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はっけんの水曜日
 
日本にパーマを持って来た人

パーマについて、真相に迫る


ビールをいただきながら、先生に質問する。

スミ「で、先生。パーマを日本に持って来たという話ですが」
先生「パーマ?パーマの機械には2種類あったのよ。1つは温度の調整が効かなくて火傷しちゃう機械。もう1つは調整出来るから、火傷はしない機械」



「ポータブルのパーマ機を持っていたんです」

キミコさんが補足してくれる。
先生はポータブルの火傷しない方のパーマ機をアメリカから持ち込んだ。当時、その機械を持っていたのはアーデン先生だけだった。
昭和10年、アーデン先生とキミコさんのお母さん(先生の妹さん)はそういった当時の最先端機材を揃えた美容院を銀座の数寄屋橋ビル(現ソニービル)にオープンさせ、外国人客を中心に繁盛した。

パーマを日本に持って来たという核心に迫る。

スミ「つまり、そういうパーマ機を日本に初めて持ち込んだという事ですね」
キミコさん「そうですね、アーデン先生より先にそういう機械を使った人はいないと思いますし、外国の技術を持った美容師さんも母と先生以外、いなかったはずです」


先生「数寄屋橋ビルの店は空襲で焼けたでしょ。だから、ビルに泊まり込んでお店を再建して。そんなこんなしてたら、進駐軍からビルの立ち退きを言われたからね、文句言いに行ったのよ、マッカーサーの所に」

スミ「マ、マッカーサー?」
昭和10年の開業後、第2次世界大戦、終戦を経てマッカーサーが登場する。



キミコさん「お堀沿いに第一生命ビルっていうのがあって、そこがマッカーサーの指令部になっていたんです。で、アーデン先生は英語が出来るから、マッカーサーの所に陳情に行ったみたいです」

そんなアーデン先生の気概を、先生のお客さんでありお友達でもあった作家の宇野千代さんは「女の侍」と評した。

そして、アーデン美容院は終戦から3年で再び忙しくなる。



「イタリアのオペラ歌手もよく来てましたよ。マリア・カラスよりずっと前の人たちが」
僕の右側には途中からタケおばさんというアーデン先生の従姉妹が座っていて、当時のお客さんの話をしてくれた。来日したヘレン・ケラーの整髪をした事もある。

タケおばさんはアーデン先生のお父さんの妹の子供で、アーデン先生のひと回り下の83才。

タケおばさん「私と先生の関係は従姉妹ってだけじゃなくて、私たちのお祖母さん同志が姉妹だったらしいのね」

ん?当人は従姉妹同志でそのお祖母さん同志が姉妹?
先生の話を理解するだけでもいっぱいいっぱいだったのに、ここに来て更に僕を困惑させる複雑な家系。

タケおばさん「家系図みたいなのがあれば分りやすいんでしょうけど、難しいわね。でも当時はそういう事が多かったのよ」

スミ「田園都市線が途中から半蔵門線になるようなものでしょうか?」
タケおばさん「……?」
スミ「あ、すみません……」

 

先生「ビールおかわりしなさいよ。若いんだから」
スミ「いや、本当にもう……」



いつしかアーデン先生の横にはキミコさんの息子さん(24才美容師)が座っていて、アーデン先生を囲む一家の団らんが暖かかった。

イタリア料理店に入って約3時間が過ぎていた。
ウエイトレスのユニフォームが夜用に変わり、店内のライトが暗くなった。


 

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