編集部の石川さんより、編集部古賀さんに餅を振る舞うので作ってくれませんかとお話を頂いた。
古賀さんに!餅!なんと良い企画だと思った、以前古賀さんに赤福(あんこで包んだ餅菓子)を持って行った時の喜びようも記憶にあったが、それ以上に古賀さんって何か餅っぽい。めでたい感じとか、幸せな感じが、餅っぽい。
是非!と言って餅を作らせていただく事になった。折角古賀さんに餅を振る舞うのならば、古賀さんにちなんだ物を…一万回! 一万回だ!
(text by 尾張 由晃)
いっぱいって言えば一万回
餅はたくさんこねると、滑らかになって美味しいらしい。 当サイトではたくさんの回数というと一万回だ。 (ティッシュを叩きまくってあぶらとり紙に 米の研ぎ方でそんなに味が変わるものかね? 等など)
その元祖が、納豆を一万回混ぜるの古賀さんなのだ。その古賀さんに敬意を込めて、一万回こねた餅を振る舞いたい。
こね始めは熱さとの戦い
さて、餅と言っても、どうやって作るんだろうって思ったけれど、思い返してみたら、今年、おたべで八つ橋手作りしてたぞ、俺。 そうかそうか、それのこねる作業を一万回にすれば良いのか。
蒸し上げるまでは簡単にでき、後はこねるだけ。自分で食べるのなら素手でこねて、一万回こねたら餅が薄黒くなりました。 って結果でも良いが、人に振る舞うので手袋をはめてこね始める。
こっれが、熱い!めちゃめちゃ熱い。熱くて笑う。そうだそうだ、熱かったんだ。八つ橋の時もこねると熱くて、笑ってたら指導してくれてた人の目が怖かったんだった。
ここでのこねが味に繋がるとあっつあっつと笑いながらこねてたら寒い部屋で汗だくになっていた。
初めから感じる、何も起こらないのでは感
まずは100回こね終了。八つ橋を手作りした際はこの位の回数で終わっていたはずだ。更にこねて、なにか起こるだろうか。
ふっ、ふっ、ふっといいながらこねていく。300回くらいで温かさはほとんど無くなって、常温になった。それでもこねる、こねる、こねる。500回、終えても特に違いは見えてこない。
何回こねても何も変わらない
何回くらいから変わってくるかなー。そう思いつつこねるも何も変わらない。餅の安定感は素晴らしいが、もうちょっと、なんか、サービスしてくれても良いと思う。
こねてもこねても変わらぬ姿に、精神的にも肉体的にも疲れてくる。初めは全身の力を使ってこねていたが、だんだんと使う力が少なくなってくる。
半分を過ぎても餅の表情は変わらない。無表情の人って、何考えてるのかわかんなくて、一緒にいて、疲れますよね。 餅も、そういう感じのキャラだ。
本当に終盤に入っても代わり映えしない。ガムをかみ続けてたら崩壊したとかいってる人がいたが、餅なら乾燥して、それに力が加わって崩壊しても不思議じゃない。振る舞えなくなるけどそれは面白そうだな。とか思ってるのをあざ笑うかのように、餅、平気。
3000回目くらいから、何も起きないんだろうな。って思ってた餅が、本当に何も変わらず完成した。むしろ100回目からほとんど変わっていない。味は変わってたりするんだろうか。
餅を包むの難しい
完成した一万回餅だが、これだけでは味気ない。あんこでも包むとしよう。
さてあんこを包もうと、麺棒で伸ばそうとしたらひっついた。
それで完成したのがこれ。なんだこれ。綺麗な球にする事が出来ない。 どうしてもヒダが出来る。しょうがないので、ヒダをちぎり、試しに一個食べてみた。
皮が、厚い。皮が厚いとぼってりとした食感になってあまり良くないみたいだ。
再度皮を伸ばして、出来るだけ薄くした。ならばあんことのバランスが取れて美味しくなった!って、思ったけど、これなら、一万回とかこねる意味、無かったんじゃ…
いやいやいや、やっぱりこねた分の味と言うのがあるはずだ、分かっていただけるはずだ。この思い、古賀さんに届け!
みんなの感想の予想:あんこって美味しいですね。