紡ぎ出されるストーリー
店舗に掲げられた看板やポスターに踊る、ビビッドな文字列たち。そんな見慣れた物たちにも、いつもと違う眼差しを向けてみると意外なストーリーが見えてくる。その息づかいに、耳を傾けてみよう。
「チンコ ヴィーナス」。いや、違うだろう。ヴィーナスにチンコはないだろう。
ヴィーナス、ローマ神話における愛と美の女神。赤く切り付けたような字体で書かれたそれと、青い丸ゴシックのチンコとの組み合わせがあらゆる理解を拒絶する。
間逆の語義が結びつく不整合。急に生えてきたとでも言うのか。一体ヴィーナスに何があったのか。
ヴィーナスが謎めいていたのに対し、このポスターに読み取れる文字列の意味は伝わりやすい。生きていれば確かにいろいろなことがある。中でも特に大きな意味があった三つの出来事をここで省みようということだろう。
改めて今日までの人生について振り返ってみる。フィジカルな痛みを伴ったこともあるだろう。驚きと喜びに満ちた体験もあるかもしれない。志半ばに潰えた苦味もよみがえる。
指を折って数えてみる。心に蘇る光と影。
思い出は思い出を呼び、折った指はすぐに三つを超え る。思い出の整理は、もっと人生が暮れてからにした方がいい。
誕生日や結婚記念日など、特別な思い出のある日は誰にもいくつかあるだろう。この写真にも、そんな一日があるのが読み取れる。
しかし多くの男性にとってそれは、特別というわけでもないはずだ。そこにあるのはありふれた毎日。ドライに考えればそんな見方もできる。
ただ、この写真に写っている言葉が 伝えたいのはそんなことではない。そうでなければ稲光が走るはずもない。
当たり前であっても、毎日が自分との一期一会。 「最高超」の意味はわからなくても、全体から放たれる勢いに学びたい。
ありのままの自分がいい。本当の自分を見つけたい。そんなライフスタイルを支持する若者も多い昨今のようだが、垣根の向こうに読み取れる文字が言っていることは違う。
「チンコはNEXTステージへ」。考えたこともないポジティブ。
現状に満ち足りる謙虚があってもいいのだろう。しかし、扉の向こう側が見えないからといって、その扉を開けるのを禁じる必要はない。
そこにあるのは何なのだろう。光ったり音が出るようになったりするのか。誰もまだ見たことのないNEXTステージが 、心の向こうに垣間見える。
意味が抽象的だった前の一枚と比べ、この写真で読み取れることはとてもわかりやすい。とにかく好調なのだ。
結構なことだ。「好調!」と感嘆符がついているのも素直に頼もしい。機能を着実に果たし、清潔に保たれている。そういう当たり前の、しかし理想的な姿が見て取れる。
もちろん、ずっと好調であるわけはない。好調とは、不調と相対的にあるに過ぎない。
時につまづいたり、失敗したりしてもいい。そういうことも含めた上で、それでも「好調!」と言い切れる状態でありたい。
ここまでの写真を改めて見てみると、普段の自分がいかにそれらを雑に見ていたかがよくわかる。声なき声が語りかけるストーリーに、いつも気づける自分でいたい。