●君のいない夏
カカシを作って数日後、展示されると聞いていた田んぼにやってきた。稲を鳥たちから守ってこそのカカシ、風雨にめげず米を見守る姿を製作者として見ておきたい。
実は、あの木像をモチーフにする案は、カカシ製作に行く直前に思いついたこと。事後報告になって恐縮だったのだが、カカシを作ったことを住さんにお伝えしたところ、自分に似た像が農作物を守るということをとても喜んでくれていた。「ロマンだ」とさえ評してくれた。
そうだ、これはロマンだ。世の中にはそういうロマンがあってもいい。
田んぼは先日訪れた施設のすぐ裏手。美しい緑の中でそのポテンシャルを遺憾なく発揮する住さんカカシ。
そんな姿を期待して棚田になっている部分を登って行ったが影も見当たらない。おかしい。
●元気そうなのはいいのだが
変だなと思って施設に戻ると、この間立てかけたところに住さんカカシはまだ立っていた。とりあえずは損傷したりすることなく、まあ元気そうにやってはいるようだ。
それにしても、カカシとしての仕事をさぼって一体どうしたんだい?こんなところに立っていたって、みんなに笑われるだけだぞ。
展示しはじめる日を間違えたかと思い、先日カカシ作りを教わった人とは別の施設の方に尋ねてみると、「あのカカシは田んぼには展示しません」との返事。前回の話はなにか誤解があったのか、私の勘違いだったのか、とにかくそういうことらしい。
決して田を守ることのない住さんカカシ。
住さんがロマンだと言ってくれた思いも打ち砕かれてしまった。農作物など見守ったりせず、なんとなくそこに立っている純粋カカシだ。
施設内を見渡すと、前回の訪問時にはなかったカカシも立っている。中には丹下左膳といった時流を取り入れたものもあるではないか。そんなのありかと言いたくなる見事なできばえだ。
ただ、あのカカシとなかよくやっていけそうはない雰囲気はあきらかだ。
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