新メンバー加入、長男(高2)
ここでメンバー交代。中2の弟に代わり、高2の弟が会話の輪に。
(文字色黒:私)(赤:母)(青:弟)
「明日も早いのー? ひろし、ひーろし」 「は?」 「明日も早いの」 「はあ(注1)」 「明日もひち、7時?」 「はあ」 「なんでそんなはや」 「で、お弁当持ってくの?」 「持ってきたい」
「ちょっとい、ちこちゃん一度とめて」 「なにを? あ、はいはい」「ガスふんー(注2)」 「なんでそんな早いの?」 「キュウタイがせまっ、あれだから」「なに」「委員会だから」 「キュウタイの」「ああ」「球技大会」「そうなんだ」
考察 聞き所は最後の“キュウタイ”の部分のスピーディーにたたみかける展開。会話というものがこんなにもエキサイティングなものだとは。
「毎食納豆たべんの」 「毎食って、毎夕ね」 「毎夕」 「ほとんど」 「納豆好きなんだ」
「ああー、好きか」 「好きと言うよりなんか」 「好きなんじゃん」 「好きなの、好きなの?」
「好き?」 「健康のため」 「それが日常になっちゃったから。なんか納豆がないとおかしくなってきた」 「あそうなんだ。うふふ」 「うーん、なれてるからもう好きとか嫌いとか」「うん」「ないとなんか」 「ううん」 「ものたりない」 「なんか物足りない感じ」 「うん」
「なんかわかる」
考察 久しぶりに会ったことで、姉、弟間に微妙な緊張が。お互いに照れてる。 それにしても「好きだ」を連発するような会話がこんなにもありふれた日常に転がっているのはおどろきだ。
「日曜版あるよあい、ちこちゃん」 「あー見たい」
「よいしょ」
「なー、“あたしンち”がマンガじゃない」
「(口笛)先週だったよ、マンガは」 「ぬー」 「一週おきなんだよね、大変なんでしょうね毎週書くのは」
「まいにちのあれ、マンガなんか大変だよね」
間奏
「ん、大変だよそりゃー」 「サザエさん、胃が痛くなってね(注1)」 「うーん」
考察 間奏の間、私は新聞を読んでいた。間をおいて、瞬間的に会話に戻るという現象は確かに家庭の会話でよく見られる。
また注1、胃が痛む思いをして連載を続けたのはサザエさんではなく作者の長谷川町子さんだと思うのだが、誰もツッコむことなく会話は流れた。ツッコミ不在も家庭会話ならでは。
最初のデパートの店員さんとの会話は、言うなればアマチュアバンドの練習だ。お互い探りながら言葉を繰りだしていく。それに比べると、家庭の会話は自由なジャズのジャムセッションのようだ。奔放でどこかで繋がるような、繋がらないような、永遠にゆるゆる続いていく感じ。
そして次。最後に聴いていただく曲はこれまでとはうって変わって、交錯の無いキャッチボールのような美しいセッションです。現場は再び街へ。