●ファンシーも吹き飛ぶ黒目線
先の試みでも決定的な何かをもたらした黒目線。隠すということで勝手にまずさが見えてくる。
そもそもがファンシーであるものについては、さらにその落差が大きく感じられるのではないだろうか。一例として、公園にある子供用の動物の遊具に試してみた。
どうしたんだ、一体何があったんだ。自分で貼ったガムテープなのだが、こわくなってしまい写真を撮ったらすぐにはがしてほっとする始末。どうしてこんな雰囲気がかもし出るのだろう。
先にガムテープが貼ってある方を見てから、いつもの顔が登場するように並べてみると安堵感がある。自分で試しにやっているだけなのだが、どうしてこんなにドキドキするのだろう。
目線で隠れていたのをはずしてみると、それはそれでまたどうかと思うような表情をしているものもある。それでも子供たちはガンガン乗って遊んでいたから、あまりそういう部分は気にかけないのかもしれない。
それでも子供たちが全然乗ろうとしない遊具もあった。
どうしてこういうことになるのか。隠すまでもなく負のオーラを発生している遊具。
●やってしまった感じをかもし出す目線
遊具に目線をつけることで出てきた、正体不明の不安な感覚。普段はかわいい動物たちがそんな状況になってる異常さが見る者をおっかなくさせる。
かわいらしい動物たちはまた、何らかの注意を促す看板にも使われていることが多いが、そんなに彼らに目線をつけると遊具たちとは違った雰囲気が出てくる。
きみか、フンをしたのは。そんな風に問い詰めたくなる雰囲気になる。「僕はしちゃったけど、みんなはまねしないでね」という感じだろうか。人にそんな呼びかけをする資格がきみにはあるのか。
普段は誠実な彼だったのに。どうしてこんなことに。
看板の効果は目線を入れた方がむしろ高くなるのではないだろうか。わけのわからない不安と迫力に、犬の散歩をしている人も「やっぱりフンはちゃんと片付けないとな」と思うかもしれない。
黒で隠すことで見る人の心に落ちる影。また別のシーンで試してみよう。