと感じる、2011年の暮れである。
ちなみに記事タイトルに「謹賀新年編」とありますが、その他の編について今のところ実施予定はないです。
年賀状のための筆文字か、筆文字のための年賀状か
やったことは一晩かけて筆文字の練習をしました、というただそれだけだが、思わぬ効果もあったりする。年賀状を書くモチベーションが確実に上がるのだ。せっかく習得したこのスキル、使わなきゃ損、という考え方である。年賀状のために筆文字を特訓したはずが、いつのまにやら筆文字のために年賀状がある気すらしてくる。
こうした動機を上手く維持コントロールして、来年以降の年賀状作成にも活かしていけたらいいと思う。
でも適当な辰を描いたら台無しになるよ!気をつけろ!