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特集


はっけんの水曜日
 
日本にパーマを持って来た人

アメリカで過ごした青春時代


「イタリアのおもち」とは、ジャガイモのニョッキの事だった。
先生はこのニョッキが大好物で、ほとんど毎日食べている。

先生「アメリカではね、昔から古くなったチーズを粉にする習慣があったでしょ。でね、石鹸も粉にするでしょ。だから、アメリカで初めて粉になったチーズを見た時、私は食べられないって思ってゴミ箱に捨てちゃったのよ。それを見てね、アメリカの先生は大笑い。今から70年以上も前の話」

僕がニョッキを食べるのを見て、先生は粉チーズの思い出話を聞かせてくれた。当時の日本にはチーズなんてなかったから、と先生。

先生「昔のイタリアでは髪の長い女性が女らしいって言われてたのよ。結婚するなら髪の長い女性ってね」



先生「とにかく、みんな死んじゃったでしょ。だから昔の事を知っているのは私だけなの。明治41年生まれだから」
スミ「西暦でいうと……」
先生「ナインティ・オー・エイト」
スミ「1908年!」
先生「だから話なんていくらだってあるのよ」
スミ「ええ、パーマを日本に持って来たという……」
先生「ほら、この写真」
古い写真が出て来た。



先生「私が生まれた年は豊作だったの。でも、私の姉と妹が生まれた年は不作で、痩せて生まれたのよ。この写真の右側が私の妹で、私と一緒に美容師をやってた。妹は不作の年に生まれたから牛乳だけ飲んで育って、そうしたら背が伸びちゃって。私は豊作だったから豆腐の汁を飲んでた。背は伸びなかったけど、太らなかった。当時、アメリカではダイエットブームでね、だから豆腐汁を飲んでて良かったのよ」



「当時っていうのは、大正13年頃です」
僕の右側に座っていたキミコさんが補足してくれる。キミコさんはアーデン先生の妹さん(写真の右側の人)の娘さん。

先生は関東大震災があった翌年、13才の時に一家でアメリカに渡った。
小学校、中学校、ハイスクールと進学し、その後美容学校にも通い美容師の州試験に合格する。

キミコさん「先生にアーデンっていうファーストネームがついているのは、アメリカへの永住を考えていたからみたいです」

キミコさんが詳しい話を聞かせてくれる。



先生「あなた、飲み物も頼みなさい。ビールはどう?」
スミ「いや、まだ、仕事中なので……」
先生「ウイスキーの方がいい?」
スミ「まだ3時ですし……、お酒は……」
先生「若いんだから」

いや、そんなに若くないんです、と言いかけてハッとする。
95才の大先輩から見たら僕なんてあまりにも若輩だ。さっきまでいた重役さんも先生からは「この子」って言われていた。



そして、いよいよパーマを日本に持って来た話の真相に迫る。



 

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