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はっけんの水曜日
 
高校生の針供養
学校法人大竹学園


 去年の夏にスポーツ吹き矢(青春、吹き矢甲子園)の取材をさせてもらった大竹学園の大竹先生から、「針供養祭をするので見に来ませんか?」とお誘いがあった。今時高校で針供養をするのは珍しいのだという。

 それは見てみたいですな。という事で、西八王子にある大竹学園を訪ねた。初めて見た針供養は、厳粛であり妙であり、意味のある行事だった。

今回は、そんな針供養の模様をご覧下さい。

(text by 松本 圭司


体育館に案内してくれる大竹先生。日曜日だけど登校日で生徒さんも集まっています。

■針供養とは?

 針供養とは、折れた縫い針を供養する行事の事。古くから行われてきた行事で、元は中国から伝わったのだとか。

 関東では2月8日に行われる事が多い。供養すべき縫い針を豆腐や蒟蒻にさし、土に埋めるなどして供養する。この日は裁縫の仕事をしないという決まりもある。

 かつては東京にも裁縫を教える学校(高等専修学校)が数多くあり、そのどこでも針供養をやっていたそうだが、最近の都内では大竹学園くらいでしか針供養をしなくなってしまったのだという。

 なぜ高校で針供養が行われなくなったかというと、過度な宗教教育排斥のせいなんだとか。針供養は神社の神主さんが行うわけで、神道にのっとっているわけだが、どうもそれを嫌う人がいるのだという。


淡島大明神。婦人病と安産の神様。

 しかし思うに、神道と宗教はちょっと違う。神道は、昔から日本人精神の中心に存在する八百万の神を基本とする「感覚」を神格化した物である。だから、日本人ならだれもが持ってるものであり、それを否定するのは自分が日本人である事を否定する事だろう。日本人が日本の伝統を否定したら国が無くなってしまう。

 だけども、それを気に入らない一部の大人が騒ぎ立て、針供養などの伝統行事を潰してきた歴史があるらしい。そうして毎年、針供養を行う学校が減り大竹学園だけになってしまったのだとか。

 針供養は神道に基づく日本の伝統行事であって、決して宗教教育ではない。だから伝統を残すために意地でも続ける。そう、校長先生が言っていた。僕もそう思う。

以上、固い話終わり。

 

■折れた針やお供え物など


折れた針がズラリ。お供え物もずらり。

 体育館に入ると壇上に祭壇が組まれていて、アリーナ席に生徒と来賓が座っていた。アリーナって書きたかっただけだ。式次第は以下の通り。

一.修祓(しゅばつ)
一.降神之儀(こうしんのぎ)
一.献撰(けんせん)
一.祝詞奉上(のりとほうじょう)
一.玉串奉奠(たまぐしほうてん)
一.献針(けんしん)
一.昇神之儀(しょうしんのぎ)

 初めて見る単語ばかりで、読み方も判らない。読み仮名を調べるために、検索サイトにコピペを繰り返した。要約すると、まずお祓いをして、神様に来ていただき、お供え物を差し上げて、祝詞を上げて神様を称え敬意を伝える。ここまでを神主さんが行い、玉串奉奠と献針は僕らが行う。

 玉串奉奠は玉串(ギザギザの白い紙を付けたサカキの枝)に自分の気持ちと心をのせて神様に捧げる儀式。そして献針が針供養のメインイベント。折れた針を巨大な蒟蒻に刺して供養するのだ。

そして最後に神様をお送りして式は終了する。全部で30分ほどだった。

 


鯛の尾頭付き。寒い日だったので霜が降りている。

■もう体育館は生徒でいっぱい

 2月8日、日曜日。他の学校は休みだけど、この日は登校日として生徒を集めたのだそうだ。僕が着く頃にはすっかりみんな着席していて、準備万端整っていた。

 針供養の針を刺すのは主に家政科の生徒さん。家政科では高校の一般普通教科と要塞、じゃない、洋裁実習が行われている。

 実は僕のスーツのお尻、ポケットの横に穴が開いているのだが直してもらえないだろうか。なんて思ったら、針供養の日は針を持ってはいけないのらしい(昔はお針子さんの貴重な休日だったらしい)。残念だが仕方ない。

あんまり深くお辞儀をすると穴が見えてしまうので気をつけたい。


折れた針たち。これだけ針が折れるって事は、それだけ裁縫を一生懸命やってるって事だろう。

生徒と、そしてPTAのみなさん。

家政科の女子生徒は着物姿。いいですな、着物。着物は先生達の家にあった物も混じってるのだとか。

撮影係のナオミさんがいないので、カメラを先生に頼んで撮ってもらった。厳粛な式って事でスーツを着てきました。よれよれだけど。

 

■まずは修祓と降神之儀


はらいたまえきよめたまえ。バサッ、バサッ。

 時間になり、神主さんのお祓いから式が始まった。良く通る声が体育館に響き、空気が変わった。いいね、いいね。こういう雰囲気、大好きだ。


来賓席もお祓い。この後生徒の方を向いてお祓い。

 不勉強な僕には何を言ってるのかはよく判らないのだが、それでもお祓いをして、なにやら神様を呼んでるぞ、というのは判る。洋楽聴いて英語の意味は判らないけどなんとなく雰囲気で判る事ってあるだろう。そういう感覚に似ている。魂に響く、というか。

降神之儀が終わり、次は献撰となった。



鯛、重そうでした。よく頑張った。感動した。

■うやうやしく運ばれる御神酒、米、鯛に野菜、果物、花

 献撰とは、神様へのお供え物を捧げる儀式。着物を着た女子生徒が三宝(三方とも言う白木の台)に鯛や野菜を載せて運び、雛壇状の供物台に供えるのだ。

 雅楽が掛けられ、雰囲気が盛り上げられる。御神酒や米に始まり、尾頭付きの鯛が運ばれてきた。立派で重そうな鯛を頭上に捧げ持つのは大変そうだった。

 


待ってるのも相当ツライと思う。野菜の子が重くて大変そう。

 山の幸と説明されて運ばれてきたのはサツマイモ、ネギ、菜っ葉、人参、ナスなど野菜の山盛り。あんまりの大盛り加減に吹き出すかと思った。

 続く野の幸は果物盛り合わせ。これまた重そうだし、前の人が捧げてる間ずっと頭の高さに上げてなきゃならないわけで、重さ的にも時間的にも大変そうだった。

 それでも落とすことなく見事に役目を果たしてた。今時の高校生は、なんて言う大人いるけど、ちゃんとしてる高校生だってたくさんいるのだ。

 アレね、僕がやったら間違いなく変な持ち方をするか、もしくは落とす。それは自信がある。

 

■つぎは〜祝詞奉上〜祝詞奉上〜


これまた良い雰囲気なんだ。

 献撰の次は祝詞奉上。神主さんが祝詞を読みあげる。全員起立して頭を下げる。僕が高校生の頃は、こういう伝統行事が苦手だった。意味あるの?と思っていた。

 だが、30を過ぎてみて伝統行事の良さが判ってきた。良いよ、伝統。伝統行事ってのは良いものだから何千年も受け継がれてきたのだ。良くなければ廃れているはずだ。

 伝統行事は良い。なにが良いって、予定調和の安心感とやり切った感が良い。好きな映画を何度も見てしまう感覚に似ているかもしれない。


この服がまた格好良い。

いよいよ次は玉串奉奠、そして献針に進む。

 


神主さんから玉串を受け取る。緊張しますな。

■玉串奉奠をさせていただきました

 この日、僕はニフティからの取材という事で参加させてもらった。というわけで、なんと来賓席に僕の椅子があり、来賓は玉串奉奠をさせてもらえるのだという。人生初の玉串奉奠である。

 玉串奉奠とは、紙垂が付いたサカキの枝を供物台にお供えする儀式だ。神主さんから玉串を受け取り供物台に置き、二礼二拍手一礼をする。

 前の人の真似をしようと思って一生懸命に観察し、いよいよ僕の順番になった。


礼に始まり、礼に終わる。

 玉串を受け取る時も、置く時も、手の動かし方が決まっている。右手を下向き、左手を上向きにして受け取り、供物台に置く時は玉串を時計回りに回し、葉の方を自分に向けて置くわけだ。僕の文章じゃよくわからないと思うが。

 そして神社のお参りと同じ、二礼二拍手一礼。二礼し、拍手をしたら、思いの外しょぼい音でビックリした。僕の前に玉串奉奠をしていた他の来賓は見事な拍手を響かせていたが、僕の拍手はちっとも響かない。

思うに、拍手の音ってのは人間力を表すね。

 しょぼい拍手しか出来ない僕の粗末な人間力を大勢の前で露呈させてしまったように感じ、そそくさと一礼し、席に戻った。

式次第は進み、本日のメインイベントである献針が行われた。

続きは次のページで。


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